続・東京23区の旅 (4) 世田谷区


続・東京23区の旅 (4) 世田谷区
2011年7月23日(土) 晴れ
更新:2023年8月15日(火)
 
「続・東京23区の旅」は夏場のため中断中であり、涼しくなる9月までお休みする予定であったのだが、台風が去った後のこの数日は、秋の到来かと思わせる様な涼しい気候が続いているため、このウォーキング日和を逃す手はないと今朝になって急に思い立ち、本日、23区の旅を実行することにした。
今回の「続・東京23区の旅」は四日目、世田谷区である。
 
三島始発8:49の新幹線こだまで三島を出発し、品川で山手線に乗り換えて渋谷へ。
本日のスタート地点は、世田谷区ではないが、調布市の仙川にした。
ところが、京王・井の頭線渋谷駅のホームに入ったところ、放送で京王線が人身事故により運転見合わせ中とのアナウンスが入ったため、急遽、スタート地点を井の頭線の久我山(杉並区)に変更した。6年前の最初の東京23区の旅(世田谷区)の時のスタート地点である。
 
各停の電車で渋谷を出発し、電車が下北沢のホームに入った時に、本日のゴールが下北沢であったことが頭をよぎり、それならコースを逆に回れば良いではないかと瞬時に考え直し、あわてて下北沢で下車。
 
下北沢は、乗り換えでホームに降りたことは何度かあるが、下車するのは初めてである。
下北沢と言えば、TVドラマ「北の国から」の中で、竹下景子さん扮するちゃんが、恋人(村井国夫さん扮する不倫相手)に手編みのマフラーを渡しに行くシーンを思い出す。大晦日に、奥さんと一緒に買い物に来ていた恋人が、不倫相手のに気づき、彼女がマフラーの入った紙袋を店先の地面に置いて、目配せしながら立ち去るのを見て、奥さんに悟られない様に店先に近づいて紙袋を拾い上げるのだが、マフラーに自分のイニシャルが編み込まれていたのを見て、(イニシャル入りマフラーだと、奥さんから怪しまれる危険性を考えて)そのままマフラーの入った袋を元の場所に置いて立ち去るというシーンである。私が初めて下北沢という街の存在を知ったのは、このドラマを見た時である。
 
下北沢の商店街は、それほど大きくはないが、縦横に通りが広がっている。南方向に商店街を歩き、代沢小学校のところから北沢川緑道に入る。
北沢川緑道は、以前に歩いたことのある緑道であるが、名前のとおり、元は北沢川という川だったところを埋め立てて出来た緑道である。東京湾に流れ込む目黒川は、池尻大橋の少し上流の地点で北沢川と烏山川(からすやまがわ)が合流しているところが起点であるが、現在は、地上に姿を現すのは池尻大橋から下流であり、上流は、池尻大橋からこの合流ポイントまでが「目黒川緑道」、その先が「北沢川緑道」と「烏山川緑道」に分岐している。以前歩いた時は、池尻大橋から出発し、目黒川緑道、北沢川緑道と歩いて、芦花(ろか)公園で折り返して、今度は烏山川緑道を歩いてこの合流ポイントまで戻って来るというコースであった。
 
本日は、北沢川緑道を上流に進み、小田急線・豪徳寺駅のところで緑道を外れて最初の訪問地である豪徳寺に向かった。
豪徳寺は、桜田門外で暗殺された井伊直弼(いいなおすけ)の菩提寺であるが、招き猫発祥の地としても有名である。
 
【2023/8/15追記】
井伊直弼と言えば、実は、國體ワンワールド勢力側の人であり、堅田衆(近江)の中から抜擢されて井伊家に入ったと落合莞爾先生より伺っている。彼は、幕末に、日本の進路を近代(開国、etc)に向けるために動いた人物である。「安政の大獄」はそのための準備を進めるために、主要人物達を(表向きには)蟄居閉門という形で隠密に自由に動ける様にし、京都学習院に集めて議論を進め、開国、日本の近代化を実現するために動いた人物である。
勿論、「桜田門外の変」は八百長芝居であり、彼は死んでいない。偽装死後の彼は、スイスに渡って国際金融の仕組み作りに携わったと落合先生から伺っている。原資は勿論、國體黄金ファンドだろうと思うが。彼の子孫もスイスにいると落合先生が言われていた。
 
豪徳寺駅から東急世田谷線沿いに南下し、裏門から入るべく豪徳寺の塀を左回りに歩いたのだが、裏門が閉鎖されていたため、結局、豪徳寺の敷地をほぼ一周することとなり正面門に回る。5年前に訪れたときは新しかった三重塔も、今回は少し落ち着いた色に変わっていた。
 
