徒然なるままに(ペンキ塗り)
2014年7月28日(月) 晴れ
更新:2024年1月23日(火)
梅雨が明けた途端に、暑い日、熱帯夜が続いている。もう、クーラー無しでは寝られない暑さである。
それでは、いつもの様に、徒然なるままに日頃の「由無し事(よしなしごと)」を書き綴っていくことにする。
■失業認定(7月23日)
午前中に、ハローワークに行って来た。13回目の「失業認定」を受けるためである。
昨年の6月末で、36年間勤めた会社を退職し、7月より就活を続けているのだが、その間、失業保険給付を受けるために、28日(4週間)周期で、ハローワークにて「失業認定」を受けている。
「失業認定」と言うのは、
●過去28日の間が、働ける状態であったこと、
●その28日間の期間中に、就職活動を2回以上行ったこと、
●それでも、仕事先が決まらなかったこと
を確認して貰うことである。
これが認定されないと、失業保険は下りない。
✖病気等で「働けない期間」は、当然ながら失業保険は下りない。失業保険は、働けるし、就活も頑張ってるのに就職先が決まらない人を救済するための保険だから。
また、この28日間のうちに、バイト・その他で報酬有りの仕事をした日数分は、失業保険給付の計算日数から除外される。
まあ、こんな事を約1年続けて来て、今回、所定の330日が経過したのである。
失業保険給付日数は、
●年齢や、雇用保険の加入期間、
●前職の離職理由
などにより決まるのであるが、
私の場合は、
○20年以上の雇用保険加入、
○会社都合の退職(自己都合で退職したんじゃ無い)
だったので、給付日数は、最大の330日であった。
さらに、ある条件を満たす場合は給付期間が延長されるのだが、
給付期間延長の条件が6回以上の求人応募&不採用という実績であったのに対し、恥ずかしながら、私の場合は、24回の求人応募&不採用であったため、給付期間延長が認められた。
分かり易く言えば、「24社の「求人」に応募したのに、どこの会社も採用してくれなかった(全敗 24連敗だった)ので、未だに再就職できていない状態」だったのである。
延長日数は30日のため、330日+30日=360日の失業給付日数と言うことである。
ハローワークを利用しての就活は、決まるまで無期限に続けられるが、失業給付は、泣いても笑っても360日間(8月1日まで)で打ち切りとなる。
因みに、24回の応募のうち、殆どは「書類選考」の段階で不採用となったが、不採用の理由は、殆どが高年齢である。
まあ、「雇うなら、若い人の方が良い」と思うのは当たり前の事なので、仕方がない。
今月で満60歳となり、「60歳定年の会社」の求人は対象外となるため、いよいよ、求人件数、仕事内容ともに狭き門となるが、厚生年金の支給開始まであと1年あるし、もう少し就活を継続しようと思っている。
■激励メッセージ(7月23日)
長男が、今月から新しい会社に移って仕事を始めたが、研修を終えて、7月28日から、いよいよ外に出て営業活動を開始するらしく、28日の朝、職場にて「出陣のセレモニー」をやってくれるらしい。
それに先だって、7月23日に、職場の上司から、父親である私に連絡があり、「セレモニーでのサプライズ企画として、両親からの音声メッセージをお願いしたい」との依頼があり、その日の午後には、「ボイスレコーダ」が速達で届いた。
早速、夫婦それぞれで、メッセージをレコーダに録音し、速達で返信した。
「サプライズ企画」とのことなので、当日まで、本人には秘密にしなければならず、従って、このブログに書くのも、本日(7月28日)まで止めておかなければならなかった次第である。
さてさて、今朝のセレモニーがどうなったかは興味深いところであるが、まあ、そのうちに様子を聞くことにしよう。
■浴室のペンキ塗り(7月24日)
今の家(中古住宅)に引っ越して来たのは、結婚した年、1987年の夏である。
それから9年後の1996年、私の厄(やく)が明ける「節分」を待って、増改築の話を開始した。
3人の子供達が大きくなると、家が手狭になるし、大学生になる頃には、教育費が嵩むだろうと思い、「子供が小さいうちに、頑張って増改築しておこう」と思ったのである。
そして、その年の4月より、増改築工事が始まった。在宅したままでの工事である。
そして、夏場となったある日、大工さんの助言を受けて、初めて浴室のペンキ塗りを実行した。
我が家は中古住宅を購入したのだが、新築は1979年なので、築16年目でのペンキ塗り替えである。
工程としては、
(1)まずは、車の洗車ブラシを使って、壁面を水洗いして、汚れやカビを落とし、
