本日のお題は「床屋」 (笑)


本日のお題は「床屋」 (笑)
2019年5月8日(水) 晴れ
 
昨日、時間があったので床屋に行ってきた。
そのことは最後に書くとして、ちょっと自分の「床屋」事情について、そこはかとなく書き綴ってみる。
 
私が生まれて最初に行った床屋は、多分、あの店だと思う。福岡市西部(現:早良区)の国道263号線沿い、国鉄筑肥線の荒江踏切の傍にあった床屋である。名前は忘れたが。グーグルマップで見てみたら、今はもう床屋は無くなってHotto Mottoになっている様である。
 
幼児の頃は、大人仕様の散髪用の椅子(バーバーチェア)の両側の肘掛けに引っ掛ける様に幼児用の座椅子を置き、それに座って散髪をして貰っていたのを憶えている。あの幼児用の椅子を使わなくなったのは、小学校に上がった頃からだったろうか。
ヘヤースタイルと言えば、下の写真の様に、後部はバリカンで刈り上げ、前髪は一直線に切り揃えるスタイルだった。
 
f:id:masuraoo:20160315215554j:plain
1 幼児時代の髪型
 
小学校2年の晩秋に現在の実家(現:城南区茶山)に引っ越してからは、同じ町内にあった中島理容店という店に通っていた。
大学を卒業して就職で関東に出る際に、愛読本だった「愛と誠」(漫画単行本)を一式(全巻)、お店に寄付して来た(笑)。
この店も、今は無くなっている。
 
中学生になった頃からか、髭が伸び始めた頃からかは憶えてないが、ある時期から、髪を切るだけではなく顔を剃る様になり、大人の仲間入りをした様な気分になったものである。散髪代も大人料金になったのかもしれないが、親から渡される金だったので良く憶えていない。
 
髪型については、色気付いてくると、刈り上げはどうも子供っぽい気がして止めて貰い、店の人が薦めてくれたレザーカットと言うのに切り替えた。確か、髪の束を作ってはカミソリで梳く(すく)様にして髪の量を間引きする様なカットだったと思う。多分、学生時代はずっとこのスタイルだったと思う。
 
f:id:masuraoo:20150220232130j:plain
2 中学時代の髪型
 
f:id:masuraoo:20150220232127j:plain
3 中学時代の髪型
 
1977年の春、就職して最初に住んだのは横浜市緑区荏田の会社の寮だったが、どこの床屋に行ってたのかは全く憶えていない。
もしかしたら、この頃は、床屋には行かず、自分でレザーカット用の器具を買って整髪していたのかもしれない。確かに、兄の結婚式の時に自分で整髪した頭で出席して、親戚から「髪型が格好イイねえ」と褒められた記憶がある。
 
f:id:masuraoo:20110703133056j:plain
4 自分でレザーカットしていた頃の髪型・・・かも
 
1981年の秋、寮を出て小田急沿線の百合ヶ丘のアパートに引っ越した後の床屋についても全く憶えていないが、多分、アパートと百合ヶ丘駅の間にあったのだろうと思う。
 
1983年の夏、静岡県東部の沼津に転勤したが、最初のアパートの時の床屋は全く憶えていない。車を買うために駐車場付きのアパートに引っ越した時の床屋は憶えている。
ある時、目を閉じて気持ちよく髭を剃って貰ったあと、ふと眼を開けたら、隣の席で散髪していた人が、もの凄く迫力のある形相で私の顔を睨んでいた事がある。「ガンを付ける」という言葉があるが、そんな感じで睨まれていた。
思えば、あの床屋の近くに、とある組の親分さんが住んでいるという噂を聞いた事があったので、もしかしたら、その親分さんだったのかなあと思ったりもした。確かに、待ち席のところに二人ほど迫力のある若い兄さん風の人が控えていた様に思う。
 
髪型の方は、何時の頃からか、レザーカットではなく段カットというタイプに変わっていたと思う。
 
f:id:masuraoo:20150330203442j:plain
5 1984年当時の髪型
 
1987年春に結婚し、夏には現在の三島の自宅に引っ越して来たが、最初に行った床屋は、徳倉小学校の近くにある店である。この店は、裾の部分をハサミで切らずに最初に電気バリカンを使ったため、もうそれだけで「手抜きだ」と感じ、選択肢から除外した。
 
次に行ったのは、芙蓉台入口付近にあるヘアーサロンとおやまというお店である。年配のご主人と若い息子さんがやっている店であり、数年は通ったと思う。我が家の子供達もこの店に通った。
 
