東京脱出ならず! ・・・国1の旅(1/5)・・・


東京脱出ならず! ・・・国1の旅(1/5)・・・
時期:2005年9月10日(土) 09:55 晴天
追記:2022年10月21日(金)
 
国道1号線の始点・お江戸日本橋を出発。弥次さん喜多さんならぬ珍道中の始まりである。
 
1 「日本橋」 (2005.09.10撮影) 東京都中央区
 
 
日本橋交差点を右折、永代通りへ。この辺りは金融街。重厚な石造りのビルヂング(と書いてある)が並ぶ。何と、みずほ銀行は3つのビルが近接。伝統的なビルだけに、合併後(第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行)の事業所統合もここだけは敢えて手を付けないと言うことか。
 
大手門の手前を左折、日比谷通りへ。皇居を右手に見ながら進む。左手には赤レンガ造りの東京駅正面が目に入る。
 
2 「日比谷通りより皇居方面を望む」 (2005.09.10撮影) 東京都千代田区
 
3 「東京駅(丸の内側)」 (2005.09.10撮影) 東京都千代田区
 
お堀に沿って右折、晴海通りへ。右手に桜田門が見えてくる。ここで浪士たちが井伊大老を待ち伏せたのだろう。もっとも、最近は桜田門と言えば警視庁の別名になっているが。
 
【2022/10/21追記】
「桜田門外の変」は、國體勢力側により仕組まれた八百長劇であり、当然ながら井伊直弼は偽装死である。
井伊直弼は、近江・堅田衆の出身であり、國體が、彦根藩の藩主として井伊家に入れたものである。全て、日本という国の公儀政体への変更、開国、etc・・・と、新生国家に切り替えるための施策の一環である。安政の大獄、桜田門の変、大政奉還、明治維新、二天皇制(政体天皇:明治天皇(周防出身の大室寅之祐。大塔宮護良親王の皇子である興良親王の後裔)、國體天皇:本物の睦仁親王。孝明天皇の皇子、大塔宮護良親王の皇子である興仁親王(崇光天皇)の後裔)・・・全て、國體による計画的な施策である(落合莞爾先生は、これを「堀川政略」と名付けている。)。
因みに、井伊直弼は偽装死後にスイスに渡っている、子孫がスイスに在住と言う話を落合莞爾先生が話されていた。
 
4 「皇居お濠端」 (2005.09.10撮影) 東京都千代田区
 
5 「桜田門」 (2005.09.10撮影) 東京都千代田区
 
 
桜田門前交差点を左折、桜田通りへ。左手に赤レンガの建物が見える。通りがかりのお巡りさんに聞いたところ、「昔の裁判所」とのことであった。しかし、近づいてみると法務省と書いてある。まあ、似たようなものか。
 
霞ヶ関の官庁街に入った辺りで、どうも、ペタペタという音が鳴り始めた。何であろうかと足もとを良く見たところ、大ハプニング発生。しばらく履いてない靴を履いてきたためか、左の靴底のラバーが剥げ始めたのだ。途中の靴屋を見つけて新しい靴を買えば良いかと開き直り、再び歩き始める。そうこうするうちに、今度は右の靴からも何やら聞きたくない音が・・・。
 
6 「底のラバーが剥げかかった靴」
 
 
虎ノ門まで来たところで決断。左折して国1を外れ、新橋方面に向かう。新橋駅地下を一周したがスニーカーを置いてある靴屋が見つからない。仕方なく山手線で有楽町へ。ペタペタ音のする足を気にしながら、プランタン銀座横〜並木通り〜マリオンと徘徊するも、靴屋という靴屋は革靴しか置いてない。最後の望みを賭けビックカメラのスポーツ用品コーナーへ。しかしながら、置いてあるスニーカーはどれも足にしっくり来ず。またまた開き直り、ラバーを引きちぎって、このまま行けるところまで行くことに。
 
7 「ラバーを引きちぎった靴」
 
 
山手線で新橋まで戻ったところで時計は正午を回ってしまった。エネルギー補給のため、博多豚骨ラーメンを食べて一息入れる。虎ノ門の元の地点まで戻って国1の旅を再開。
 
神谷町を過ぎ、飯倉の交差点に入った辺りから左手にそびえ立つ東京タワーが目に入る。やがて赤羽橋の交差点。ここを左折すると職場の世界貿易センタービルに行けるのだが、そんなつもりは全くない。
 
8 「飯倉交差点からの東京タワー」 (2005.09.10撮影) 東京都港区
 
 
三田の街に入って来た。右手に慶應義塾大学の東門が聳えている。まさに聳えているという表現がピッタリくる重厚感のある建物だ。
 
9 「慶應大学東門」 (2005.09.10撮影) 東京都港区
 
 
白金台の上り坂。だんだん脚に乳酸が溜まってきたのか、それともラバーの付いてない靴で足裏からの刺激が無視できなくなってきたのか、足が重くなる。秘かに川越え(多摩川越え)を狙っていたが、とても持ちそうにない。「品川の宿」は越えたことだし、とにかく最低でも山手線の外側までは到達したい。
 
重い足を引きづりながら進むうちに、遙か向こうに山手線のガードが見えてきた。五反田の駅である。
 
10 「JR山手線五反田駅」 (2005.09.10撮影) 東京都品川区
 
 
山手線の外側に出ることができたので、喫茶店でも入って足を休めようと思ったが、国1沿いにはなかなか喫茶店もファミレスもない。そうこうするうちに、大井町線のガードをくぐり中延の街へ。祭りの囃子が聞こえてくる。もう秋なんだなあ。
 
11 「祭りの神輿」 (2005.09.10撮影) 東京都品川区中延
 
 
2時過ぎ、カミサンより励ましの電話が入る。大ハプニングの話をすると驚き、無理しないで帰って来いとの優しい言葉。環7を越えたかったので馬込まで頑張ってから帰ることに。
 
環7を越えたら、遙か先に新幹線のガードが見える。やはり、これを越えない手はない。もう一頑張りして新幹線越えを達成。次のチェックポイントである池上線交差点までは3キロ以上ある。都営浅草線も西馬込が終点であり、これ以上進むと帰路の交通手段が心配なので、本日はここで上がることにした。
 
地下鉄で新橋まで戻りJRで東京駅へ。電車を使うとアッと言う間であり、文明の利器というものを肌で感じた一日であった。
 
本日の歩行距離は、ハプニング対応の数キロを除き約15キロ。ゴールの三島までは、まだまだ110キロ以上。年内に完走いや完歩すればよいか。