【歴史】ロシアの歴史(2) 何故、プーチン大統領が誕生したか
2016年02月13日(土) 雨 のち 晴れ
参考書籍:「プーチン 最後の聖戦」 著者:北野幸伯(きたのよしのり)
【ソ連崩壊】1991年12月
・ロシア経済は最悪の状態、政府の財政赤字も膨大の状態で、ロシアの初代大統領に就任したエリツィンは、IMF(国際通貨基金)から226億ドルを借り入れ、IMFの勧告に従って大規模な改革を実施。
【民間企業の誕生】
・IMF勧告の一つが大規模な民営化(ギリシャの破綻でも同じ勧告。IMFの常套手段)であり、それを進める事にしたが、共産主義のロシアには、民間企業も私有財産も無く、全ての企業は国営、国民全員が公務員だったので、民営化すると言っても国営企業を買い取れる民間人と言うモノが存在しなかった。買い取る元手(私財)も存在しないし。そこで、国は全国民に一定額の株式との引換券(バウチャーと呼ぶ)を無償で配付し、各国民が、自分で選んだ企業の株式を買える様にした。
・バウチャーを貰ったものの、民間企業と言う発想など分からない殆どの国民は、バウチャーの価値が分からず、民間企業と言うモノをちゃんと理解していた少数の国民が、超安値でバウチャーを買い集める流れが出来て言った。これが、ロシアにおける格差社会の始まりとなる。
・民間企業が出現すると、民間銀行も誕生したが、相変わらず貧乏な政府に対して民間銀行が金を貸す様になり、国有企業を担保に取る流れが出来た。これにより、石油、鉄鋼など、国有のドル箱だったものが民間企業の持ち物に変わって行った。
・こうして、金融と資源を支配する新興財閥軍団が誕生した。1997年1月現在、民営企業はロシア全体の75%、労働人口の80%までに達した。主な財閥は以下。
財閥トップ | 傘下の企業名 |
---|---|
ボリス・ベレゾフスキー | 石油大手企業(シブネフチ)、公共テレビ(ORT) |
ロマン・アブラモービッチ | 石油大手企業(シブネフチ) |
ピョートル・アヴェン | 商業銀行最大手(アルファ銀行) |
ミハイル・フリードマン | 石油大手企業(TNK) |
ウラジミール・グシンスキー | 持ち株会社(メディア・モスト)、民放最大手(NTV) |
ミハイル・ホドルコフスキー | 石油大手企業(ユコス)、メナテップ銀行 |
ウラジミール・ポターニン | 持ち株会社(インターロス・グループ)、ニッケル、パラジウム生産世界最大手(ノリリスク・ニッケル) |
・この中でも、ベレゾフスキーは、エリツィン大統領一家と癒着し政治力を手に入れていた。
【プーチン大統領の誕生】
・1998年、エリツィンは心臓を患い、政権の継続が不透明になってきた。そこでベレゾフスキーは、自分の得た政治力を保持し続けるにはどうすれば良いかと悩む。さらにもう一つ、ベレゾフスキーには強力なライバルが出現していた。KGBの大物でその当時の首相、新興財閥嫌いのプリマコフである。悩んだ末にベレゾフスキーが出した結論は、エリツィン退陣後に自分の傀儡政権を立てる、次期大統領としてプーチンを選択するである。これが、47歳の若さでプーチンが大統領になれた理由。
・ベレゾフスキーがプーチンを選んだ理由:
1999年2月、当時、プリマコフ首相に追い詰められていたベレゾフスキーからは人が引き潮の様に去っていっていたが、そんな中、誰も祝いに来てくれない妻の誕生日に、当時はFSB長官であったプーチンがバラの花束を携えてやって来た。KGBの大先輩だったプリマコフとの関係が気まずくなることも恐れず、お祝いに来てくれたプーチンに、この時ベレゾフスキーは心を掴まれてしまったらしい。
・その後、プリマコフ人気に嫉妬したエリツィンは、5月にプリマコフ首相を解任、8月には次の首相も解任、その後任としてプーチンが首相に任命された。
・同月、ロシアからの独立を掲げるチェチェン共和国の武装勢力がダゲスタン共和国を攻撃する事件が勃発。プーチン首相はチェチェンへの空爆を開始して鎮圧。プーチンの人気はうなぎ登りとなり、10月にベレゾフスキーはプーチンを支える政党「統一」を立ち上げた。
・大晦日に突然、健康上の理由でエリツィンが大統領を辞任。首相だったプーチンが大統領代行となり、翌2000年3月の選挙で大統領になった。