【歴史】ウラジミール・プーチン(1) プーチン大統領誕生

【歴史】ロシアの歴史(1) プーチン大統領誕生
2016年02月10日(水) 晴れ

 これから世界を引っ張って行くリーダの1人となるであろうロシアのプーチン大統領。今読んでいる本を参考にして、プーチンの歴史を纏めてみる。
 参考書籍:プーチン 最後の聖戦」 著者:北野幸伯(きたのよしのり)

プーチン個人情報】
フルネーム: ウラジミール・ウラジミーロヴィッチ・プーチン
生年月日:  1952年10月7日 (2016/2/10現在 63歳)
生誕地:   レニングラード(現サンクトペテルブルグ

【おいたち】誕生〜22歳
・機械技師として鉄道車両を生産する工場で働く父・ウラジミールと、母・マリアの間に生まれたプーチンは、裕福ではない普通の家庭で育った。
・小6の時に柔道を習い始め、次第に真面目になっていった。そして、ある時から夢を描く様になった。「スパイになりたい」と言う夢である。小説や映画で活躍するスパイに憧れたらしい。
・14歳の時、彼はKGBソ連国家保安委員会)の支部に行き、どうすればKGBに入れるかと職員に質問したらしい。その答えは、「法学部がいい」、「思想問題を起こさない」、「スポーツで実績があると入りやすい」だったとか。
プーチンは、見事に名門レニングラード大学の法学部に入学。柔道に打ち込み、真面目な学生になった。
・大学4年(1975年)の時、彼はKGBからスカウトされ、スパイになりたいと言う夢を実現。

KGB時代】22歳〜38歳
KGBに入ったプーチンは、レニングラード支部事務局での勤務、対諜報活動局を経て、対外諜報部に配属される。
・1985年(33歳)の時、東ドイツドレスデンに派遣され、政治関係の諜報活動を開始。この年は、ゴルバチョフペレストロイカ政策を開始した年でもある。
・1989年11月(37歳)、ベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国はドミノ式にソ連圏を離脱。プーチンは、現地・東ドイツ祖国ソ連の敗北を為す術もなく見ることになった。
・1990年10月(38歳)、東西ドイツ統一プーチンは、レニングラードに呼び戻される。当時のソ連の経済レベルは西側に比べてかなり低く、車の数が少なく道路はスカスカ、店には行列ができ食料品店に入るには2時間待ち、かつ品物が不足している状態であった。一般家庭には洗濯機が無く、テレビは白黒と言うのが普通であった。レニングラードに戻ったプーチンは、この年KGBを辞める

レニングラード市職員時代】38歳〜44歳
・1991年6月(38歳)、大学の恩師がレニングラード市長に当選。市長より、市の対外関係委員会議長に任命される。外国投資を呼び込むのが仕事。
・1991年12月、ソビエト連邦が崩壊し、ロシア誕生。
・1992年(40歳)、レニングラード市改めサンクトペテルブルグ市となった市の副市長に就任。
・1994年(42歳)、第一副市長に昇進。
・1996年(44歳)、大学恩師でプーチンを採用してくれた市長が市長選で敗北したため、新市長からは慰留されたが第一副市長を辞任

ロシア連邦政府職員時代】44歳〜46歳
・1996年(44歳)、モスクワのロシア連邦大統領府から声が掛かり、大統領府総務局次長に任命された。モスクワに引っ越す。
・1997年3月(44歳)、大統領府副長官に昇進。
・1998年5月(45歳)、大統領府第一副長官に昇進。
・1998年7月(45歳)、FSB(ロシア連邦保安庁ソ連時代のKGBの後進)の長官に任命される。ロシアの全諜報員のトップとなった。

ロシア連邦首脳時代】46歳〜
・1999年8月(46歳)、ロシア連邦政府首相に就任。
・1999年12月31日(47歳)、エリツィン大統領が健康状態の悪化を理由に突然の引退。プーチン大統領代行となる。
・2000年3月(47歳)、大統領選で53%を獲得し、ロシア連邦大統領に就任。