1 京王井の頭線・下北沢駅前
 
2 北沢川緑道
 
3 豪徳寺の表門
 
4 豪徳寺の三重塔
 
5 豪徳寺の招き猫
 
 
次は、豪徳寺の北を走る烏山川緑道を歩いて芦花公園まで行こうかと考えたが、烏山川緑道がちょうど補修工事で歩けない状態だったので、そのまま南下して馬事公苑(ばじこうえん)に向かう。
馬事公苑前に来た時点で、ちょうどお昼の時間となったので、ロイヤルホストで先にランチを取ることに。
6年前に馬事公苑を訪れた時は、裏側から近づいたため入口が見つからず、結局、塀沿いを歩いただけに終わってしまったため、中に入るのは今回が初めてである。
 
馬事公苑はJRA(日本中央競馬会)が運営する施設であるが、中には馬が走る小さなコースと厩舎(立入禁止)があるだけであり、本日は外に出ている馬の姿が一頭も見えなかったので、ただのだだっ広い敷地という印象であった。
 
7 馬事公苑(正面)
 
8 馬事公苑内
 
馬事公苑をあとに、次の訪問地・(きぬた)公園へ。こちらも6年ぶりの訪問であるが、カミサンにとっては初めての訪問である。
 
東名高速が横を走る砧公園は、都内の公園の中でも屈指の広さであり、中を歩いているうちに方向感覚を失ってしまい、自分が今どこを歩いているのか分からなくなってしまった。
それでも、東名高速が見える地点に来て、ようやく現在地を把握。
公園内の奥の広場には、競泳用の様なパンツ1枚だけを着けた裸の状態で、芝生に寝そべって日光浴している男性の姿があちこちで目に入る。田舎町の三島では考えられない光景である。
 
9 砧公園内の風景
 
砧公園の次は、祖師谷(そしがや)通りウルトラマン商店街を北上して、芦花(ろか)公園を目指す。
この通りの商店街は、ところどころ店が疎らになる部分があるものの、京王線・千歳烏山駅近くまで延々数キロに及ぶ。
名前にちなんで、通りの街灯はウルトラマンの大きな目をデザインしたものであり、柱には、エネルギーが残り少なくなった時に点滅するあの胸の青いランプまでデザインされている。
 
10 ウルトラマンをデザインした街灯
 
11 ウルトラマン商店街
 
芦花公園に着き、冷たい飲み物で一息つく。
体力は、まだまだ残っているものの、久しぶりの長距離ウォーキングとあって、どうやら足の裏にマメが出来てしまい、歩くと痛みを伴う様になってしまった。今夜は、帰宅してマメを潰して溜まった水を抜く必要がありそうである。
 
芦花公園(蘆花恒春園)には、徳富蘆花と愛子夫人の住まいが残っており、中を見学できるようになっているが、私は以前見学しているし、カミサンが「いい」と言うので、今回は立ち寄らずにそのまま京王線芦花公園駅に向かう。最後の訪問地・仙川(せんがわ)に向かうためである。
仙川までは、芦花公園から歩いても僅か2キロくらいの道のりであるが、マメの出来た足では歩くのはチト辛いので、電車で行くことにした。仙川までは2駅である。
 
12 芦花公園
 
仙川は、先日、TVでも紹介されていた最近人気のスポットであり、桐朋音楽大学がある街でもある。音大出のカミサンとしては、一度は行ってみたいと言っていた街である。私にとっては仙川は4回目であり、1ヶ月前に高校の同窓会で訪れたばかりである。
 
新しくできた小径と昔からある商店街を歩いたあと、JUNと言うカフェで休憩。この店は、先日の同窓会の時に立ち寄った店である。
私は柚子レモンスカッシュを注文したが、カミサンはクリームココアとコーヒーゼリーのどちらにするか迷っていたので、両方頼めばと私が言って両方注文。
コーヒーゼリーの方は、太いストローで吸い上げる様になっており、強く吸わないとゼリーが上がって来ないが、気をつけないと急に口にゼリーが飛び込んで来てむせてしまう。
 
13 京王線・仙川駅前
 
14 コーヒーゼリーを飲む時は細心の注意を(笑)
 
15 仙川の商店街
 
久しぶりのウォーキングとあって、いささか疲れてしまった。仙川から、京王線、JR中央線と乗り継いで、東京駅から新幹線で帰途に着く。
 
また暑い夏が戻ると思うので、次の東京23区の旅は多分、9月になってからと思う。