こんなところがあったのか・駒込 ・・・山手線一周の旅 (1)
2005年11月3日(木) 晴れ
山手線は、元々は「やまのてせん」と呼ばれていたが、戦後、GHQが駅名にローマ字表記を付加した際にYAMATEと表記したために、以後は「やまてせん」となったらしい。
しかし、1971年に国鉄が、今度は路線名を正しく読ませるように、ひらがな表記を付加することとなり、昔の「やまのてせん」を復活させたとか。
◆1 東京(とうきょう) 8:15
休日の朝、東京駅の構内は、ツーリストの率いる団体客で一杯である。まずは、丸の内側に回って、赤レンガの駅舎を記念撮影。いつもなら朝のラッシュで賑わう丸の内も、休日の朝は静か。
線路沿いに北に歩き、永代通り(国道1号線)方面へ。ガード下には、サラリーマンのお昼の友・安い食堂が並ぶ。
《日本銀行》
常盤橋を渡ると、あの日本銀行の重厚な建物が目に入る。伊藤博文さん(旧千円札)の裏面に描かれていたアレである。夜になるとライトアップされて、とても綺麗な姿に変身する。
◆2 神田(かんだ) 8:40
神田の駅近辺が神田の町だと思っていたのだが、どうも神田というのは、町名ではなく、この一帯の地域を言うらしい。それが証拠に、町の名前は、神田須田町、神田淡路町、・・・と言う具合にどこも神田である。実は、秋葉原も神田である。
《万世橋(まんせいばし)》
つい最近まで、「ばんせいばし」だと思い込んでいた。お恥ずかしい。下を流れるのが、あの神田川である。
橋のたもとには交通博物館がある。この橋を渡ると秋葉原の電気街が広がっている。
昔、会社の先輩に何度か連れて来てもらったアンコウ鍋の老舗「伊勢源」。冬場には寒い中を行列ができる店である。あん肝が美味かったなあ。
◆3 秋葉原(あきはばら) 9:05
若者の間では「アキバ」と呼ばれるこの街。いつ来ても人人人で一杯の街だが、さすがにこの時間はまだ歩く人も疎ら。
そんな中、ゲーセンの様なパチンコの店の前には若者の長蛇の列が出来ている。何か、情けない思いがするのは私だけだろうか。
◆4 御徒町(おかちまち) 9:23
中央通りを松坂屋の手前で右折するとJR御徒町駅(南口)が見える。まだまだ目覚めたばかりの朝の空気。
《アメヤ横丁(アメ横)》
この時間では、まだまだ活気が出るほどの賑わいにはなっていないが、海産物、乾物などを中心に大方の店は開いている。
年末には、この通りが人出で歩けないほどになるらしい。私にはちょうど西新の街(福岡市早良区)とダブってしまう。
◆5 上野(うえの) 9:33
アメ横を抜けると、もう上野である。
公園口の方まで坂を登り、記念撮影。左に折れて上野公園に入る。休日とあって、駅からは人が続々と押し寄せてくる。
《不忍池(しのばずのいけ)》
上野には何度か来たことがあるが、不忍池を訪れるのは初めてである。
それにしても、目の前に広がるのは、背丈1メートルくらいの蓮ばかり。水面など全く見えず、思い描いていたイメージとは大きなギャップ。
まあ、せっかく訪れたので少し池の周りを歩くことに。
池を二つに分ける中道に出たところで、景色は一変。中道の左側(北側)は綺麗な水面が広がり、カルガモが沢山泳いでいた。
北側と南側の違いは何だろう。自然の悪戯か、それとも人間の悪戯か?
