追憶(6) 倉本聰


追憶(6) 倉本聰
2012年7月8日(日) くもり
更新:2023年10月16日(月)
 
この週末は、梅雨空のはっきりしないお天気。2日間を、自宅でのんびりと過ごしている。
 
昨日は、「北の国から」の最終話「遺言」の再放送を夫婦で楽しんだ。
ちょうど10年前に放映されたものであり、昨日が何度目になるか分からないほど繰り返し見ているが、やはり、何度見ても良いドラマである。
まあ、黒板五郎を、このブログのハンドル名にしているくらいだから、私の「北の国から」への思い入れが、如何に強いかと言うことである。
 
本日は、「北の国から」の脚本家である倉本聰(くらもとそう)さんについて、書いてみる。
 
倉本さんは、「北の国から」よりも前から、色々なドラマを世に送り出されているが、私が倉本さんの名前を認識したのは、やはり「北の国から」の時である。
それ以前に放映された「前略おふくろ様」は、倉本さん脚本の人気ドラマだったそうであるが、私は見てなかったので、私にとっては「北の国から」が倉本さんとの出会いである。
 
その後も、「君は海を見たか」、「ライスカレー」、「優しい時間」、「拝啓、父上様」、「風のガーデン」など、倉本さんの作品は、だいたい見ているし、DVDかブルーレイDiskにも録画して残してある。
 
映画の方は、後から知ったのだが、高倉健さん主演の「冬の華」、「駅 STATION」なども倉本さんの作品である。
 
倉本さんの作品の中では、色々な楽曲が使われているが、どれも良いものばかりで、すぐに好きになってしまう。私と感性が似ているのでは?などと思ったりして(^^;)。
印象に残っているのは、例えば以下の様な楽曲である。 (曲名をクリックすると曲(歌、演奏など)が聴ける)
 ・ ショパンのワルツ 10番 ロ短調(「君は海を見たか」のテーマソング)
 ・ フォーレの夢のあとに(「北の国から'95秘密」の挿入曲。蛍の不倫相手の話の時に流れる)
 ・ スメタナのモルダウ(「北の国から」の第1話の最初に流れる曲)
 ・ ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ(「北の国から2002遺言」の挿入曲。牧場が倒産して乳牛がトラックで運ばれる場面)
 ・ さだまさしのむかし子供達は(「北の国から」の挿入曲。令子の葬儀で東京に出て来た純と蛍が公園で遊んでいる場面)
 ・ 八代亜紀の舟唄(「駅STATION」挿入曲)
 ・ 時任三郎の川の流れを抱いて眠りたい(「ライスカレー」の挿入曲)
 ・ 平原綾香の明日(「優しい時間」のテーマソング)
 ・ 平原綾香のカンパニュラの恋(「風のガーデン」のテーマソング)
 ・ 森山良子のパピエ(「拝啓、父上様」のテーマソング)
 ・ 長渕剛の乾杯(「北の国から'89帰郷」の挿入曲)
 ・ 五輪真弓の恋人よ(「北の国から」の挿入曲。雪子が下北沢で手編みマフラーを置いて立ち去る場面)
 ・ 尾崎豊のI Love You(「北の国から'87初恋」の挿入曲。れいちゃんがラジオにリクエストした曲)
 ・ ハイファイセットのフィーリング(「北の国から」の挿入曲。令子が不倫相手と電話する場面)
 
北の国から」の1話〜24話は、これまた、何度見たか分からないほどであり、名場面のセリフは、だいたい口から出てくる。
 
1981年に初放映開始された時は、世の中は、まだVHSとかβとか言ったビデオテープの時代であったが、私は、CMをカットして録画するために、全24話、生録(TV放映時間中の同時録画)で録画したものである。
 
今でこそ、デジタル化されているので、録画後にレコーダーの編集機能でCMを削ることが出来るが、当時は、一方向にしか進まない録画テープが相手であるから、「進める」か「一時停止する」かしか出来ず、従って、TV放映中(即ち、生録中)に、CMが始まるタイミングを読んで、ビデオレコーダーの回転を「一時停止」させて、CMが流れ終わるまで待って、CMが終わった直後に「録画再開」させなければならなかった。
それでも「北の国から」は、CMの前後に、必ず、ミュートを入れる(画面を少しずつ白くボカして真っ白な画面にしてから、CM画面に切り替える)という丁寧な仕上げをする作品へのコダワリがTV局側にあった様なので、視聴者側は、TV画面を見ていれば、CMが入るタイミングが分かるので、リモコンの一時停止ボタンに指を載せてスタンバイしておけば、タイミングを外すことなく、CMをカットする事ができた。
 
