職場の移転(蒲田⇒武蔵小杉)


職場の移転(蒲田⇒武蔵小杉)
時期:1977年11月26日(土)
更新:2022年8月27日(土)
 
入社後の配属により、8月に東京都大田区蒲田の情報システムラボラトリに入ったばかりであったが、4ヶ月足らずで新しい事業所に移転する事になった。
これが私にとっての初の事業所移転であるが、以降、職場ごとの移転、個人単位の異動に伴う移転を含めて、富士通を退職する2013年6月末日までに数多くの事業所移転を経験する事になる。富士通は、事業所の移転が非常に多い会社である。組織変更もそれだけ多い会社だと言う事である。
 
この当時の富士通は、「週休二日制」とは言っても、現在の様に毎週の土日が必ず休みになると言う事では無かった。誰かが揶揄って「それが本当の完全週休二日制」だからと言ってたが、本当に、完全確実に毎週二日の休みがある、言い換えれば、毎週五日の出勤日があると言う事である。
だから、年末年始の正月休みとゴールデンウィークは例外であるが、それ以外の週は、必ず、休日は二日にするのである。つまり、祝祭日のある週は土曜日が休日ではなく出勤日になるのである。但し、土曜日の出勤日は半ドン(午前中のみの出勤)になるが。
現在の様に、祝祭日の有無に関係なく毎週の土日が必ず休日となったのは、入社してから何年も後の話である。
 
この日は、3日前が勤労感謝の日(祝日)だたっため出勤日の土曜日であったが、翌週からの新しい事業所での仕事開始のために、この日の仕事は朝から引越作業であった。
 
移転先は、神奈川県川崎市中原区の武蔵小杉にある富士通小杉ビルであった。東京を離れるので、一応は都落ちである(笑)。
 
武蔵小杉は、今でこそ高層マンションが林立する賑やかな街であるが、国鉄南武線と東急東横線が交差する地点ではあったものの、当時はまだ、それほど賑やかな街では無かった。
 
小杉ビルは、国鉄横須賀線と東海道新幹線が並列に走っている高架沿いにある5階建ての中規模ビルであり、周りはNEC(日本電気)の工場地域であった。
最寄りの駅は、武蔵小杉駅(国鉄南武線、東急東横線)か向河原駅(国鉄南武線)であった。歩く距離的には、武蔵小杉駅からでも向河原駅からでも大して変わらなかった。
 
寮からの通勤は、東急田園都市線で江田から溝の口まで行き、国鉄南武線に乗り換えて武蔵溝の口から向河原(むかいがわら)までである。
現在は、JR東日本の横須賀線に武蔵小杉駅が出来たため、ここで乗降するのが一番近い。
 
その後、武蔵小杉(富士通小杉ビル)から更に都道府県を跨いで職場を転々としたあと、3.11(2011年3月11日 東北大震災)の時点では、再び武蔵小杉の地に戻っていた。職場は、以前にいた時の富士通小杉ビルの近隣のビルである。
三島からの通勤時には、新幹線で品川まで出て、横須賀線に乗り換えて武蔵小杉まで戻って来ていたので、何と、毎日、多摩川を4回渡っていたのである(笑)。
そして3.11の時は、新幹線が止まってしまったので、職場で一夜を過ごす事となった。
 
参考までに、私が辿った職場の場所を書いてみると、以下の通りである。

順序 事業所 場所 時期 所属会社
1 富士通情報システムラボラトリ 東京都大田区蒲田 1977/8月~11月 富士通
2 富士通小杉ビル 神奈川県川崎市中原区武蔵小杉 1977/11月~1982/2月 同上
3 富士通川崎工場 神奈川県川崎市中原区上小田中 1982/2月~1983/8月 同上
4 富士通沼津工場 静岡県沼津市宮本 1983/8月~1989/9月 同上
5 富士通沼津工場三島分室 静岡県三島市文教町 1989/9月~1992/11月 同上
6 富士通沼津工場 静岡県沼津市宮本 1992/11月~2000/2月 同上
7 新横浜TECHビル 神奈川県横浜市港北区新横浜 2000/2月~2003/4月 同上
8 新横浜日興ビル 神奈川県横浜市港北区新横浜 2003/4月~2004/12月 同上
9 世界貿易センタービル 東京都港区浜松町 2004/12月~2007/9月 同上
10 大森ベルポートE館 東京都品川区南大井 2007/9月~2010/5月 富士通エフサス(出向➪転社)
11 野村不動産武蔵小杉ビルN棟 神奈川県川崎市中原区中丸子 2010/5月~2012/10月 同上
12 富士通川崎工場 神奈川県川崎市中原区上小田中 2012/10月~2013/6月 富士通(転社)

 

1 小杉ビルの屋上から見えた東海道新幹線(下り)
 
2 ちょうど見えている辺りの横須賀線線路の右側に、現在は武蔵小杉駅のホームが出来ている。
 
3 小杉ビルの屋上にて
 
4 小杉ビルの職場風景 私より2歳年下の先輩(大分出身)。福岡に転勤後、病気治療で退職したが、その後の事は分からない。
 
5 宮城出身の先輩。2019年現在でも年賀状のヤリトリが続いている。
 
6 大阪出身の先輩。2013年に私と同じく早期退職募集に応募して退職された。
 
7 書記さん(庶務担当)(入社1年目、二十歳前)
 
8 サブリーダー。入社前は上智大の講師だったそうである。
 
9 鹿児島出身の先輩。東大紛争により在学生全員が留年となった時の経験者。
 
10 私
 
11
 
12 武蔵小杉の職場。私の机の上の様子。写真は山口百恵ちゃん。この頃はまだ、コンピュータへのデータ入力にパンチカード(照明器具に挟んである紙)を使っていた。