徒然なるままに(2024.4.26)


徒然なるままに(2024.4.26)
2024年4月27日(土) 曇り
更新:2024年4月28日(日)
 
昨日の事について、書き綴ってみる。
 
❏うなぎ
 
数日前から、さいたま市在住の娘が帰省しているが、昨日の昼食は、親子三人でうなぎの蒲焼きを食べに行って来た。
昨年夏(土用丑の日)以来の鰻の蒲焼きである。
 
三島には、うなぎ屋さんが沢山あるが、昨夏に続き、今回も「うな繁」という店で食べて来た。
 
三島のうなぎ屋さんの中では、地元で一番人気なのは、多分、「桜屋(さくらや)だろうと思う。
ただし、この店は、いつ行っても待ち行列(実際は、行列では無く、来店受付したあとの沢山の客達が、店の外に屯(たむろ)している感じの風景)が出来ているので、車では行きにくい。
 
1 「桜屋」の風景(待ち客の風景、特上鰻) ~2014/7撮影~
 
次に人気だろうと思う店は、「うなよし」である。
この店には、大駐車場があり、観光バスでも駐車できる店である。
ここの「特上の大盛り」(多分、裏メニュー)を注文すると、物凄い量の鰻(二段重ね)と御飯(食べても食べても減らない量)が出て来る。ただし、40年近く前の独身時代の話なので、現在も「特上の大盛り」が存続しているのかどうかは分からないが。
「うなよし」は、現在、店舗改装中のため、「持ち帰り」営業しかやってない様である。
 
昨日は、「うな繁」の鰻重の写真を撮って、このブログにアップしてやろうと思っていたのだが、気が付いたら、食べてしまっていたので、取り敢えず、器の写真だけアップしておく(笑)。
 
2 「うな繁」の「特撰うな重(きも吸付)」
 
ちなみに、三島のうなぎは美味いと言う事で有名であるが、「三島産のうなぎ」と言う事ではない。鰻自体は、浜名湖など他の場所で捕れたものであるが、これを三島に運んで来て、富士山の伏流水で数日間泳がせる事で、臭みが取れて美味しいうなぎに変わるのである。これを「三島のうなぎ」と呼んでいる訳である。
 
三島市内には、「山本実生商店」という食材としての鰻の店があり、個人でも買い物が出来るので、我が家でも、年に一度は、ここで鰻(裁いた後の鰻)を仕入れて来て、自宅で焼いて鰻丼を作って食べているが、店で食べるのと変わらない美味い鰻が食べられる。
 
3 我が家で焼いた鰻の鰻丼。仕入れ元は、上述の「山本実生商店」
 
❏富士通について
 
昨日、富士通(企業年金関連の組織)からメルマガが届いていたが、株式分割(1株を10分割する事で、1株の単価を下げて買い易くする)の話が紹介されていた。
そこで、最近ご無沙汰している富士通について、ネット検索してみたところ、富士通の本社移転の話題が掲載されているのが目に入った。全く知らない話であった。
もう一つ、富士通社長の謝罪会見のニュースも目に入った。
 
富士通を退職して約11年経過したが、最近の富士通の状況を余り知らなかったので、その事を含めて、古巣の富士通について少し書き綴ってみる。
 
因みに、富士通株については、現役時代には「社内持ち株制度」を利用して、少しずつ給料天引きで買っていたと思うが、早期退職が決まった時点で、社内持ち株制度での自社株購入は打ち切り、そのあと、少し株価が上がった頃を見計らって、所有する富士通株を売却したので、トータルでは黒字だったと思う。
 
本社移転の話は全く知らなかったのだが、新橋(汐留シティーセンタービル)にある本社の移転計画が進んでいるらしい。
コロナ騒動以降、リーモートワークが進んだ結果、本社事務所への出勤率が10%程度まで減ったらしく、家賃の高い都心部での本社存続の重要性が減ったためらしい。
営業、SE、・・・等々の各部署の本部を一箇所に集めておく必要性も減少したんだとか。
 
