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更新日:2024年3月17日

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2024/3/8 囲碁 歴代のタイトル保持者(2024年3月8日現在) 第48期棋聖戦の第七局において、一力遼棋聖が、挑戦者の井山裕太碁聖・王座を中押し勝ちで破り、四勝三敗で棋聖のタイトルを防衛。
2024/3/17 将棋 歴代のタイトル保持者(2024年3月17日現在) 3月17日(日)、藤井聡太八冠が、第49期棋王戦第4局に臨み、伊藤匠七段に対して勝利し、対戦成績3勝1持将棋でタイトル初防衛。これにより、八冠を維持した。

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黒板五郎の徒然草(更新履歴)

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2024/3/17 更新 2024/3/17 将棋 歴代のタイトル保持者(2024年3月17日現在) 記録、文化/教養
2024/3/12 更新 2015/6/20 帰省82恒例の6月帰省 帰省
2024/3/11 更新 2015/5/24~5/29 旅148ハワイ旅行2015 旅行
2024/3/9 更新 2015/5/22 徒然なるままに(2015.5.22) 由無し事
2024/3/8 更新 2024/3/8 囲碁 歴代のタイトル保持者(2024年3月8日現在) 記録、囲碁
2024/3/8 更新 2015/5/7 徒然なるままに(2015.5.7) 由無し事
2024/3/7 更新 2015/4/20~4/21 旅147_2金沢旅行 (2) 旅行
2024/3/7 更新 2015/4/20~4/21 旅147_1金沢旅行 (1) 旅行
2024/2/29 更新 2015/4/1 消費電力騒動で一つ賢くなった お勉強
2024/2/29 更新 2015/3/26 桜ウォーキング 行楽、Walking
2024/2/27 更新 2015/2/26 アナログからデジタルへ (6) 勝道上人が教えてくれた 写真
2024/2/26 更新 2015/2/18 眼鏡 今昔
2024/2/26 更新 2015/2/17 アナログからデジタルへ (2) 幼稚園時代 写真
2024/2/25 更新 2015/2/7~2/8 旅146久々の東京散策(ミュージカル、テーブルウェアフェスティバル) 旅行
2024/2/24 更新 2015/2/3 徒然なるままに(2015.2.3) 由無し事
2024/2/23 更新 2014/12/31~2015/1/2 旅145正月旅行2015 旅行
2024/2/21 更新 2014/12/30 良いお年を 由無し事
2024/2/19 更新 2014/12/3 経済のお勉強『実体経済と金融経済』 お勉強

【以下、時系列】

時代 時期 居住地 記事一覧へのリンク
(4)セカンドライフ 2013(平成25)年7月~現在 静岡県(三島市) 更新中 記事一覧表(セカンドライフ)
(3)勤労時代(家族有) 1987(昭和62)年4月~2013(平成25)年6月 静岡県(沼津市、三島市) 記事一覧表(結婚~退職)
(2)勤労時代(独身) 1977(昭和52)年4月~1987(昭和62)年4月 神奈川県(横浜市、川崎市)
静岡県(沼津市)
記事一覧表(独身時代)
(1)誕生~学生時代 昭和時代(前期)~1977(昭和52)年3月 福岡県(福岡市) 記事一覧表(私のルーツ~学生時代)

 

帰省 2024/2


帰省 2024/2
2024年2月11日(日) くもり
 
月初から留守にしていた事もあって、本ブログの更新が滞っていたが、実は、2月2日~2月5日の間、福岡に帰省していた。
母が亡くなったとの連絡を受け、急遽の帰省であった。
 
2005年5月に父が満79歳で他界し、
2019年9月に兄が満70歳で他界し、
今回、母が満96歳で他界し、
私が生まれた時の家族(五人家族)は、姉と私の二人になった。
まあ、「時の流れ」と言う事である。
 
2月2日の朝、東海道新幹線の三島始発6:51の「こだま」で福岡に出発。名古屋で「のぞみ」に乗換え、12:09に博多駅に到着。
三島~博多間を、5時間少々で移動出来る様になったのだから、本当に早くなったものである。
 
