ラマーズ法とは、元々、出産のための呼吸法らしい


ラマーズ法とは、元々、出産のための呼吸法らしい
1988年1月吉日
 
明け方6時頃、床の中で陣痛かも知れないと妻。それから30分後にまた痛みが走る。どうやら陣痛が始まったらしい。
入院の準備はもう2ケ月前から出来ている。病院に電話して医師と相談した結果、入院することになった。
朝食をとってから、私の運転する車で病院に向かった。途中、車の中で何度目かの陣痛が来た。妻は顔をしかめて痛みを堪えている。
 
幸い、希望していた個室が空いていた。早速、寝間着に着替え、妻は診察室に向った。
先生の診断では、産道の開き具合から明日の夕方頃だろうとの事。
部屋に戻ってからは、ひたすら陣痛の間隔が縮まるのを待つばかりである。明日の夕方までこの陣痛が繰返すのかと思うと気が遠くなる。妻は、ノートに陣痛の時刻をメモし続けている。
 
昼過ぎまで少しずつ縮まり続けていた陣痛間隔が、3時を過ぎる頃から逆に長くなった。
看護婦さんは、入院してから陣痛間隔が縮まらずに一旦家に戻る人もいるなどと言った話をしている。
 
夕方から、また少しずつ間隔が短くなって来た。面会時間は9時までのため、今夜は病室に泊まることにした。明日、会議の予定が入っているが、まあ会社の方で何とかしてくれるだろう。
 
11時を過ぎる頃から間隔が5分くらいになり、痛みが激しくなって来た。
それまで陣痛が過ぎるのをグッと堪えられていた妻が、耐え切れずにベッドの上で転がる様になった。ラマーズ法の呼吸法を始める。
ヒッヒッフーッ、ヒッヒッフーッ。これにより、痛みが少し和らぐらしい。ヒッヒッフーッ、ヒッヒッフーッ。
 
1時頃になると、妻はもうベッドの上でのたうち始めた。私はせいぜい横に付いるだけであり代わってやる訳には行かない。
背中から腰にかけてが痛いと言うので、マッサージを始めたら少し楽だと言う。
 
2時半に当直の看護婦さんが検温に来た。間隔も数分になったし痛みが激しいので、もう生まれるのではないかと訴えたが、産道の開きが十分でないので未だ未だだろうと看護婦さんは言う。
 
3時半頃、妻がトイレに行きたいと言ってトイレに入った。なかなか出て来ない。
そのうちに、中から妻の呼ぶ声。ドアを開けると生まれそうだと妻が言う。私は慌ててブザーを押して看護婦さんに来て貰った。
確かに、白い風船の表面の様な薄い膜が少し見えている。私と看護婦さんで妻の両肩を抱えて分娩室に入った。
 
ラマーズ法と言うと、夫が分娩に立ち会うものだと誤解されている面があるが、それはどちらでも良いのだ。ただし、立ち会う場合には夫の方も呼吸法を習って分娩時には産婦と呼吸を合わせる必要がある。
私の場合は、立ち会う予定ではなかったので、呼吸法のパパさん教室にも行ってない。しかし・・・、行き掛かり上、分娩室に入ってしまった。
 
看護婦さんは妻を分娩台に乗せたあと、おなかに帯の様なものを巻いて胎児の心拍数を測り始めた。そのうちに待機の看護婦さんがもう一人起きてきて慌ただしく準備を始めた。
私はと言うと、妻の頭の方に立って両手で妻の両手を握り合っている。ヒッヒッフーッではもう痛みは耐え切れない。
その場合は、ヒッフーッ、ヒッフーッである。
看護婦さんが呼吸法について適切な指示を出す。「旦那さんも奥さんに合わせてヒッフーッ、ヒッフーッ」。
 
痛みは最高潮に達している。呼吸は、ヒッフーッ、ヒッフーッではなく、フーッウッ、フーッウッである。
 
「いきんじゃダメ。フーッウッ、フーッウッで息を抜くのと一緒に全身の力も抜いて!」
 
看護婦さんの指示は適切である。私はそれに合わせて妻の耳元で、「力を抜いてフーッウッ、フーッウッ」。
妻もそれに合わせてフーッウッ、フーッウッ
 
いよいよ,薄い膜に包まれた赤ちゃんの頭が出て来た。ここからが先生の登場である。私は妻の頭の方にいるので先生の手元は見えないが、頭が出てからは意外と早く、クルッと回す様にすると赤ちゃんの肩から下が出てきた。まだ、白い膜に包まれている。
ビニールの筒の様なものを赤ちゃんの口の中に挿入し、筒の反対側を先生が口にくわえている。吸っているのか吹いているのかは分からないが、その直後ではなかったか、赤ちゃんが産声を上げたのは。
 
午前4時19分、2666グラムの女の児である。
 
ラマーズ法の習慣の一つにBondingと言うのがある。母親が生まれた我が子を分娩台の上で抱き、最初のスキンシップを交わす儀式である。
親子3人のBondingを看護婦さんがカメラに収めてくれた。
 
Bondingの後、私は看護婦さんに付いて分娩室を出、看護婦さんが産湯(うぶゆ)を使うのをガラス越しに見た。退院してからは、赤ちゃんのお風呂は私の役目である。
 
そして、13ケ月後・・・・・再び、私は分娩室に立っていた。
 
「長女誕生」 (1988.01.15撮影) 静岡県三島市内の産婦人科にて