会社を辞めたら


会社を辞めたら
2013年7月10日(水) 晴れ
更新:2023年11月24日(金)
 
梅雨が明けたら、本当に暑い日が始まった。連日の熱帯夜で寝苦しくて仕方無い。
 
さて、会社を辞めて2週間目に入ったが、色々とやらなければならない手続きがあり、今のところ、まだ退屈を感じる暇が無い。
 
■朝の散歩
 
カミサンが、5月頃から始めた毎朝5時前後の20分ほどの朝の散歩。6月に入ってからは、休みの日は私も一緒に歩くようになった。
そして、セカンドライフに入ってからは、雨が降らない限りは毎朝歩いている。
 
散歩コースは、自宅近くの住宅街を周り、近くの神社で柏手(かしわで)を打ち、坂を登って高台ポイントまで行き、目の前に聳える富士山を拝んでから階段を下りて自宅まで戻って来ると言うコースである。
ここで、毎朝、高台ポイントまで登って来たときに、富士山が綺麗に姿を現しているかどうかが楽しみの一つになっている。残念ながら、ここ数日はガスが掛かって富士山を拝むことは出来ていない。
 
1 自宅近くの高台から見える早朝の富士山
 
 
■6月29日(土)
 
書類上は、明日(6月30日)まではまだ富士通社員であるが、実質的にセカンドライフの初日となるこの日は、自宅の植木の剪定(せんてい)から始まった。
まずは、記念写真を撮ってから剪定を始めたのだが、植木バサミがなかなか切れなくて悪銭苦闘。槙(まき)の木の葉っぱは柔らかいので、ハサミの刃と刃の間をすり抜けてしまい全然切れないのである。
にわか作りの植木屋(私)としては、すぐに植木バサミのせいにしてしまう。「これでは時間と労力の無駄だから、新しい鋏(はさみ)を買いに行こう」と言って、仕事を投げ出しそうになったのだが、ホームセンターの開店までにはまだ1時間以上あるし・・・。
 
そうこうするうちに、葉っぱの単位にチマチマ切るのではなく、小枝の単位にバサバサ切れば良いんだと悟り、枝を切り始めたら、刃こぼれだらけの植木バサミでも結構ザクザクと切れる。切れると気合いが入って来る。終わってみたら、なかなか見栄えの良い槙の木になっていた。
こういう時に「さすがプロの仕事は違うねぇ」と言って自画自賛するのも、にわか作りの植木屋の特性なのである。
このほかにも、盛りを過ぎたアジサイをバッサリと切って随分と風通しが良くなった。
 
剪定のあとは、ひとっ風呂浴びてビールを飲んだのは言うまでも無い。
 
 
■6月30日(日)
 
福岡の兄夫婦と一緒にシンガポール旅行(兄からの退職祝いのプレゼント)を予定しているのだが、シンガポールは、日差しが強くてサングラスは必需品とガイドブックに書いてあったので、夫婦でサングラスを買うことにした。私は、1週間前に「度入りのサングラス」を購入済だったので、この日はカミサンの分を調達しに行く。
カミサンは、コンタクトレンズを使っていた頃に買った「度無しのサングラス」を持っているので、今回買うのは、サングラスではなくて、持っているサングラスを使うための使い捨てのコンタクトレンズである。但し、コンタクトレンズとなると、眼科医の診察を受けて処方箋を出して貰うのが前提になるため、眼鏡店に眼科医が来る日曜日まで買うのを延ばしていた訳である。
 
さて、車で自宅を出発して眼鏡屋に向かい始めたのだが、よくよく考えて見ると、眼科医の診察を受けるためには健康保険証が必要なことに気付いた。
しかしながら、会社の健康保険証は、一昨日の最終出勤日に会社に返却してしまったため手元に無い。書類上は、この日(6月30日)までが会社の健康保険組合の加入期間なので、新しい国民健康保険を使う訳には行かない。そうなると、手元に保険証がないので、本日付で辞める会社との間で事後手続きが必要になるが、これも面倒だし・・・。
 
結局、カミサンもコンタクトレンズ前提の「度無しサングラス」は止めて、「度入りのサングラス」を買うことにした。会社を辞めた直後と言うのは、こういう面でも影響が出るのである。ああ面倒くさい。
 
■7月1日(月)
 