博多駅から、福岡市営地下鉄七隈線に乗り、斎場の最寄りの駅である野芥(のけ)駅に移動。
前回、新幹線で帰省した時には、地下鉄七隈線は、福岡市の中心街である「天神」までしか延びてなかったのだが、今回は、「博多駅」まで延長された様であり、乗換え無しで野芥まで移動する事が出来た。便利になったものである。
 
そう言えば、半年以上前に、「地下鉄七隈線」が博多駅と直結したために、住宅地としての沿線の人気が高まり、地価が上昇しているというニュースを読んだ事がある。
実は、その「地下鉄七隈線」が、私の実家の前の道路の真下を通っているので、地価が高騰されると、それに伴い固定資産税も上昇してしまうため、実家の土地の一部の所有者でもある私としては、頭の痛い所である(笑)。
 
1 実家の前の道。この道の地下を「地下鉄七隈線」が走っている。
 
話を本題に戻す。
 
昼過ぎに斎場に到着すると、兄の長女夫妻が控え室に詰めていて、線香を絶やさない様に火番をしていた。
この日の夜伽(よとぎ)は、我々夫婦が勤める事になっていたので、早速、線香の火番を引き継いだ。
葬儀等の予定は、
 2月2日:仮通夜
 2月3日:通夜
 2月4日:葬儀→出棺→火葬→初七日法要
である。
喪主は、本来ならば長子(長男)である兄が勤めるのだが、兄は2019年に既に他界しているため、二男の私が勤める事になった。
勿論、「喪主」は初の体験であったが、まあ、何とか勤める事が出来たのではないかと思う。
一つだけ「そうなんだ」と初めて知ったのが、火葬の後のお骨(こつ)を拾う際に、喪主が、最後に仏様の「喉仏(のどぼとけ)」を拾って骨壺に納めると言う事である。
 
それから、火葬場から帰って来る車の中で聞いた話であるが、仏様(母の遺体)を斎場から火葬場まで運ぶ霊柩車のナンバーが、何と、1209であったらしい。母の誕生日である。
何かの因縁なのか、単なる偶然なのか・・・。
 
翌日(2/5)は、宿泊していたホテルを朝の6時頃にチェックアウトし、地下鉄で博多駅に出たのだが、6:36発の博多始発「のぞみ4号」に乗車でき、名古屋で「こだま」に乗り換えて、何と、午前中のうちに三島に着いてしまった。
福岡を朝出発して、当日の午前中に三島(静岡県)に着くなど、思いも寄らなかったので驚きであった。
 
葬儀等についての話は、このくらいにしておくが、最後に、母について、私の知っている範囲で書いてみたいと思う。
 
母は、父の死後、17年半ほど実家で一人暮らしをしていたのだが、兄家族、姉家族共に福岡市内(実家から数km圏内)に居住していて、実家には両家族の孫達までも頻繁に出入りしていたので、その点では安心していた。我々夫婦も(最近は愛犬マメちゃんも同伴で)、旧盆と正月には出来るだけ帰省する様にしていた。
 
一昨年(2022年)だったが、「一人暮らしが辛くなった」と言う事で、母は、老人ホームに入居する事を決意し、同年の12月に福岡市内の老人ホームに入居した。
入居に際しては、我々夫婦も帰省して、入居前夜に母と義姉、姉、我々夫婦が実家に集まって、送り出しの宴を催し、翌日には老人ホームまで付き添ったものである。
 
それからの一年は、老人ホーム入居中の母とは携帯電話を介しての会話となったが、食事の時には必ず食べると言う「紀州南高梅の梅干し」が残り少なくなると、母から電話連絡があるので、ホーム宛に送る様に手配したり、母が気に入っていた「マヨネーズおかき」を時々送ったりしていたのだが、母の好きな「梅酒」の小瓶を送った時には、アルコール持込禁止だったらしく、ホーム側の検閲に引っ掛かり、突き返されてしまった(笑)。
 