移転先は、川崎工場、蒲田の事業所など複数の地区であり、本社機能を分散して展開するらしい。
蒲田の事業所と言えば、私が入社して最初に配属された部署の所在地であり、川崎工場と言えば、私が退職する時点での部署の所在地である。
毎朝、6時台の新幹線に乗って三島駅を出発し、品川駅でJR横須賀線に乗り換え、武蔵小杉駅でJR南武線に乗り換えて、隣の武蔵中原で下車して川崎工場に通勤したものである。
毎日、多摩川を4回(新幹線の往復+横須賀線の往復)渡っていた訳である(笑)。
 
汐留の本社と言えば、現役時代の管理職だった頃の話であるが、所属していた事業本部(ソフトウェア商品開発)の販売推進を担当していた時に、本部内ソフトウェア商品を沢山売って貰うために、社内の営業部門に販促活動を実施した事があり、流通系企業を担当する本社の営業部門の営業職の方々全員に、一人一人ご挨拶をして廻るという施策を実施した事がある。当時は、本社が汐留に移転した直後の時期だったと思う。懐かしい。
そして、その本部の本部長にもご挨拶をしたのだが、先方が、一瞬「あれっ」という表情をしたのを憶えている。その時には全く分からなかったのだが、後日、その理由に気づいたという事があった。彼は、入社時代に同じ会社の寮にいた人であり、寮で良く麻雀を一緒にしていた人だったのである。
彼が結婚のために退寮する際には、送別会をした事もあった。以下。
 寮の同期入社仲間の送別会(1979年3月)
 
社長の謝罪会見については、英国の郵便局で発生した冤罪事件について、会計システムの不具合が原因だったらしく、会計システムの開発を担当したのが富士通だったため、4月25日に、富士通の時田社長が謝罪会見をしたそうである。
 
この時田社長については、彼がまだSEだった頃の話であるが、私が管理職として担当していた部署で開発したソフトウェア商品を、ある生保会社にて採用して戴いたのだが、その生保会社の担当SEが時田さんだったので、お客様と事業部の間を繋ぐ役として、時田さんには大変お世話になったものである。
彼は、私よりも8歳下なので、当時はまだ若かったが、お客様からの信望も厚く、とてもしっかりした方だったので、行く行くは富士通を担っていく人材になるだろうと思っていたし、ある時、社内全社員に対するアンケートが実施され、「あなたが推す社内の人物を一人挙げてください」と言う様な主旨のアンケートだったが、時田さんの名前を書いたのを憶えている。まさか、社長になるとまでは思ってもいなかったが。
それから、私が沼津工場勤務時代だった頃の話であるが、時田さんが工場に出張して来られた際に、工場のタクシー乗り場で帰りのタクシー待ちをしていた時田さんを帰宅時に見かけて、車通勤だった私の車で、工場から三島駅まで送った事もある。
懐かしい話である。
 
❏恒例の通院
 
昨日の午前中は、恒例(毎月)の医者通いの日であった。30代後半に発症した糖尿病(薬は服用中)の経過観察である。
体重の方は、最高で90kg間際まで達した事もあるが、現在は60kg台まで減り、健全に近い状態まで落ちている。
血糖値の方も、かなり下がって来ているが、数ヶ月前より、医者の処方薬とは別に、市販の漢方薬も服用しており、実は、これが効いている様に私は思っている。
実は、これまで飲む回数を週に2~3回と節制していた好きなアルコールを、この2ヶ月、試験的に節制緩和して週に5~6日飲んでみたのだが、数値(血統値)の方は悪化するどころか、改善方向に変わって来たのである。但し、日本酒を飲むのは少な目にし、ワイン中心にして飲む様にはしているが。
 
と言う事で、通院を終えた昨日のランチでは、鰻重を戴きながら生ビールを飲み、夜には、缶ビール、赤ワイン(ピノ・ノワール)、日本酒(一ノ藏、量は控えめ)を夫婦で戴いた。
 
さて、今夜は何を飲もうかな・・・(笑)
 
【2024/4/28追記】
書き忘れたが、服用している漢方薬は、以下である。私の地元である福岡市の会社である。御参考。
 トーチラック
 同上(公式サイト)