この日は、海外旅行の必需品を買うために、久しぶりに沼津市郊外にあるホームセンター「カインズホーム」に出掛けた。
 
海外旅行は26年ぶりなので、色んな旅行事情が当時とは変わっていると思うのだが、ガイドブックを見ていて一番気になったのが、液体物を持って行く時の制約である。テロ対策で始まったらしいのだが、何でも、液体物は全て100ml以下の容器に詰め替えて、かつ、詰め替えた容器を縦横各20cm以下の透明な袋に入れないと機内に持ち込めないらしい。本当に面倒くさい。
面倒くさいと言うのは、詰め替え作業もさることながら、買う物ごとに液体かどうかを意識しないといけないことである。例えば、歯磨き剤の様な一見固体と思われるものも液体扱いになるらしい。日焼止めクリームも然り。虫除けスプレーも然りである。
 
色々と旅行用の買い物をしたあとにレジで精算したら、レジを出たところの正面に電波腕時計がズラリと陳列されていた。見ると価格は2千円を切る超安値。電波時計だからと言って、まさか現地に行ったら日本との時差を自動的に補正してくれる訳でもなかろうが、まあ安いし、いつも愛用している時計はスイス製なので、帰国時に現地購入品とは違うことを証明するための事前持ち込み申請が必要であり、これも面倒くさいナァと考えて、その場で海外には電波腕時計をして行くことに決めて、電波腕時計を追加購入した。盗難のリスクや事前申請の煩わしさを考えると、この買い物は、海外旅行には意外と当たりだったかもしれない。
 
 
■7月2日(火)
 
この日は、朝一番で床屋に行った。平日の開店直後なので、勿論、ほかに客はいない。
 
平日に床屋に行った場合に、必ずと言って良いほど聞かれるのが、「今日はお休みですか?」と言う質問である。
この日も、多分聞かれるだろうと予想していたので、回答を考えておいた。そして鏡の前に座ると、案の定、予想していた質問が飛んできた。
で、私の口から出た答えは、「いえ、失業中です。
床屋さん側の反応も予想どおりであり、「そうですか」と言ったあとは会話が途切れてしまった。
まあ、それでなくても、私が床屋で整髪台に座った時には、いつも目を閉じて瞑想に入るので、床屋さんの方も心得ていて以後話しかけて来ることはないのだが。
 
1時間ほどで散髪が終わり、この日は、歩いて自宅に戻る。三島駅の近くにあるこの床屋から自宅までは約3km、早目に歩いても30〜40分は掛かるのだが、この日は、日頃車で通り過ぎる自宅までの道をゆっくりと歩いて、普段見過ごしていた道沿いの風景(どんな店が並んでいたのかなど)を確認しながら歩いたので、1時間以上を要した。
それにしても、小さな食堂があったり、床屋の数が思いのほか多かったり、こんなところに100均ショップがあったのかと新しい発見をしたりで、新鮮な帰り道であった。
 
私が静岡県東部に引っ越して来てから既に30年が経つが、私には、未だに地元静岡と言う意識が薄い。私にとっての地元は今でも福岡であり、それが証拠に、高校野球の出場校で気になるのは福岡県代表や九州勢である。その一方で、静岡県代表がどこの高校に決まったのかには興味がなく勝敗も気にならない。県知事や市長の名前も、活字を読めば思い出すが、憶えていないので聞かれても答えられない。
そんな私ではあるが、セカンドライフは、毎日24時間をここ三島の街で過ごすことになる訳であり、ひとつ一つを見る目が、今日の帰り道の様に、これからは変わって行くのだろうと思う。
 
この日の午後は、コミュファ光の工事業者が下見に来ることになっていたが、その前に一仕事、銀行口座を三島駅近くの支店から、自宅により近い場所に昨年新装開店した支店に移す手続きをしてきた。そして午後3時にコミュファの業者が来たので下見に立ち会う。
どうやら、自宅への引き込み電線は、そのままNTTのものを継続して使い、屋内に置いてある終端装置を取り替えるだけで済むらしい。追加工事費が発生しないので、費用は無料で済むとのこと。
携帯電話に続き、インターネットプロバイダもコミュファとなり、これでNTTとは完全に縁が切れることになる。
後日、NTTより確認の電話があり、ご丁寧に、「貯まったポイントは切替日までに使って下さい」と言われたので、早速、インターネットを開いて商品とポイント交換させて貰った。
 