このCMカット操作を、全24話やった訳である。毎週金曜日の放映時間の生録を、半年間続けた訳である。この日だけは残業を早めに切り上げて帰宅してである(笑)。
一番危なかったのは、最終回の時である。
当時、私は小田急沿線の百合ヶ丘に住んでいたのだが、その日は沼津(静岡県)に出張したので、帰りが夜になってしまい、アパートに帰り着いたのは何と放映の数分前であった。
 
それから、「北の国から'87初恋」の時は、当時、カミサンと婚約中であったのだが、放映の日の夜、カミサンから電話があり、「結婚式のしおり作成の打合せをするから、来てくれ」と呼ばれたのに、「見たいテレビがあるから行けない」と断って、カミサンを怒らせたこともあった。
今では、カミサンも「北の国から」への私の思い入れの強さを理解しているので、その時の私の心情が分かった様であるが(笑)。
 
余談であるが、TV作品を大事に作るのであれば、CMの前後に、必ずミュートを入れて欲しいものである。
昨今のドラマは、いきなりCMに切り替わったり、酷いのになると、ドラマの画面なのに、字幕でスポンサー名を平気で流すと言った無神経な作品の扱いが多過ぎる。あれは、ドラマの作成者(原作者、脚本家)への冒涜であると私は思う。画家の絵に落書きするのと同じ様な低次元の下劣さだと私は思ってしまう。そういう低次元のTV局の番組は視聴したくないと思うし、そういう下劣な事を平気でやらせるスポンサーの商品も「買うもんか」と思ってしまう。
少しは「北の国から」の丁寧な作品づくりを見習って欲しいものである。
 
【2023/10/16追記】
現在、「ジャニーズ叩き」が業界で進行中であるが、ジャニーズのファンの間では、そういうスポンサーへの不買運動が激化しているそうである。
逆に、「ジャニーズを使い続ける」と宣言した不二家では、本日、ケーキの特売キャンペーンを実施中だそうであるが、注文が殺到しているらしい。
 
私は、これまで7回、延べ45日、北海道に行っているが、その発端は言うまでもなく「北の国から」である。それでも、秋の北海道にだけは未だ行ったことがない。流氷と北海道の紅葉を見るために、あと最低2回は北海道に行かねばと思っている。
 
倉本さんも高齢になられたし、富良野塾も閉じられたし、連続のテレビドラマは「風のガーデン」以来、4年近く書かれていない。
昨今のテレビ番組は、どの局も安易なバラエティ番組ばかりに走り、ドラマ作りから腰が引けているかの様に見える。ドラマ作りに頑張っているのは、NHKだけである。
私も最近は、ドラマはと言うかテレビは、韓流ドラマとNHKドラマしか見なくなった。また、倉本さんに、ワクワクする様な見応えのあるドラマを作って戴きたいものである。
 
1 黒板五郎の2軒目の家・丸太小屋(富良野・麓郷の森)(1984.07.30撮影)
 
2 丸太小屋が火事になったあとに移り住んだ家(富良野・麓郷の森)(2002.08.22撮影)
 
3 黒板五郎の最後の家となった石の家(富良野・麓郷)(2002.08.22撮影)
 
4 純と令子(いしだあゆみ)との別れ、蛍と勇次(緒形直人)との別れ、五郎と快(孫)との別れなどの場面となった富良野駅(1984.07.30撮影)
 
5 雪子(竹下景子)が初めて富良野を訪れた時に泊まったホテル・富良野プリンスホテル(1984.07.30撮影)
 
6 五郎と純、蛍が東京から北海道に渡り、列車を降りた駅・布部駅(2012.04.25撮影)
 
7 純と蛍が筏下りをした空知(そらち)川(2012.04.25撮影)
 
8 十勝岳連峰(2012.04.25撮影)