工場実習(新人教育1)終了後のGWを利用して、就職後の最初の帰省


工場実習(新人教育1)終了後のGWを利用して、就職後の最初の帰省
時期:1977年4月29日(金)~5月5日(木)
作成:2022年7月13日(水)
更新:2023年2月23日(木)
 
1977年4月1日、富士通に入社した。当時の富士通では、入社式のあと本社工場(川崎)内での一週間程度のオリエンテーションを経て「工場実習」という新人研修のステップ(3週間弱)が始まる。学生時代の専攻分野に関係無く、各新入社員の配属先工場と工場内配属部門が決まり、その配属先発表当日のうちに、渡された片道切符を持って国内の各配属先工場に移動することになる。
従って、当日は、国内工場の何処に飛ばされても良い様に、着替え等(正確には3週間弱の滞在に対応可能な内容)の荷物をバッグに詰めて出社するのである。工場実習の内容は、各工場での実務の体験である。
 
私の場合は、神戸市内にある子会社「富士通テン」が配属先であった。「テンカーステレオ」でお馴染みの会社である。川崎工場から新横浜駅に移動し、新幹線で神戸に移動した。
実習内容は、カーステレオ部品の品質検査(抜き取り検査、全数検査など)であった。
工場実習中の寮は、山陽本線の「舞子」からバスで20分くらいの所にある多聞台(神戸市垂水区)の富士通多聞寮であった。
(勿論、阪神淡路大震災よりもずっと前の話である。)
 
4月27日に、神戸から川崎工場に戻って来たところで、新入社員全体としての集合教育は終わりとなり、各新人は実際の配属先に分かれて行く。事務系/技術系、ソフトウェア系/ハードウェア系の各部門に各々配属されて行く。
そして、実際の配属先部門にて、各部門による新人教育→OJTが始まる。
 
私の配属先はソフトウェアの開発部門であったが、配属先部門での新人教育開始はゴールデンウィーク明けからとなるため、連休を利用して1ヶ月ぶりに就職後初の帰省をした。
 
急に思い立っての帰省であり、新幹線の事前予約も無しのため、ゴールデンウィークでもあり、座席に座れない事は覚悟していたが、予想どおり、始点の東京駅からデッキに立った状態での出発であった。
それでも、東京駅を出発した時点では、デッキの床に腰を降ろす事が出来たのだが、名古屋からは座り込む事も許されない程にデッキが満員状態となり、顔の汗を拭こうにも手を上げられない程の身動きが取れないギュウギュウ詰め状態となった。朝のラッシュアワーでの私鉄車両状態と同じ様な混み様である。
 
それでも、在来線であれば駅間が短いので、数分で電車が停車し、開いたドアから新鮮な空気が入るので気が紛れるのだが、新幹線(ひかり)は停車駅間が長いため、身動きの取れない状態が1時間以上続く訳で有り、博多駅に着くまでが本当にシンドイ7時間であった。(当時は、勿論、「のぞみ」など無い)
 
実家には、ビックリさせようと思って連絡を入れてなかったため、両親は予想どおり驚いた様であった。
 
【行程】

実家(福岡市) 往路:富士通寮~江田駅~[東急田園都市線]~自由が丘駅~[東急東横線]~田園調布駅~[東急目蒲線]~蒲田駅~[国鉄・京浜東北線]~東京駅~[国鉄・東海道新幹線、山陽新幹線]~博多駅~[国鉄・筑肥線]~鳥飼駅~[タクシー?]~実家
復路:実家~[バス]~博多駅~[国鉄・山陽新幹線、東海道新幹線]~東京駅~(東京駅~富士通寮は、往路の逆コース)