そして一年が経過し、昨年(2023年)の12月に夫婦で帰省して老人ホームを訪問し、1年振りに母と顔を合わせて話をして来た。
 
  本ブログ記事帰省 2023/12
 
2 老人ホームで1年を過ごし、痩せてスリムになった母。右は姉とその孫(老人ホームにて、2023/12)
 
福岡から三島に戻って来た同じ月(2023/12月)の中旬であったが、
母は、体内に溜まった膿(うみ)を除去する手術のために入院。
「この手術により、元の健康体に戻る」と言う訳では無かったので、術後は、元の老人ホームには戻らず、ホスピス目的の別の病院に転院した。
 
そして、今月、母は帰らぬ人となった。
まあ、満96歳と言う事であり、「大往生」と言っても良いのではないかと私は思っている。
 
以下、母について少し書く。
 
母は、徳島県海部(かいふ)郡三岐田町(現:美波町)木岐(きき)の生まれである。
八男四女の三女として生まれた。
実は、数年前までは、母は二女だと思っていたのだが、数年前に家系図を作る事を思い立ち、母方の戸籍謄本を取り寄せた際に、それまで「八男三女」だと思っていた父親(私の祖父)の子供達が、実は「八男四女」であり、長女が生後40日で亡くなっていた事を知った。
つまり、母は、上から二番目ではなく三番目の娘だった訳である。
 
母が未だ小学校入学前の幼児だった頃、母の父親が、転勤で長崎県の五島列島に単身赴任していたのだが、暫くして、徳島県に残っていた家族も五島列島に移る事となった。
 
そして、母が五島の小学校を卒業する頃には、母の父親は福岡市に単身赴任中であり、また、後追いで家族が福岡市に移る予定であったが、母は女学校に進学したいという希望があったらしく、「女学校に行くなら、早く福岡に出て来た方が良い」という、父親の会社の創業者(増田茂吉氏)からの助言があり、卒業式を待たずに母だけ先に福岡に渡ったそうである。
五島まで母を迎えに来て、福岡の父親の所まで送ってくれたのは、増田茂吉さんご本人だったとか。
その際に、五島から九州本土に渡る船の中で、母は綺麗な海の景色を見たかったらしいのだが、増田茂吉さんから、「船酔いするから船室内で寝ていろ」と言われ、残念でならなかったと、数年前に帰省した際に母から聞いた事が思い出される。
 
ちなみに、母が進学した女学校は、九州高等女学校。現在は、福岡大学附属若葉高等学校となっている。
 
母の父親(私の祖父)と増田茂吉さんは同郷(徳島出身)であるが、徳島時代に何かの選挙で戦った間柄だそうであり、当選したのは増田茂吉さんだったが、以来、二人は親友となり、祖父は、増田茂吉さんに請われて増田茂吉さんが創業した会社に入ったそうである。
 
3 独身時代の母(向かって右)
 
母は、昭和23(1948)年、同じ徳島県出身で福岡の地に出て来ていた父と出会い、結婚した。
 
4 父と母
 
私の父の事を少し書く。
 
父は、母と同じく徳島県の生まれであり、現在の地名で言うと徳島県阿南(あなん)市新野(あらたの)の生まれである。
 
父は、六男三女の五男坊であったが、子供の頃に、当時子供がいなかった叔母(実母の妹)夫婦(同県海部郡三岐田町木岐)に請われて、養子縁組して叔母夫婦の子供になっている。それが、現在の私の「姓」である。珍しい姓であるが、摩須(ます)と言う。
 
父は、木岐尋常高等小学校➪秋田青年学校(兵庫県)➪大津陸軍少年飛行兵学校(滋賀県)➪宇都宮陸軍飛行学校(栃木県)と進み、戦地(南方戦線(マレー))に出征している。
 
5 少年飛行兵時代の父
 
終戦後は、東南アジア方面の日本軍兵士11万人が集められたレンパン島(インドネシア領)にて、復員許可が出るまでの約1年を過ごした後、1946年(昭和21年)の6月に帰国。
父は、漁業に携わる事にした様であり、徳島県出身者も多く集まる遠洋漁業の基地・福岡(博多港)の方に出て来た様である。
 
