高校の同級生と渋谷の高層ビルでお食事会


高校の同級生と渋谷の高層ビルでお食事会
時期:1977年8月(日付不詳)
更新:2022年7月23日(土)
 
誰からだったかは憶えていないが、東京に出て来ている城南高校の旧2-1組の同級生が集まり食事をしようと言う話が持ち上がり、私は旧2-1組では無かったが誘われたので参加した。参加メンバと当時の交友関係から推測すると、誘ってくれたのは、6月に小串君達と一緒に食事をした黒瀬優子さんではなかったろうかと思う。
 
食事は、渋谷の駅から少し坂道を登ったところにあった高層ビル・東邦生命ビルの最上階にあるレストランである。現在は、東邦生命が売却して別の企業がリニューアルした「渋谷クロスタワー」というビルになっているらしい。
 
参加メンバは、3年のクラスメイトだった山下洋君、クラスは違ったが同級生の寺崎広嗣君、6月に一緒に食事をした黒瀬優子さんと松本美帆さん、この日が初顔合わせと言っていい静間孝子さんの6人(男女各3人)。私以外の5人は、旧2-1組のクラスメイトである。
 
この日は、食事会のあと、寺崎君、山下君と私の3人で、寺崎君が当時住んでいた東急東横線学芸大学前に移動して飲み直した。朝まで飲んでいた様な・・・。
 
因みに、各参加メンバについて、思い出しながら書いてみる。
 
山下洋
山下君は、城南高校時代は、全校テスト(中間試験、期末試験、実力テスト等)の成績が、常に上位組であり、1位の常連だった。
城南高では、3年のクラス編成は、進学を希望する大学の種別で分けて、私立大学文系コース(1組~2組)、国立大学文系コース(3組~5組)、国立大学理系コース(6組)、私立大学理系コース(7組~8組)に分けていたが、彼と私は同じ国立大学理系の志望と言う事で、3-6組でクラスメイトになった。
彼は、高校生の時点で既に水産学をやりたいという強い意志があったそうであり、水産学がある九州大学農学部に進学した。大学生時代に1年休学して研究も兼ねて漁船に乗っていたと思うので、私が社会人1年生の今回の集まりの時は、まだ九大農学部の4年生だったのではないかと思う。
彼は、その後、東京大学の大学院に進み、水産関係の研究をしていたと思うが、講師等を経て、京都大学の教授になった。
彼の奥さんは、高3のクラスメイトだった旧姓・吉田裕子さんなので同じクラスだった私も知っているが、授業中に彼女がしたクシャミがとっても可愛らしくて惚れたんだそうである。
 
寺崎広嗣
寺崎君とは、高校時代には接点が無かったが、親友の小串訓常君や3-6組の多くのクラスメイトが旧2-1組だった事から、友達の友達と言う事で、顔と名前は知っていたし、親友の出口喜也くんと同じバドミントン部だったので、出口君からも彼の事は聞いていた。彼の大学は横浜国大だったので、大学時代は殆ど会っていないが、大学1年の夏休みの旧2-1組の同窓会の時に、飲み過ぎて酔い潰れた出口君を迎えに来て欲しいと、寺崎君から電話があり、西新の喫茶店まで迎えに行った事がある。
まあ、彼の方も少しは私の事を知っていたのだろうと思う。
2000年頃から、関東に出て来ていた城南高校の同期卒業生が集まって東京で同窓会を開く様になったので、それ以降は寺崎君とも毎年会う様になり、2003年の夏には、旧2-1組で旧3-6組でもあった山口久美さんが東京に移転して来たため、旧2-1組+α(αは私)でのミニ同窓会が年に1~2回開かれる様になり、彼と会う回数も増えた。
寺崎君は、高校時代から既に創価学会を信仰していたと誰かに聞いた事があるが、大学卒業後は創価学会本部に就職しており、創価学会副会長の地位にまで進んでいる。
最近(2020年)、石原さとみさんが結婚を発表されたが、寺崎君は彼女のお父さんとも懇意にされていたそうであり、石原さとみさんが赤ちゃんだった頃に抱かせて貰った事があると、同窓会で会った時に聞いた事がある。
 
黒瀬優子
黒瀬さんとは、高校時代には全く接点がなく、大学時代も東京の大学(多分、日本女子大学)だったので、この年の6月に上京した小串君と一緒に集まって食事をした時が初対面である。だから、今回が2回目の顔合わせになる。
彼女は、大学卒業後も同大学に残り、同大学付属の豊明幼稚園のスタッフになったのだろうと思うが、最終的に豊明幼稚園の園長になられた。
女性の同級生の間では「クロ」と呼ばれている。
 
松本美帆
松本さんは、城南高校旧2-1組だった時に転校されたそうである(多分、転校先は横浜)。私とは、黒瀬さんと同じく6月の小串君との食事会の際に、小串君から途中で拾って来る様に頼まれて、国鉄川崎駅のホームで待ち合わせて会った時が初対面である。
彼女とも、2003年の夏以降に催される旧2-1組+αミニ同窓会(通称、関東組同窓会)でお会いしている。図書館の司書をしているそうであり、彼女の読書量は途轍もなく多いらしい。
女性の同級生の間では「ミホさん」と呼ばれている。
 
静間孝子
静間さんは、途中(多分、1年の途中)から城南高校に転入されたそうで、鮫島和子さんと同じ時に城南高校に転入されたそうである。だから、鮫島さんとはとても仲が良かったらしい。そして、2年終了時に他校にまた転校されて行ったと聞いている。
小串君から、静間さんの事は聞いた事があったので名前だけは知っていたが、初めて顔を見たのは、高2終了時の春休みである。城南高校では、3年の時のクラス編成は3月の春休み中に行い、春休み中に新3年のクラスに移って課外授業が始まるのである。その新クラスに集合した日だったと思うが、休み時間が終わる前に教室に入ろうとした時に知らない女性から呼び止められ、「鮫島さんを呼んで貰えないですか」と言われたのある。そう言われても、新クラスの1日目であり、誰が誰なのか全く分からなかったので、その時は「名前が分からない」と応えたと思うが。その時の女性が静間さんだったのだと、後から小串君と話をして分かった。それは、その女性が超美人だったからである。
この時の食事会から多分、1ヶ月も経たない頃だったと思うが、静間さんと偶然再会する事になる。
東急田園都市線の江田駅から徒歩10分ほどの所にある会社の寮「富士通第二荏田寮」の同僚と、休みの日にプールに行こうと言うことになり、田園都市線沿線の鷺沼にあるプールに行ったのだが、プールサイドを歩いていると静間さんがいたのである。多分、彼氏と一緒だったのではないかと思われる。挨拶だけして通り過ぎたのだが。彼女も田園都市線の沿線に住んでいるとは聞いていたが、まさか、こんな偶然があるとは(笑)。
2000年1月に関東在住の城南高校同期生(7期)が集まって、鎌田満、宮嶋史好 両氏のJAL機長就任を祝う宴を持ったのだが、その際に、静間さんと20数年ぶりに再会した。それ以降は、関東組同窓会で会っていた。
女性の同級生の間では「シンコ」と呼ばれている。