(2)次に、「シーラー」と呼ぶ塗料を下塗りして、壁面の状態を整え、
(3)最後に、本塗りとしてペンキを塗るのである。
「ペンキは二度塗りした方が良い」と大工さんに教えて貰い、二度塗りした。
(4)そして今回、梅雨明けを待って2度目のペンキ塗りをこの日に実行。
実は、退職して時間の余裕が出来た昨年の夏にやるつもりで、色々と、インターネットで段取りを調べていたのだが、昨年は、海外旅行をしたりしてバタバタしたため、結局、一年延ばしにしていたのである。
さて、当日は、朝食のあと早速作業開始。
(1)まずは壁の水洗いである。
これが結構な重労働である。天井や上部の壁を洗うには、腕を上げなければならないが、それを持続するには結構な腕力が要る上に、車のブラシで壁面をゴシゴシ洗うので握力も要る。
さらに、ホースから水が伝って落ちてくるので、もう、服はずぶ濡れになる。
まあ、今回の作業においては水洗いが一番の重労働であった。
さらに、指に異変が発生。人差し指が攣った様になって、反り返って延びたまま戻らない症状が出たのである。
この症状については、実は、もう数年前から時々発症していて、以前は、「パソコンのマウス操作」を長時間やっている時に発生していた。
今回は、「ブラシを強く握ってゴシゴシやった時」に発症。
共通点は、指に強い負担が掛かった時に発症すると言う点である。
この症状が出ると、人差し指は反り返った様に延びて元に戻らず、反対の手を使って反った指を元に戻してやるしかない。
以前に整形外科に行った際に聞いた時には、「該当する病名は無い」と言うことであったが、今回インターネットで調べたところ、どうやら「ばね指」と言う病名らしい。腱鞘炎の一種だそうである。
結局、指に大きな負担を掛けた時に、指がバネの様に反動的に反ってしまう症状が出るらしい。まさにこの症状である。
まあ、指を休めて、大きな負担をかけ続けない様にするのが治療法らしい。
これまでは、「原因不明の難病だったらどうしよう」と言う様な不安もあったのだが、今回、よくある症状だと分かり一安心。
さて、ペンキ塗り替え作業については。「水洗い」のあと、「シーラー下塗り」、「ペンキ本塗り」と続く。
塗る際には、
(1)まず、刷毛(はけ)を使って端部を塗り、
(2)広い壁面は、ローラーを使って塗る。
「シーラー」は二度塗りしたのだが、肝心の「ペンキ」の方が、量が足りず、二度塗りまでは出来なかった。
それから、今回の反省点として、「手袋をしなかったこと」、「裸足のままやったこと」、塗面以外にペンキが着かない様にする「養生(ようじょう)をいい加減にしたこと」である。
シーラーとペンキは水性を使ったので、すぐに水洗いすれば洗い流せたのだろうが、「最後に洗えば良いと油断した」ため、手足やタイルに着いたペンキが水洗いしても落ちず、残ってしまった。
「養生」については、壁とタイルやガラス戸の境界にビニールシートを養生テープで貼る時に、手を抜いて数カ所貼りにしたため、間からペンキが流れてしまい、タイルや浴槽蓋にペンキが残ってしまった。手抜きせずに、境界線全体にテープ貼りすべきであった。
ペンキ塗り替えを20年に1回行うとすれば、次回は80歳の時になるが、果たして、80歳になっても自分でペンキ塗りするかどうかは、定かではない。
まあ、また自分でやる場合は、今回の反省点を活かしたいと思う。
■夏󠄂祭り(7月26日)
月曜~土曜の雨天でない日には、出来るだけ「一万歩ウォーキング」をすることにしているが、昨日も、日中を避けて、夕方5時から夫婦でウォーキングをした。
いつものコースを歩いていたところ、4キロ付近で、「町内会の夏祭り」に遭遇。
ちょっと覗いてから行くことにしたのだが、「生ビール200円」、「氷結レモン100円」、「フランクフルト100円」の文字に目が留まり、「ちょっと喉を潤してから行くか」という気分になってしまった。
「販売開始は6時から」と言うので、10分ほど待ち、ようやく生ビールにありつく。
ところが、一杯やってしまうと、当然のことながら物足りず、帰ってから、引き続き飲むことにした。
そこで、ウォーキングコースにあるスーパーでお惣菜を買い込み、コースを変更して、ショートカットで自宅に戻ってきた。
と言うことで、この日のウォーキングは一万歩(8キロ)には足りない「7キロウォーキング」となってしまった。
「この日のアルコールは、炭酸気分」であったため、「ハイボール」に決定。
炭酸水は、生成器があるので自前で作り、ウィスキーと合わせて飲む。
2杯目は、赤ワインと合わせてみたが、スパークリングワイン風でなかなかの美味であった。
■その他、諸々(写真のみ)