福岡に出て来て漁船に乗っていた父は、同じ船に乗っていた母の兄と仕事仲間となり、その「縁」繋がりで母とも出会った様である。
 
なお、上記のとおり、父と母は、偶然、同じ地(徳島県海部郡三岐田町木岐)に居住していた時期があるが、居住した時期が両者でズレており、同地での父と母の接点は無い。
但し、結婚に際して、父親(私の祖父)より、「同郷の人間だから結婚すると良い」と言われたのが、結婚を決めた一因だったと母より聞いた事がある。
 
話を、結婚後の母に戻す。
 
昭和23年に結婚した母は、昭和24年に長男、昭和26年に長女を産んだが、その当時、韓国による、東シナ海での日本の漁船拿捕(だほ)事件が頻発する様になったため、父は、漁業の将来性に見切りを付け、家族を福岡(母の実家)に残して、単身、大阪に出稼ぎに出たそうである。
その後、酒問屋の仕事、食堂経営を始めて、福岡に残していた家族3人を大阪に呼び寄せたそうである。食堂は大阪市内であったが、住居は枚方(ひらかた)市(大阪府)だったとか。
 
6 酒問屋で働いていた父
 
7 大阪時代の母。抱いているのは私の姉(枚方の遊園地にて)
 
その後、戦後の復興期だったためか、食堂経営も「無銭飲食」の多発などで軌道に乗らず、義父(母の父)からの「戻って来れば良い」との声もあり、結局、昭和28年には家族4人で福岡に戻ったそうである。
そして、福岡に戻った翌年の昭和29年に、二男の私が生まれた訳である。
 
父は、大阪の酒問屋時代に自動車運転免許を取得したらしく、福岡に戻ってからは、当時、「オート三輪」と呼ばれたオートバイの後ろに荷台を着けた様な自動車を1台購入して、製氷所で積んだ「氷」、博多港に陸揚げされた「鮮魚」などを、福岡市内の鮮魚店に配達する仕事を始めた。まだ、各鮮魚店が自家用車を所有するほど日本経済が豊かでは無かった頃の話である。
 
その仕事がキッカケとなり、昭和34年(1959年)に、母の父との共同出資により、運送業の会社を創業。小型貨物車3台からのスタートである。
社名は、丸徳運送株式会社
最初の頃は、母も(社員では無かったが)、時々、会社に行って帳簿付けなどの仕事を手伝っており、幼児だった私も母に着いて会社に行ったものである。
 
時代が数十年飛ぶが、平成の時代に入ってからの話である。
 
父は、自社(丸徳運送)の経営と共に、この運送業界において、色んな同業組合の役員等を引き受けて来ていたが、後年、その功績が認められて、
1990年(平成2年)には、何と黄綬褒章(おうじゅほうしょう)を受章する事となり、夫婦揃って、皇居内での受章式に参列して天皇陛下に拝謁するに至った。
 
  本ブログ記事父(摩須久壽)の黄綬褒章を祝う会
 
      動画→19910209 摩須久壽 黄綬褒章受章パーティー
 
以上が、私が知っている範囲での、母を中心にしてまとめた母の人生である。
 
まあ、夫婦共に、「波瀾万丈」と言っても過言ではない人生だったと私は思う。
 
最後に、母の思い出の写真を列挙する。(順不同)
 
■私の幼児時代の母
8 私の幼児時代の母。一緒に写っているのは私。
 
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12 私の幼児時代の母
 
■家族で福岡市郊外の妙見へ(行楽)
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■婦人会の集まり・旅行にて
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16 右側が母
 
17 中央が母
 
18 
 
■母の弟の結婚式の日
19 父と母
 
■初詣の日 (恐らく、1959年頃の正月。紅葉八幡宮に初詣)
20 紅葉八幡宮(福岡市)にて。赤ちゃんは従弟
 
21 初詣から戻ったあと。
 
■生活スナップ
22 母
 
23 大濠公園(福岡市)の観月橋にて。母と私 (1959年前後)
 
