正月帰省1978



正月帰省1978
時期:1977年12月30日(金)~1978年1月4日(水)
更新:2022年8月26日(金)
 
年末年始休暇に休暇1日を付加して、就職後初の正月帰省。通算4回目の帰省である。
 
【行程】

実家    
(福岡市)
往路:富士通寮~江田駅~[東急田園都市線]~自由が丘駅~[東急東横線]~田園調布駅~[東急目蒲線]~蒲田駅~[国鉄・京浜東北線]~東京駅~[国鉄・東海道新幹線、山陽新幹線]~博多駅~[バス]~実家
復路:往路の逆コース

交際中だった成澤さんより大晦日に電話を貰い、三姉妹で志賀島に初日の出を見に行くが一緒にどうかとのお誘いを受けたが、我が家では大晦日は家族で過ごす習慣があったので辞退した。
成澤さんとは、年明けに天神で待ち合わせて会うことにした。
 
年が明け、天神にて3ヶ月ぶりに成澤さんと再会。成澤さんから切り出された話は・・・・・。
 
まあ、色々とあって、交際には一旦終止符を打つ事になった。その後、成澤さんと再会するのは二十数年後の2002年6月となる。
姪の結婚式で私が帰省した際に、高校の親友である出口君が私のために人を集めてミニ同窓会を企画してくれたのだが、その二次会に成澤さんも参加してくれて再会。
その時に、旦那様との馴れ初めや、旦那様が修行して出家し仏門に入られた事など、積もる話をしてくれた。
 
2011年5月、ゴールデンウィーク帰省した時に、また出口君がミニミニ同窓会を企画してくれたのだが、参加予定だった成澤さんが急に参加できなくなったとの事だったので、宴会場から成澤さんに電話して各参加者が順番に交替して電話で話をした。その際に、私が「また次の機会に会いましょうね」と言ったら、「生きとったらね」という言葉が返って来たのである。その時は冗談だと思ったのだが、翌月、仙川(京王線沿線)にて関東在住の高校同級生のミニ同窓会があった時に、成澤さんが病気静養中だという話を聞いて、あの時の言葉は冗談では無かったのだと分かった。
 
翌年、成澤さんが病気治療のために東京の病院に入院されているという知らせを聞いたので、会社の帰りにお見舞いに行き十年ぶりに再会したのだが、その翌月、成澤さんは他界された。