【歴史】ロシアの歴史(4)[最終回] 反米にシフトしたロシア、仮想敵国アメリカ

【歴史】ロシアの歴史(4)[最終回] 反米にシフトしたロシア、仮想敵国アメリ
2016年03月06日(日) 晴れ のち 雨

 参考書籍:プーチン 最後の聖戦」 著者:北野幸伯(きたのよしのり)

プーチンはもともとアメリカが嫌い
●1952年生まれのプーチンは、マルクス・レーニン主義の徹底した反米教育を受けた。共産主義は支配階級を倒し労働者が勝利して万民平等の社会を作ること。そういう観点から、労働者の味方であるソ連は「善」、資本家の味方である米国は「悪」だと徹底的に教え込まれてきた。
ソ連崩壊後の新生ロシアは、IMF勧告に従って経済改革を進めた結果、GDP成長率が2桁のマイナスに落下した上に2600%と言う超インフレに陥ってしまった。これは米国が仕組んだ策略だとプーチンは感じていた。

■冷戦終了後の欧州の反逆
ソ連と言う脅威が無くなった今、もはや米国の軍事力に頼る必要は無くなったと考えた欧州は、昔の様に覇権を米国から取り返そうと考えた。
●米国経済の強さの源泉はドルが基軸通貨となっている事。即ち、世界各国が貿易のためにドルを必要とするので、米国はドル札を印刷して交換するだけで世界の富がアメリカに集まる仕組みになっているから。それなら、ドル以外でも貿易が出来る様にすれば良いと考えた欧州は、EU(欧州連合を作り、範囲を東欧に拡大し、さらに統一通貨で貿易ができるユーロを誕生させた。
●2000年、フランス)シラク大統領にそそのかされたイラクフセイン大統領が、石油取引は今後はドルでは行わずユーロで行うと宣言。米ドルが基軸通貨である事を脅かされた米国は、フセインが9.11ニューヨーク同時多発テロの首謀者アルカイダを支援している上に、大量破壊兵器を持っていると言うデマを流してイラク戦争を開始。(実は、9.11はアルカイダとは全く関係なく、米国による自作自演テロだった事は既に他方面にバレている。)
プーチンは、米国がアルカイダをかくまっているタリバンアフガニスタンを攻撃する件については米国を全面支援。その理由は、ロシアからの独立を目指すチェチェン共和国武装勢力アルカイダと繋がっていたために、アフガンを攻める米国と利害が一致したから。
●次に米国がイラク攻撃を始めるに際し、中東産油国が反対して石油輸出を止めると米国を脅したが、ロシアは、その分、ロシアの石油輸出を増やすから大丈夫と提案して欧米と良好な関係になった。

■ロシアが反米にシフトしたのは何故?
プーチンは、米国と良好な関係を作ることで、イラク討伐後の石油利権に食い込もうと考えたが、米国は、イラクの石油利権をロシアと分け合う積もりは無いと明言。一方で、フセインは、拒否権を持つ国連常任理事国ロシアに、米国の攻撃を止める様に救いを求め、見返りに総額400億ドルの契約(石油、ガス、交通、通信など)を約束すると提案してきた。そういう背景から、プーチンは考えを転換し反米にシフト。イラク石油利権に絡んでいる他の常任理事国であるフランス、中国と共にイラク戦争を阻止し、イラクの石油利権に食い込む考えに方向転換。結局、米国は国連承認を得ないままイラク戦争を始めた。

■仮想敵国アメリ
●2003年10月 ユコス事件(ロシア)
 表の内容は、ロシア最大手石油会社・ユコス社のトップであるホドルコフスキーを脱税容疑で逮捕したこと。しかし、その裏(真の事情)は別にあった。即ち、ホドルコフスキーが欧米と結託しプーチンを排除する動きを見せたために、プーチンがそれを潰したと言う事。もっと大きく捉えると、ロシアの資本主義化が進み新興勢力(ユダヤ人)が台頭した事で、欧米はロシアを支配下におけると考えていたが、プーチンが頑張って新興勢力を叩き、欧米の支配から脱却して昔のロシア勢力を取り戻したと言う事。ホドルコフスキーは、政治に介入しプーチンの政策を批判し、ロスチャイルドに近づき支援を得て「オープン・ロシア財団」を設立して反プーチン運動を展開。オープン・ロシア財団の目的は、プーチンを追放して独裁国家ロシアを開くこと。財団の理事には、米国元国務長官キッシンジャーも入っていた。ホドルコフスキーは、米国ブッシュ政権内に人脈を作り、米石油メジャーのシェブロンテキサコエクソンモービルとの提携を進めていた。つまりは、ロシア経済の最大の担い手企業であるユコスを米国に売却するのも同じ様な事を画策していたのである。このユコス事件を契機に、プーチンは遂に欧米と闘う事を決意した。この時から新冷戦時代が始まる。以降、米国は、ロシアの力を削ぐための工作を始めることになる。

