会社友人の結婚披露宴


会社友人の結婚披露宴
時期:1984年6月3日(日)
更新:2022年9月6日(火)
 
同期入社で、新人配属時の職場が同じ部の隣の課だった松永君が結婚する事になり、私は、披露宴の受付をする事になった。披露宴は、東京・霞ヶ関ビル内の会場である。二次会は、電車で横浜に移動したと記憶している。
 
松永君は、スキーはハイレベルだったし、テニスもそこそこに出来たので、どちらも良く一緒に出掛けたものである。
また、私が会社の寮を退寮して一人暮らしを始めた場所が、小田急沿線の百合ヶ丘であり、松永君の実家が隣駅の新百合ヶ丘だったので、富士通の定時退社日(残業規制日)である水曜日と週末の金曜日には、夕方になると何故か目が合い、暗黙の合意で二人で良く飲みに行ったものである。
彼は、地元の人だったので、色々と活動範囲も広かったが、二人で飲みに行く店としては、西新宿のあるビルに入居しているパブが多かった。その店のママさんが芸能関係の出身だったそうであり、店で使っている女の子は、芸能人の卵が多かったそうである。私が行き始めた頃には既にNHK朝の連ドラの主役を演じてメジャーな女優さんになられていた原日出子さんも、下積み時代には、この店で働いていたそうである。
この店に行った時は、だいたいは新宿発の小田急の終電近くの電車で帰る事が多く、一度、向ヶ丘遊園止まりの電車で帰った際には、終点駅から深夜の道(向ヶ丘遊園~生田~読売ランド前~百合ヶ丘)を二人で歩いて帰り、途中で1~2件、飲み屋で休憩しながら帰った事があったが、百合ヶ丘に着く頃には一番鶏が鳴いていた事もある(笑)。
 
新婦は、我々と同じ部(計画部)に新しく出来た女性社員中心の課・プログラムラボラトリー課(略称:プロラボ課)の方であったが、私も一緒に山中湖にテニス旅行をしたり、飲みに行ったりした事もある方である。実は、私も彼女に想いを寄せていたのだが、振られてしまったのである(笑)。
 
まあ、そんなこんなのご縁もあって、披露宴の受付をさせて戴いた。
 
1 披露宴の受付を引き受けた。
 
2 同期の3人でわらべの「もしも明日が」を歌ってお祝い。
 
 
 
5 新郎新婦