5 行きつけの床屋にて
 
【2023/7/13追記】
2020年の年初にコロナ禍が発生して以降は、床屋には一度も行っていない。散髪用の電動ヘアーカッターを購入して、カミサンにカットして貰っている。お陰で、カミサンの散髪の腕前はセミプロ級になっている(笑)。
 
■7月3日(水)
 
この日は、前にもこのブログに書いたとおり、沼津でランチを取ったあとリクルート社主催の再就職支援説明会へ。このプログラムは、会社(富士通)がリクルート社と契約してお膳立てしたものである。
富士通での今回の早期退職募集に対する応募者数は、募集予定300人に対し、倍の600人近くであったとのことであるが、そんな中で、この沼津における説明会への参加者は50人前後はいた様に思う。沼津での説明会に参加されたと言う事は、京浜地区勤務➪沼津転勤(この地で自宅所有)➪京浜地区転勤(新幹線通勤)という異動パターンを経験した私と同じく、元々は沼津工場でのソフトウェア開発に従事されていて、現在も自宅がこちらにある方々だと思われる。結構、見覚えのある顔の方々がいた様に思う。
 
これから、リクルート社のスタッフと個別に面談が始まり、就活計画の作成、自己分析、再就職向けの研修と言ったプロセスを踏みながら、再就職への道を進む訳である。
 
ちなみに、最近の求人状況はと言うと、有効求人倍率(ハローワークに来た求職者一人当たりの平均求人件数)は、全国平均が0.9、静岡県は0.85、東京都や愛知県は1.3だとか。
数字で見る限りは、大都会の方が、やはり求人が多いと言うことである。新幹線通勤費でも出してくれる求人があれば良いのだが、そうも行かないと思うので、求人倍率0.85(買い手市場)の静岡県内で仕事を探すのは大変そうである。果たしてどうなることやら。
 
■7月7日(日)
 
この日は忙しかった。まずは、出来上がったカミサンのサングラスを受取りに眼鏡屋さんに行ったあと、早めのランチを取る。
 
私は、もう20年来のJAF会員であるが、普段はパラパラめくる程度しか見ない会報誌の今月号に、「ブロンコビリー」の優待券(300円引き)が掲載されているのが目に止まった。これが目に止まると言うのも、無職無収入の身分になった影響か?(笑)
ブロンコビリーには数回行ったことがあるが、ボリュームが凄いのと、炭火焼きの肉とこしひかりの御飯が美味しかったのが印象に残っている。もう1年以上行ってないので、たまには行ってみるかと思い、優待券を切り抜いていたのだが、それを思い出し、この日のランチはブロンコビリーで取ることにしたのである。
会計の際に、優待券を出すと割引してくれたのは言うまでも無いが、「JAF会員証を持ってますか」と聞かれて提示したところ、更にフリードリンク料金が無料になった。JAFには毎年6千円の会費を払って殆どJAFを利用することは無いが、こういうことがあると得した気分になる。
 
食事のあとは、すぐ裏手にあるイトーヨーカドーで下着の買い物。旅行の予定もあるし、買い置きも減って来たので補充のための買い物である。
買い物をしながらも、これからは、こうして買い物に来る回数も増えるんだろうなぁと思いつつ、店内を見て回る。
 
そして目に留まったのがキャリーケース売り場である。
聞くところに依ると、外国の航空会社は、預ける荷物の重量制限が厳しいらしく、ちょっと制限オーバしただけでも「万円」の単位の追加料金を要求されると聞いたので、これが気になっていたのである。
重量制限は、追加オプションを付けない場合20kgであるが、キャリーケース売り場の商品をちょっと見てみたら、ケース自体の重さが5kgくらいあることが分かり、中身の荷物が15kg以内に収まるかどうかが心配になって来た。ウチに帰ってから、一度荷物を詰めた上で重さを測ってみる必要がありそうである。
追加オプション料金は、事前に申し込む場合と現地で追加する場合とでは、料金が1桁違うらしいので、もし20kgを超えそうならば、インターネットで事前申込みをする必要がある。
 
そして、買い物の次は投票である。7月21日に参議院議員選挙があるが、その頃は、シンガポール旅行から戻って九州の実家に留まっている予定なので、早めに不在者投票を済ませたかった訳である。
 