■私の実家(現在の福岡市城南区茶山)。当時は、会社のトラック用車庫 兼 社員寮 兼 我が家 (1963年前後)
24 下が車庫、上が居住エリア(4部屋+台所+トイレ)。建築当初は、階段が外階段だったが、屋根と壁を追加建築して屋内階段にし、階段下に玄関(上の写真)を造った。
 
25 2階の六畳間。階段寄り二間がうちの家族用、奥の二間が社員用の部屋
 
■母の趣味のひと時 (1960年代)
26 茶道教室にて。向かって左端が母。
 
27 日本舞踊の稽古
 
■正月スナップ(私は、社会人で正月帰省中 1979年正月)
28 母と親戚宅(実家から徒歩圏内)を訪問。向かって左は叔父(母の妹の夫)

29 実家の玄関。母、姉、姉の子
 
30 実家の門の前。母と孫。
 
■生活スナップ
31 親戚宅(母の妹家族宅)にて。母の孫と妹 (1979年)
 
32 母。長男の子と (1980年)
 
■私の結婚式(沼津:「ブケ東海」) (1987年)
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■私の長女の宮参り(三嶋大社) (1988年)
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44 二度目の宮参り(静岡県東部の風習「百一重(ひゃくひとえ)」) 三島大社にて
 
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■長女を見せに帰省(実家、鏡山(唐津)、ほか) (1988/7)
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53 唐津(佐賀県)の鏡山に行く途中で昼食休憩
 
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57 バックは鏡山
 
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■正月帰省1989 博多駅にて
61 この数日後に、年号が「平成」に変わる。 
 
■私の長男の宮参り(三嶋大社) (1989年)
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■私の二男誕生(産婦人科にて) (1990年)
65 これで、我が家の子供の干支は、3年連続の辰・巳・午
 
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■両親の金婚記念 一族で宮崎旅行(1998/7)
67 宮崎シーガイヤにて
 
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■初めての車での帰省(1999/7)
73 実家の前で、父母と子供達の写真を撮る。
 
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■両親が我が家に来訪 (2001/4)
76 三島の自宅にて
 
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■夏󠄂帰省 阿蘇観光、ほか(2001/8)
78 阿蘇山の火口にて
 
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82 阿蘇山の草千里

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■正月帰省2002
84 実家にて
 
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■父の喜寿祝い(2002/12)
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■母の喜寿祝い、正月旅行(佐賀県・嬉野温泉)(2004/12~2005/1)
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96 正月旅行・嬉野温泉にて (2004/12)
 
■正月旅行(伊豆)(2005/12~2006/1)
97 西伊豆・堂ヶ島観光船にて
 
98 南伊豆・石廊崎(いろうざき)に向かう道の途中で記念撮影
 
99
 
100 石廊崎(いろうざき)に向かう道
 
101 大室山の山頂にて
 
■正月旅行(那須、伊豆稲取温泉)(2006/12~2007/1)
102 那須高原に向かう途中、「東京湾アクアライン」を経由して東京湾上のSA・「海ほたる」に寄る。
 
■正月旅行(天ヶ瀬温泉)(2009/12~2010/1)
103 天ヶ瀬温泉にて。暖房が弱くて震えるポーズ(笑)
 
■父の七回忌法要(2011/5)
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106 
 
■親族会社の株主総会(2011/6)
107 株主総会
 
■正月旅行(別府温泉)(2011/12~2012/1)
108 九州自動車道・基山SAで買物
 
109 「杉の井ホテル」に到着し、ランチタイム
 
110 チェックイン
 
■親族会社の株主総会(2012/6)
111 株主総会
 
■株主総会の翌日からは、女子衆(おなごし)による恒例の親族旅行(広島、宮島)(2012/6)
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■親族旅行(湯布院)(2012/8)
125 湯布院旅行
 
