追憶(5) カメラ
2012年6月23日(土) くもり
更新:2023年10月15日(日)
今日は、いかにも梅雨と言った どんよりと雲が立ちこめる天候である。
東京に住んでいる長男が、久しぶりに帰ってくると言うので、今日は夫婦ともに、自宅で過ごしている。
今週の水曜日、約5年間、同じ職場で一緒に働いた先輩が定年退職された。
2年半後には、同じ様に定年を迎える私としては、「いよいよかぁ」と感じるところがあった。
そして昨日、同じく、5年間お世話になった会社の最後の出勤日を迎えた。
この会社は、親会社から5年前に「出向」して来た会社であり、2年半前には、「出向」から「転社」になり、正規の社員となったのだが、本当に先のことは分からないもので、来週の月曜からは、再び、5年前まで在籍してた親会社に「転社」と言うことになったのである。
この先、何事もなければ、2年半後には、新入社員として入社して以来30年働いた親会社で、定年を迎えることになる。
さて、本日は、カメラの思い出について話をしてみよう。
私が初めてカメラを買ったのは、入社2年目の秋であった。
買った店は、はっきりとは憶えていないが、新宿のヨドバシカメラか、さくらやかの、どちらかであったと思う。
両店の間を行ったり来たりして、値下げ交渉をして、最終的に、最安値を先に提案して来た店から購入した様に記憶している。
ちなみに、どうやらさくらやの方は、2年前に廃業してしまったらしい。
買ったのはキャノンAE-1という、当時の人気商品である。
当時は未だ、オートフォーカスなどと言った便利な機能は無かったので、自分でピントを合わせる必要があったのだが、ファインダーを覗いても、果たしてピントが合っているのか、まだ甘いのかが分からず、慣れるまでの間は、ピンボケ写真をかなり撮ったものである。
会社の寮に、写真を趣味にしている同僚がいたので、色々と教えて貰ったり、撮影会に連れて行って貰ったりするうちに、少しずつ、腕前が上がった様に思う。
レンズは、しばらくの間は、AE-1に標準装備されていたものを使っていたが、至近距離(数10cm)の被写体を撮影することの出来る接写レンズの存在を知り、マミヤ製の接写レンズを購入して、雑誌のグラビアなどを接写レンズで撮る楽しみを覚えた。
撮影会に行く様になると、モデルさんのアップを撮るために望遠(ズーム)レンズが欲しくなり、同僚が新しい望遠レンズを買う時に、お古を安く譲って貰いゲット。これで撮影の幅が広がった。
今でこそ、スマホのカメラでさえ、接写機能やズーム機能が当たり前の様に装備されているが、当時は、「接写」も「望遠」も、別々のレンズを買わなければならなかったものである。
そして、望遠レンズが手に入ると、今度は、いちいちレンズを付け替えなくても済む様に、2台目のカメラが欲しくなる。
そこで、2台目に購入したのがキャノンA1である。AE-1の上位機種であり、ブラックボディーが恰好良かった。
1985年に、ミノルタが本格的なオートフォーカスカメラを発売してから、世の中のカメラはオートフォーカスの時代に入った。
ミノルタと言えば、多分、オートフォーカス時代より前の話だったと思うが、当時、ミノルタのCMに抜擢されたのが、熊本大学に在学中だった宮崎美子さんである。
「今のキミは、ピカピカに光って〜」というCMソングで、宮崎さんがジーンズを脱いで水着に着替えるシーンが、思い出される。
ピント合わせが苦手であった私としては、オートフォーカスに魅力を感じてはいたのだが、1983年に静岡県の沼津に転勤してからは、撮影会に行くこともなくなり、カメラで撮影する機会が減っていたので、すぐにオートフォーカスを買うことは無かった。
私がオートフォーカスを買ったのは、1987年。
新婚旅行を目前にして、ビデオカメラと共に、オートフォーカスカメラ・キャノンEOSを買った。
新宿のヨドバシカメラ、さくらや、カメラのドイを回り、値切って値切って、「ビデオカメラと一緒に買うから負けろ」と言って、大幅値引きさせて買った店が、地元福岡から東京に進出していたカメラのドイである。
これで、私もようやく、ピンボケから解放されることと相成った。