そして最後が、また旅行携行品のお買い物。ガイドブックによると、シンガポールでは蚊に刺されてデング熱と言う恐い熱病に罹ることがあると書かれていたので、早速、虫除け薬を買いに来た訳である。ただし、前に書いた液体の持ち込み制約があるので、ガス型ではなく固形タイプの虫除け薬を買いに来た。何でも、ムヒの虫除け薬「ムシペールα」と言うのが海外旅行での機内持ち込みがOKらしいので、それを探して購入。
それから、液体容器を入れる縦横各20cm以内のジッパー付きビニール袋の購入。このサイズがなかなか見つからず、結局20cm×18cmのビニール袋で妥協した。
 
自宅に戻ってから、夫婦で一つずつのキャリーケースに荷物を詰めてみた。一番嵩張るのは、シンガポール旅行中と福岡の実家に泊まる時の分の着替えであるが、夏の衣類なので、重さの方はさほどではない。測ってみたところ、どちらのキャリーケースも15kg程度だったので、5kgの余裕があり一安心。何とか旅行の準備については目処が付いた。
 
■7月8日(月)
 
この日はまず、会社時代に加入した団体定期保険料の振り込みをする。
 
会社時代に加入した団体定期保険は、退職後も継続できることになっているが、「保険料が割安なので是非継続すべし」と聞いていたので継続することにした。
但し、保険料の支払い方法が変わる。現役時代は「月払い」であったが、退職後に継続する場合は「年一括払い」となるため、今年の分は残り保険期間の残額8ヶ月分を一括で振り込まなければならない。合計保険料は同額であるが、一時期の出費が大きくなるのが痛い。
 
昼食後に、口座変更した銀行の新しい通帳を受取りに銀行へ。また、受取りのための書類を書かされるかと思って印鑑持参で行ったのだが、ATMに古い通帳を通すだけで、新しい通帳が古い通帳と共に出て来た。これだけで手続きは完了である。何とも楽になったものである。僅か数分で用事が済み自宅に帰ってきた。
 
この日の予定はこれで終了したのだが、一番気になっているのが、市役所での国民健康保険(国保)の加入手続きと、国民年金の加入手続きである。
特に、国保については、会社の健康保険加入期間の終了後、即ち退職後、2週間以内に加入手続きをしなければならない規則なのだが、以前に市役所で聞いたところ、国保加入手続きをする時に会社都合の退職の場合は国保税の軽減措置があるので離職票を持って来る様に言われたのである。
この離職票と言うのが、「退職後2週間前後」で会社から郵送されることになっているのだが、国保加入手続き期限である「退職後2週間以内」との時間関係が微妙なのである。
そこで、実際には郵送が何日頃になるのか、郵送を早められないのか会社に電話して聞いてみることにした。電話で確認したところ、ハローワークから会社に関係書類が届くのが退職後10日以内と言う規定になっているが、本日届いたので明日発送すると言うことが分かった。
さらに、国保加入手続きは離職票が無くても出来ること、軽減措置の申請は加入手続きとは切り離して後追いでも可能なことを教えて貰った。
と言う事は、もう離職票の到着を待つ必要もないと言うことである。
せっかちな私としては、期限が迫っているものは早くケリを付けたいので、これからすぐに市役所に行って手続きを済ませることにした。閉庁時刻までには1時間ほどあるので、車を飛ばして市役所へ。
加入手続きは簡単なもので、健保資格喪失証明書を提出すれば、その場で国保の保険証を発行して貰えた
さらに、国保窓口の職員の方が年金窓口まで案内してくれて、国民年金の加入手続き(私の分)国民年金第3号から第1号への変更手続き(カミサンの分)も済ませることが出来た。
ただし、カミサンについては、結婚前の年金手帳が別にある筈だと言われ、もし、その年金手帳の番号が結婚後の年金手帳の番号と違う場合、年金機構の方で管理している納付月数が正しく合算されていない可能性があるので、番号を確かめて欲しいと言われてしまった。
さあまた大変である。自宅に戻ってカミサンの古い年金手帳を捜索開始。ところがどこを探しても見つからない。そもそも結婚した時に実家から持って来たかどうかも定かではない。仕方がないので、取りあえず年金定期便を持参して明日、再度市役所に行くことにした。
 