■正月旅行(嬉野温泉)(2012/12~2013/1)
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■親族会社の株主総会(2013/6)
133
 
■2014年正月(自宅)(2014/1)
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■2014年6月(熊本旅行(天草、黒川温泉))(2014/6)
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■2015年正月旅行(伊豆熱川温泉、河口湖)(2014/12~2015/1)
144 東伊豆・熱川温泉で初日の出を拝む
 
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■親族会社の株主総会(2015/6)
149
  
■親族旅行(えびの高原、桜島、宮之城温泉)(2015/6)
150 桜島(大隅半島)から鹿児島市(薩摩半島)に渡る桜島フェリーにて 
 
151 宮之城温泉「手塚ryokan」にて
 
■母の米寿祝い(2015/8)
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■生活スナップ(2015/8)
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■親族旅行(山口旅行(萩、角島)(2016/6)
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■湯布院旅行(2016/8)
 
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166 
 
■親族宴会(2016/8)
167
 
168 我が家の長男と母
 
169
 
170
 
■生活スナップ(2017/冬)
171

172
 
■親族旅行(鹿児島・指宿温泉)(2017/6)
173 日本最南端のJR駅「西大山駅」
 
174
 
175
 
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178
 
179
 
180
 
■我が家の長男の結婚式(東京「八芳園」)(2017/10)
181
 
■母の葬儀(2024/2)
182 通夜の前の控え室にて
 
183 葬儀が終わり、お別れの時
 
184 仏様となり、初七日の法要
 
185 葬儀、初七日の法要のあと、親族で夕餉の時
 
186 本家に設置された後祭壇
 

【要注意】ETC利用照会サービスを騙る偽メールに注意!!


【要注意】ETC利用照会サービスを騙る偽メールに注意!!
2024年1月23日(火) 晴れ
 
今朝、メールboxに、
  高速道路・ETCサービスからの重要なお知らせ(必ずご確認ください)
という標題のメールが届いていた。
メールの内容は以下。※ユーザーIDと赤字の注意情報は、私が加筆したもの。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いつもETC利用照会サービスをご利用いただき、誠にありがとうございます。
日本高速道路株式会社より重要なお知らせです。
ETC利用照会サービス(登録型)では、お客さまのアクティビティとセキュリティを確保するため、450日以内にログインがない場合、ユーザーIDを自動的にログアウトする仕組みを設けています。
解約予定日は「2024年01月23日」となっておりますので、お手数ですが、ログインと個人情報の更新をお願い申し上げます。
ユーザーID:私のメールアドレス
解約予定日:2024年01月23日
解約予定日までに下記のURLから本サービスにログインし、個人情報の更新をお願いいたします。
 
https://trmovie.com/login1.php ←絶対に、クリックしないで下さい!!
 
ログイン後に、お客様の登録情報を再確認し、必要な情報を最新の状態に更新してください。解約予定日までにログインいただければ、登録は継続されますので、ご注意ください。
■ETC利用照会サービス事務局
年中無休 9:00~18:00
電話番号 0570-001069
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
上のメール内容を見れば分かるが、「疑いの目」を全く持たずに読んだ場合、違和感が全く無く、騙されて指定されたURLをクリックしてしまいそうな巧妙な偽メールである。
 
私の場合、以下の2点が「変だ」と思ったので、偽メールだと疑ったのだが、「疑いの目」を持たずに「ス~」と読んでしまうと、引っ掛かりそうな巧妙な偽メールである。
 
【私の疑問点】
(1)私は、先月、車で帰省し、帰宅後に、「ETC利用照会サービス」にログインして高速道路の料金を確認したばかりだったので、
  「450日以内にログインがない場合」というメールが届く筈が無い。
 
 (2)私のユーザIDは、メールアドレスではない。
 
 (3)正しい相手であれば知っている筈の「私を特定する情報(氏名など)」が、メール内に表示されていない。
   ※メールアドレスは、普通に外に見える情報なので、誰にでも知られていると考えるべし。
    そもそも、偽メールが届く事自体が、私のメールアドレスが知られているという事なのだから。