東京23区の旅 (20) 文京区
2006年7月8日(土) 曇り
◆JR山手線・御徒町(おかちまち)駅を出発。 8:18
春日通りを西に進む。休日のこの時間だと、都会の町中でも、犬を連れて散歩する人の姿を見ることができる。
◆湯島天神 8:27
春日通り沿いにある湯島天神。学問の神様である。
階段を登って境内へ。この階段を夫婦坂と言うらしい。このほかにも、すぐ横に緩やかな女坂と、急勾配の男坂がある。
春日通りを進み、本郷三丁目交差点の手前から右折。右手には東京大学の古めかしい建物が見えてくる。
◆東大赤門 8:41
東大赤門。旧加賀藩主・前田斉泰(なりやす)が創建した門である。赤門には、この時間から既に観光客の姿が見られる。
赤門をくぐり、東大キャンパスに足を踏み入れる。これで私も、「東大に入った」と言えるかなあ。(^^;)
赤門から入った正面には、医学部本館の古い煉瓦造りの建物が建っている。
左に曲がってしばらく進むと、右手には弓道場があり、朝から袴を付けた部員たちが弓を引く稽古をしていた。
その奥の鬱蒼とした林の中に入っていくと、古池がある。三四郎池である。夏目漱石の小説「三四郎」の舞台になったことから、そう呼ばれるようになったとか。
三四郎池の林を抜けると、安田講堂がある。昔、全学連が全盛なりし頃、学生がここを占拠した事件があり、その影響で全学生が1年間留年、入学試験も1年間見送りということがあった。会社の先輩にも当時の留年を味わった人がいる。
キャンパス内には、おばあちゃんと一緒に遊ぶ子供たちの姿もあり、休日の朝は、東大キャンパスも公園化している様である。
正門を出て本郷の街へ。
◆太栄館(だいえいかん) 9:07
東大正門前の小路を入って行くと、右手に太栄館がある。高校の修学旅行で泊まった旅館である。
修学旅行の最後の宿泊地。羽目を外し過ぎて、帰校した後に色々と職員室に呼び出しの掛かる出来事がありましたね。幸い、私には呼び出しは掛からなかったが、当夜、女子の部屋に遊びに行ってトランプか何かしていた時に、消灯時刻が過ぎた頃に先生方の見回りがあり、慌てて押入に隠れたことがあったような。(^^;)
◆根津神社 9:23
東大グラウンドの先、根津の街にある根津神社。日本武尊(やまとたけるのみこと)が創祀(そうし)した由緒ある神社だそうである。
根津神社をあとに、千駄木(せんだぎ)の街を北上し本駒込(ほんこまごめ)へ。
吉祥寺(きちじょうじ)に立ち寄った後、本郷通りを北上し、不忍(しのばず)通りとの交差点を左折。ひたすら歩くとやがて右手に護国寺が見えてくる。
◆護国寺 10:28
護国寺。本堂に行くためには高い階段を登らねばならず、疲れた足には結構堪える。
境内では骨董市が開かれていた。
護国寺をあとに、さらに不忍通りを西に進むと、左手に日本女子大がある。
◆日本女子大学・豊明幼稚園 10:51
通りをはさみ、向かい側にあるのが、日本女子大附属の豊明幼稚園である。
東京ミニ同窓会でいつも会っている高校の同級生が、園長を務めていたので、近くまで来たついでに寄ってみたのである。
土曜日と言うことで、門が閉まっていたので、中には入らず外から拝見するだけにした。
◆小石川植物園 11:47
日本女子大をあとに、目白台の道を東に進む。
東大病院分院、お茶の水女子大と進み、教育の森公園に到着。隣接するこんもりとした公園・占春園(せんしゅんえん)を抜けた先に、小石川植物園がある。東大の植物園らしい。
広大な敷地の中には、背の高い大木の森や池のある日本庭園などがある。
◆小石川後楽園 12:53
小石川植物園から2㎞ほど南下すると、後楽園の地区に出る。
小石川後楽園。水戸徳川家の中屋敷であり、二代藩主・光圀(みつくに)が完成させたとか。
小石川後楽園の横にあるのが、野球でお馴染みのビッグエッグ・東京ドームである。
ドーム沿いに北側に抜け、白山通りに出てしばらく行くと、左手に柔道の総本山・ 講道館がある。と言っても普通のビルなので、外観からは道場といった雰囲気は全くない。
正面には、創始者・嘉納治五郎の像があった。
文京区シビックホールで一休みしたあと、地下鉄丸の内線で帰途につく。
今日は、曇の天気予報で雨を心配していたが、日差しがある暑い日となり、文京区を楽しく回ることができた。
昨年の11月に始めた東京23区の旅も20区を終了し、残すところは中央区、台東区、杉並区の3区となった。