話は変わるが、海外で買ったお酒が、例の液体持ち込み制約に引っ掛かるのではと思い、インターネットで調べたところ、税関を通った後の免税店で買ったものは、他の飲み物と同様、機内に持ち込めると書かれてあった。何か釈然としないものが残り、大元の情報発信源である国土交通省のホームページを調べたところ、大変な勘違いをしている事が分かった。色んなガイドブックやホームページで説明されている液体の機内持ち込み制約については、「機内」と書かれているのだから当然、飛行機に積むことであると解釈していたのだが、実は「機内」と言うのは飛行機の客室内と言う意味であったらしい。つまり、チェックイン時に預けないで手荷物として持って客室内に乗り込む場合の制約であったらしい。チェックイン時に預ける荷物(これを受託手荷物と呼ぶらしい)に関しては客室内に積み込む訳ではないから制約の対象外であるとのこと。液体であろうがスプレー缶であろうが、預ける荷物に入れる分にはお咎め無しなのである。時間を掛けて探し回ったビニール袋はいったい何だったのだろうと思うが、まあこれで、虫除け薬も歯磨きセットもシャンプーも化粧品も何でもOKだと分かってスッキリした。
 
■7月9日(火)
 
午前中に、カミサンの年金定期便を持って市役所に行って来た。定期便の記録を見て貰ったところ、国民年金(1号)、共済年金、国民年金(3号)と変遷しているが二十歳から現在までそれぞれの加入期間が連続しているので年金機構側で管理している納付月数の漏れは心配ないだろうとのことであった。一件落着である。
 
残る手続きとしては、離職票の到着を待ってのハローワークでの求職者申請手続きと、ハローワークが発行してくれる雇用保険受給資格者証を持っての国保税の軽減措置申請手続きである。ちなみに、国民健康保険の場合は保険料のことを保険税と呼ぶらしい。国民健康保険税、略して国保税である。
 
■7月10日(水)
 
本日、国保税、国民年金、住民税の口座振替申請書を書いて、カミサンに頼んで口座の金融機関に出して貰いに行ったのだが、お届け印の押し方が悪くて文字が潰れてしまっているから受理出来ないと言われたそうである。同じ紙面の署名欄にも同じ印鑑を押していて、そちらは綺麗に押されているのだから、固いことは言わなくても良さそうなものだが、駄目だと言って受け付けないとのこと。お堅い商売とは言え、本当に融通の効かないところである。押し直して、明日また持って行くしかない。
 
午後になって、予定どおり会社から離職票が到着した。あとはハローワークに行って求職者申請をするだけであるが、これについては申請する日を良く考えて提出する必要がある。と言うのは、今後、失業手当を貰う期間中で再就職先が決まるまでの間は、申請を出した日から28日(4週間)ごとにハローワークに行って、就活状況を報告し失業認定を更新して貰う必要があるためである。
つまり、最初の申請日を元に以降のハローワークに行く日程(曜日も)が決まってしまう訳である。失業手当を給付して貰う身の上であるから、余程の事情でも発生しない限り個人の都合でこの日を変更することは出来ないのである。
私の場合、会社都合の退職であるため、失業手当の給付期間は最大330日間であるが、無条件に給付して貰える訳ではなく、28日ごとにハローワーに出向いて、過去28日間の就活状況を報告し、失業状態(=無収入の状態)が継続していること、かつ、いつでも働ける状態が継続していること、ちゃんと就活しているのに仕事が決まらないことをハローワークに認定して貰わないと失業手当は下りないのである。
つまり、28日ごとに失業認定を更新して貰う必要があるのである。例えば、病気に罹って長期入院したりしてしまうと、「いつでも働ける状態」という条件が欠けてしまうため、失業認定は更新されず手当は下りないことになる。
 
生命保険や医療保険など、普通の保険の感覚で考えると、「万一の場合に備えて加入するのが保険」なのだが、雇用保険(失業保険)はそうではなく、働きたいし働ける状態なのに仕事が見つからなくて困っている人を救済する保険なのである。万一の場合が発生したら保険は下りないのである。
私の場合、会社に勤めている時からそうであるが、旧盆と正月には往復の移動日を含めて1週間ほど九州の実家に戻って、一人暮らしの母と一緒にお盆の行事と正月行事を迎えなければならないため、この2週間とハローワークの失業認定更新日の周期が重ならない様に考慮して、最初の求職者申請日を決めなければならない。
 
という具合で、今のところ、まだドタバタしている状態である。とにかく会社を辞めたら、しばらくは役所通いやら何やらで落ち着かない日が続くことになる様である。
 
本日は、「会社を辞めたら」と題して、私の体験をまとめてみたが、これから定年退職を迎える方に少しでも役に立つ情報となっていれば幸いである。