結婚して、子供が出来て、写真を撮る機会が増え、しばらくはEOSを使っていたのだが、ついに寿命が来たのか、写真が正常に撮れなくなってしまったので、やむなく、コンパクトカメラを購入。
一眼レフではないし、私が自身で撮る回数も減っていたので、このカメラには、さしたる愛着もなく、メーカーもカメラの名前も憶えていない。
そして、1990年代の後半から、市場に出始めたのが、デジタルカメラ(通称デジカメ)である。
しばらくは、購入意欲もなく、全く気にしていなかったのだが、デジカメを注目するキッカケになったのが、年賀状である。
この頃の年賀状と言えば、家族写真(のネガフィルム)をカメラ屋さんに持参して、有料で年賀状(通信面)を印刷して貰うと言うのが、一般的なパターンであったが、
「家族写真をデジカメで撮影していれば、自宅のプリンタで年賀状印刷が出来るので、カメラ屋さんに印刷依頼するよりも、かなり安上がり。」
という話を、職場の後輩から聞き、2001年に、遂にデジカメを購入することにしたのである。
購入したのは、オリンパスC-3040ZOOMと言うコンパクトデジカメである。
パソコンで画像管理出来るし、プリンタで綺麗に印刷出来るので、年賀状に限らず、全ての写真について、それまでの現像、焼き付けと言った出費が無くなり、良いことずくめのカメラであった。
ただし、1点だけ難点があった。
それは、一眼レフのカメラに慣れた私には、「シャッターを押す」のと「実際にシャッターが切れる」のとの間に、微妙なタイムラグ(時間差)がある事に、違和感を覚えるのである。これだけはどうしようも無かった。
そして、2004年の秋、市場に出回り始めたデジタル一眼レフカメラを購入。
私としては、初めて購入するニコンのカメラである。その名はニコンD70。
一眼レフだからかどうかは知らないが、上に書いた「シャッターの時間差」は全くなく、昔のフィルムカメラの様に、シャッターを押せば即時にシャッターが切れるので、問題解決である。
このカメラは、かなり使い込んだ。
最初に撮ったのが立山黒部アルペンルートの紅葉である。
実に綺麗で感動的な写真であった。
その後も、ウォーキングの際には、必ず首に掛けて歩いたし、旧東海道を歩いた時にも、随分と活躍してくれた。
しかしながら、2010年の秋、「撮影した写真が、メモリカードに正しく保存されない」と言うトラブルが発生し、1度目は「修復ソフト」を使って画像データを修復できたものの、2度目は修復出来ず、旅行の写真が没となってしまった。
恐らくは、メカ(ハードウェア)の問題ではなく、デジタルデータをメモリカードに書き出す内蔵アプリケーション(ソフトウェア)の問題では無かろうかと思うのだが、もう恐くて使う訳には行かないので、新しいカメラを買うことにした。
買ったのは、ニコンD3100。レンズは標準装備のもの+望遠レンズを追加して購入した。
最初は標準装備のレンズを使ってみたのだが、どうもピントが今一の様に思えたので、ニコンD70で使っていたレンズを外して、ニコンD3100に装着して使ってみたところ、これがバッチリ。
以来、今でもこの組合せで使っている。
望遠レンズの方は、買ってはみたものの、やはり外出中に外でレンズ交換するのには抵抗があり、しばらくは使わずに置きっ放しにしていた。
そして今年の3月、銀婚記念の北海道旅行を控えて、望遠レンズを遊ばせておくのは勿体ないと思い、思い切って2台目のデジタル一眼レフをゲット。ニコンD5100である。
機能的には、D3100と殆ど同じであるが、標準レンズと望遠レンズを交換することなく同時に使える様になったので、シャッターチャンスを逃さずに撮影でき、言う事なしである。
と言う訳で、しばらくは、ウォーキングの際に、カメラを二つ首からぶら提げて歩くことになりそうである(笑)。
【2023/10/15追記】
以下の方々の写真を、雑誌グラビアから接写して掲載していたが、著作権、肖像権などに抵触する可能性があるため、本日、掲載から外した。
・アグネス・ラム
・浅野裕子
・浅野温子
・相本久美子
・紺野美沙子