再び上野公園に入る。左手には有名な「上野精養軒」がある。
人の流れを逆行して、再び上野駅公園口に戻り、山手線に沿って内回りの旅を再開。
しばらく歩くと寛永寺が見えて来る。中では何やら法要が営まれていた。
ここから先は、お寺や墓地が多い。
《寛永寺(かんえいじ)》
◆6 鶯谷(うぐいすだに)
寛永寺を後にして少し進み、忍岡(しのぶおか)中学校を右折して緩やかな坂を下ると、そこに鶯谷の駅がある。上野との駅間は非常に短い。
記念写真を撮ったあと、再び、忍岡中学校の交差点(T字路)まで戻り、右折して柵に沿って歩く。柵の内側(道の左側)は国立博物館である。
道なりに進み上野中学校の手前を左折すると、右手に国際こども図書館、黒田清輝記念館が在る。その先の四つ角の信号を右折して少し進むと、道の左右に東京藝術大学の門がある。右側の門が藝大の音楽学部、左側の門が藝大の美術学部である。
藝大と言えば、昔は、美術学部は貧乏学生、音楽学部は裕福な家庭の子女と言われていたそうだが、今はどうなのだろう。
《谷中(やなか)霊園》
日暮里の駅に向かう途中に谷中霊園がある。入口には、石材屋、花屋などと並んで、豆腐屋などもあり、昔の街がそのまま残っている様な雰囲気の街である。
単に通り抜けるだけと思っていたが、「徳川慶喜の墓」という標識が目に入り、ちょっと立ち寄って行くことにした。迷路のような道を標識に従って進んで行くと、ようやく慶喜の墓があった。手を合わせて合掌。
谷中霊園の通りを抜けると、右手に護国山天王寺があり、釈迦如来像が見えたので写真を撮らせて戴いた。
◆7 日暮里(にっぽり) 11:15
谷中霊園を抜けて階段を下りると日暮里の駅である。ここは、JRと京成(けいせい)線が接続している。
東口の方に降りてきたら、駅前に馬に跨った銅像を発見。近づいてみると、太田道灌の像とか。しかし、日暮里と太田道灌の間には、どういう関係があるのだろう。
◆8 西日暮里(にしにっぽり) 11:30
線路沿いに狭い道を進むと、すぐに西日暮里の駅に到達。ここの駅間も短い。
ガードを抜けて真っ直ぐ進めば千駄木(せんだぎ)の街に入るのだが、今日は寄り道はやめておく。
◆9 田端(たばた) 11:42
山手線を見下ろしながら丘の上の道を歩く。東北・上越新幹線が山手線と併走している。
いくらも歩かないうちに、田端駅の南口が見えて来た。田端は北区になる。電車で通過することはあったが、こうして北区に足を踏み入れたのは初めてではなかろうか。
◆10 駒込(こまごめ) 12:10
この辺りはアップダウンが多い。駒込の駅前には賑わいがあり明るい街のイメージがある。
《六義園(りくぎえん)》
少し歩くと六義園がある。紅葉にはまだ早いが、せっかくなので立ち寄ることにした。
ここは、柳澤吉保の庭であったとのこと。それにしても、広大な敷地であり、見事なお庭である。
高々、将軍の一用人であったのに、よくぞここまで権勢を得たものかと感心する。
六義園の裏手は、閑静な高級住宅街である。どのうちも敷地が広く、立派な建物が並ぶ。
街の一角にはフランス料理の小さな店もあり、駒込の人達が常連となって通うのだろうか。
高級住宅街と言ったら田園調布か成城くらいしか知らなかったが、駒込もなかなか雰囲気が良い。
◆11 巣鴨(すがも)
駒込の街並みを抜けると、すぐに巣鴨の駅である。
巣鴨と言えば、ご存じのとおり、おばあちゃんたちのメッカ、とげぬき地蔵があるところである。駅から地蔵通り商店街までの道は、大変な人通りの多さに驚かされる。
《とげぬき地蔵》
商店街は、すいすいとは歩けないほどの人出。道の両側には、塩大福や甘味処、年配向けの衣料品など、お婆ちゃん向けの商品がズラリ。物色しているのもお婆ちゃんばかり。まあ、ここに来るのが本当に楽しいのだろう。
昼食を取るタイミングがなかなか無く、1時を回ってしまったので、昼食は遅めにすることにし、繋ぎにと蜂蜜入りソフトクリームを食べる。なかなかの美味であった。
◆12 大塚(おおつか) 13:50
大塚の駅。都電荒川線が走っている。
福岡の町は、もう30年近く前に廃止になったが、ここには、まだ路面電車が残っている。