この遠山さんの店は特に何も問題がある訳では無かったが、私が1989年秋に新しい職場に移った際に、職場の若手の人から三島駅北口付近にある床屋が良いと教えて貰ったので、一度その店に行き、とても気に入ったので、以来、20年以上その店にお世話になっている。かっとはうすサカイという店である。東レ三島工場沿いにある店である。
 
ちなみに、子供達は、その後もずっとヘアーサロンとおやまに通っていたが、何と、長男は、2007年春に大学進学して東京に出た後も、2011年春に東京で就職してからも、2019年現在も、新幹線に乗って遠山さんまで散髪に来る。店の息子さんと懇意にして戴いてるそうであり、散髪に来る時は三島駅まで車で迎えに来てくれるそうである。勿論、時間は閉店後の時間帯であり、営業時間外に散髪してくれるという特別待遇である。
 
話をかっとはうすサカイに戻して、何が気に入ったかと言うと、とにかく丁寧なカットであり、マッサージ等のサービスもとても良いのである。だいたい、75分前後掛けて散髪をしてくれるのだが、カットと仕上げは若主人、洗髪とマッサージは若奥様、顔剃りは大奥様がやってくれ、特に若奥様のマッサージがとても上手で気持ちが良いのである。それに、洗髪を最初とカット後の2度やってくれるも気持ち良くて有り難い点である。料金は、3,700円くらいだったと思う。
 
ところが、1年半ほど前だったと思うが、この店が、「暫く休みます」という貼り紙をして休業してしまったのである。
休業の理由は分からないが、休業前の2回ほどの散髪時に若奥様の姿が見えなかったので、大病を患ったのか、交通事故にでも遭遇したのか、まあ、そういう想像をしていた。
 
待っていても営業再開しないし、髪は伸びてくるしで、やむなく、ネットで調べて口コミの評判が良い店を探して、そちらの店に行く事にした。マウルバーバーと言う裾野市の店である。
 
この店は予約制になっていて、まあ感じの良い店であり、腕も確かではあったが、洗髪は1回だけ、マッサージや耳掃除は無く、それでいて料金は4,000円超えなのだから、どうしてもサカイに比べると やはり満足度は落ちた。オプション料金を足せばマッサージも有りらしいのだが、何かネェ・・・。
 
3回(私は散髪は隔月ペースなので半年間)ほどマウルバーバーに通ったところで、ようやくサカイが営業再開した。
 
これでまたサカイに戻れて安心していたのだが、今年の3月、店に行ったらまた「暫く休みます」の貼り紙である。
 
また、マウルバーバーに行くのも気が進まず、再びネット検索してみたら、IN TOKYO長泉店という店が見つかり、とにかく料金が無茶苦茶安いのである。
まあ駄目元だと思って行ったところ、料金が安いのも良いが、省けるところは省くという考え方に徹しているようであり、凄く効率的で、散髪時間も30分を切るスピードであった。とにかく回転が早くて、待ちが出来ていてもすぐに順番がくるので、割り切りさえすれば、なかなか良いシステムの床屋さんである。
 
仕上げについては、私は前々から、整髪剤を付けるのも嫌い、きちんと分けるのも嫌い、ドライヤーで固めるのも嫌いの「嫌い」三拍子であり、仕上げなど無くても良いのだが、プロの理髪師にとっては「仕上げ」が腕の見せ所なのだろうから、水を差す様に「必要なし」と言うのも憚られるので、黙って仕上げをして貰い、自宅に戻った日の入浴時に洗髪してラフな髪型に戻すのが常であったから、IN TOKYO長泉店のシステムは私にはベストフィットのシステムだと思う。
そもそも、セカンドライフの私は、外出する事は殆どなく外見を気にする必要が余りないので、床屋に行く目的と言えば、髪が伸びた鬱陶しさの解消だけと言っても良いくらいである。
その点で、安くて、早くて、ラフな仕上げで終わらせてくれるIN TOKYO長泉店当たりである。
昨日は、15:15に家を出たのに、散髪を終えて帰宅したのは16:15である。車で片道15分なので、散髪時間は30分である。もう、今までの様に、「今日は散髪の日」と構える感じではなく、空き時間にちょっくら行ってくるかというお手軽感で散髪に行けるのが良い。
 
ちなみにお値段は、「カット・顔剃り・洗髪・ブロー」のセットで1,800円(税別)であり、何と、満60歳以上は割引で1,600円(税別)(税込1,728円)である。良いですネェ(笑)。