横浜散策


横浜散策
1979年9月9日(日) くもり
 
この日は、前日に大学の同級生で日本IBM(滋賀県野洲)に勤めていた原田正章君が上京したので、同じく大学同級生で雀友(麻雀友達)だった横浜在住の土山健君(日立ソフト)と3人で集まり、横浜で飲んだ後、戸塚のスナックで飲み直し、明け方に寮に戻って来たという日だったのだが、昼頃に寮に電話があった。
電話の相手は、6月に、寮の友人と一緒に那須高原の富士通保養所でテニスをした際に、寮の友人が誘ってテニス旅行に参加してくれた同じ富士通社員の浅田裕子さんからであった。浅田さんとは、テニス旅行の後に、テニスの時の写真を渡すために、8月に渋谷で待ち合わせて一緒にお酒を飲んでいた。
 
今回の電話は、お茶のお誘いであった。この後にお会いした時に連れて来られたもう一人の女性が、私と同じ職場の隣の部署で働いている山添さんという方だったので、浅田さんが、職場が私と近い山添さんを私に紹介しておこうという目的だったのかも知れない。
因みに、富士通では、この年だったと思うが、ソフトウェア開発部門内に女性をメインにした(殆どが女性社員で男性社員は数人という)部署を創ったのである。プログラム・ラボラトリー課(略称プロラボ課)という課であった。まあ、男性陣から見たら、とても華やかな部署であった。
 
睡眠不足ではあったが、浅田さんが寮まで車で迎えに来てくれると言うので出掛ける事にした。
 
まずは横浜の山下公園?へ。私にとっては初めて訪れる場所である。
そのあと、山添さんを迎えに行ってから新横浜駅前の喫茶店に行き、3人でお茶を飲んだ。
 
帰りは、また、浅田さんに車で寮まで送って戴いた。
 
因みに、後に私の同期入社の松永君の奥様になられる方(高島さん)も山添さんと同じプロラボ課だったので、1983年の夏には、山添さん、高島さん、松永君、私の4人で山中湖にテニス旅行をする事になるし、松永夫妻の結婚披露宴でも山添さんとご一緒する事になる。
 
1 横浜港の眺望