次は、いよいよ池袋。お昼を食べる店がだいたい頭の中で固まった。
◆13 池袋(いけぶくろ) 14:33
池袋駅の手前に来て、そろそろ、店を探す算段をすることに。と言っても、情報としては店の名前しか分かっていない。その名は「大勝軒」。ラーメン通の間では一・二位を争う人気とか。お薦めはつけ麺らしい。
電話ボックスに入って電話帳を調べ、店名から住所を調べる。「東池袋4-28-3」、地図を見たところ、池袋サンシャインビルの少し先辺りらしい。とにかく人の流れに乗ってサンシャインの方向へ。
《大勝軒(だいしょうけん)》
あった、場末の汚いラーメン屋である。しかし、この時間で、まだ10人以上の待ち行列が出来ている。最後尾に並ぶ。
しばらくすると、若い店員が先に注文を取りに来た。そのうち、店から大将が出てきて、「ツユが無くなったから、そこで打ち止め」との指示。私の次の人までで本日は終了とのこと。ギリギリセーフ。
30分ほど並んだあと、いよいよ店内へ。薄汚い狭い店内。大龍軒(福岡:城南高近くの店)の半分以下しかない狭さである。
出てきたのは、暖かいツユ椀と丼に山盛りのちぢれ太麺。
最初に、一口、ツユの味見。「ウン?」、そして、麺をつけて一気にすする。「ウーン」。
元々、私は、つけ麺は好きな方ではない。途中でツユが冷たくなってくるし、味は麺に浸みないし。何でワザワザ麺とツユを別々に分けて食べる必要があるのだろうと疑問に思っていたのだが・・・。結果はここでは書かないことにする。興味ある方は一度お越しあれ。
《東京音楽大学》
池袋から、雑司ヶ谷(ぞうしがや)方面に抜ける。東京藝大に続き、東京音大にも寄ってみることにした。
音大と言えば昔は桐朋音大が第一と言われていたそうだが、最近では、ここ東京音大が演奏家の育成に力を入れているとのことであり、今年の日本音楽コンクール・ピアノ部門の1位は東京音大生が獲得している。
実は、高3の娘が、東京音大(ピアノ)の受験に挑戦する予定なのである。
ちょうど門の前を歩いている時に、カミサンより「今どこ?」の電話。今日は、カミサンも音楽会を聴きに東京(四谷)に来ている。
帰りに落ち合って一、緒に帰ることにした。
◆14 目白(めじろ) 16:18
辺りも暮れてきて、街灯に灯りがともり始めた。
目白駅。綺麗な駅。正面には学習院大学の門がある。中は学園祭で賑わっていた。
そろそろ上がっても良い時間なのだが、カミサンからの連絡が未だのため、もう少し進むことにした。
◆15 高田馬場(たかだのばば) 16:33
後に赤穂浪士・堀部安兵衛となる中山安兵衛が、仇討ちの助太刀をしたことで有名な高田馬場。今は早稲田大学の玄関口である。
西武新宿線の駅とJRの駅が隣接しており、駅前は結構賑やかである。
あと2駅で新宿である。今日は、新宿まで頑張ってみるか。
◆16 新大久保(しんおおくぼ) 16:58
三遊亭圓歌師匠(三遊亭歌奴)の新作落語でお馴染みの新大久保。どもりのある駅員さんが、「たかだのばば」をなかなか言えず、どもっているうちに電車が新大久保に着いてしまったという「落ち」である。
新大久保の駅。どっぷり日が暮れて、もう夜。さすが11月ともなると日が短い。
線路沿いに暗い道を進む。先には、西武新宿線のターミナルビル、その向こうには新宿副都心の高層ビル街が聳えている。
昔、良く、この西武新宿駅から電車に乗って、西武所沢球場に通ったものだ。そう言えば、カミサンとの初デートもこの電車に乗って所沢球場に行ったような・・・。
小雨が降ってきた。新宿に着いたのでビックカメラに入って時間を潰す。
しばらくして、カミサンからの「音楽会終わった」の電話。
◆17 新宿(しんじゅく) 17:35
地下のJR新宿駅西口より入り、中央線で東京駅へ。
本日の訪問駅は17駅。残すところ、あと12駅である。距離は分からないが、半周くらいはしたのだろうか。
今回は、ゆっくり歩き、いろんな所にも寄り道をして、新しい東京を発見できた。
次回は、雨が降らなければ、11月12日(土)に新宿駅から再開の予定である。
(つづく)