●2003年11月 バラ革命グルジア
 実施されたグルジア議会選挙について、野党が「不正選挙だ」と主張し、選挙やり直しと大統領辞任を求めて大々的なデモを敢行。議会ビルを占拠した。これによりシュワルナゼ大統領が辞任したと言う内容。実は、選挙前に野党が米国に選挙の監視をして貰おうと主張し、米国民間調査会社が選挙の出口調査をする事になったらしい。その調査結果と選挙結果が乖離していたと言う事でこの騒動が勃発したと言う事。どう見ても米国による出来レースだった様である。ちなみに、翌年の大統領選の結果、革命を主導した野党のサアカシビリが新大統領となり、ロシアの旧植民地であったグルジアに米国傀儡政権が誕生した。
 背景を少し書いておく。コーカサス地方の最大産油国であったアゼルバイジャンの石油は、ロシアの黒海沿岸都市まで敷設されたパイプラインで運び、そこから世界市場に供給されていた。ところが、クリントン大統領時代の1996年、米国はロシアを通さずに市場に出すプロジェクトを計画し、アゼルバイジャングルジア〜トルコ間のパイプライン(BTCパイプライン)建設を始めた。金融界の支持を得られずプロジェクトは一旦中断したが、大統領が石油業界を支持基盤に持つブッシュに代わり2003年に再開。ロシア国益を損なうBTCプロジェクトを阻止するために、プーチンはパイプライン経由国であるグルジアに圧力を掛け、シュワルナゼ大統領にBTCプロジェクトへの参画を思い留まらせた。そこで、米国が画策してグルジア政権交代⇒米国傀儡政権誕生を実現させたのがバラ革命である。以降も、米国は同じ手口(旧ソ連諸国で革命を起こさせ、米国傀儡政権を誕生させる)でロシア勢力を削ぐ画策を繰り返して行くことになる。

●2004年11月 オレンジ革命ウクライナ
 ウクライナは、ロシアと欧州の間を結ぶパイプラインが通過する国。欧米にとってはウクライナは要所中の要所であり、是非とも自陣営(NATO、EUなど)に引き入れたいと思っていた国である。そして、2004年11月、ウクライナの大統領選が行われ、親ロシアのヤヌコビッチが当選。ところが、グルジアと全く同じパターンで不正選挙のクレームが上がり、欧州、米国の圧力が掛かって現大統領が再選挙に同意。結局、初回選挙で落選した親欧米のユシチェンコが再選挙で当選した。

●2005年3月 チューリップ革命キルギス
 旧ソ連は、ロシア以外を大別すると東欧、コーカサス中央アジアであるが、東欧はウクライナで親米政権を誕生させ、コーカサスではアゼルバイジャングルジアと言う親米(米国傀儡?)政権を誕生させた。残るは中央アジア。そこで米国が次に狙いを定めたのがキルギス。2005年3月の議会選挙にて、これまた同じパターンで選挙後の野党のデモ⇒選挙やり直し、大統領辞任⇒再選挙、大統領選挙となり、親米のバキエフが新大統領に就任した。

●2005年5月 アメリカの策略失敗(ウズベキスタン
 ウズベキスタン東部の市で武装集団の暴動が発生。カリモフ大統領の辞任を要求した。グルジアウクライナキルギスの革命を知っているカリモフは、すぐに米国の仕業だと確信し対抗を決断し軍を導入。これによりデモに参加した一般市民を含む大量の犠牲者が出た事に対し、米国が調査団受け入れを要求。しかし、受け入れたが最後、米国に良いようにされると知っているカリモフは要求を拒否した。この時、ロシアと中国は、カリモフを非難せず逆に守った。カリモフは過去の米国の策略を見て以下を悟っていた。
 - 米国の言いなりになっていたら革命を起こされる。
 - ロシア、中国は同じ独裁国家共産主義)なので民主化を迫らない。付き合うなら米国ではなくロシアと中国の方が良い。
 - 革命を阻止するには武力しかない。
 そこでカリモフは、米国に対し、アフガン攻撃以来駐留していた米軍に撤退を要求した。米国の失敗である。その後も米国は、旧ソ連各国に対し選挙を契機として同じ手口で策略を実行したが全て失敗する様になる。米国の手口が旧ソ連各国に見透かされてしまったからである。

●2005年7月 打倒アメリカを決意したプーチン、仮想敵国だった中国と同盟
 自国だけで米国に対抗するのは無理と判断したプーチン、それまで仮想敵国の一つであった中国との同盟を決意した。米国のしたたかさと強い覇権意識を知る中国も、ロシアとの同盟には大歓迎。中東のエネルギーを支配する米国を考えると、石油・天然ガスを持っているロシアと手を組める事も中国にはウェルカムだった。中露間でただ一つ問題だった極東の領土問題も、両国が譲歩し合って国境画定。胡錦濤主席がモスクワを訪問し、クレムリンにて国連中心主義を柱とした共同宣言に調印した。以下、主な動き。
 - 8月には初の中露合同軍事演習を実施。
 - ロシアはイランに武器輸出。原発利権にも関与。中国にとってイランは石油供給国であり石油利権にも関与。
 - 中露は、ガスのパイプライン建設で合意。ウラル〜アルタイ経由、サハリン〜ハバロフスク経由の2本のパイプラインを建設。2005年の中国年間消費量を上回る供給が可能になった。

●2005年7月 中露、上海協力機構(SCO)を反米の砦に
 プーチンは、2001年に作った組織・SCO(加盟国は、中国、ロシア、カザフスタンウズベキスタンキルギスタジキスタン)を反米の砦にし、味方を増やして行くことにした。7月の首脳会議にて以下を決定。
 - アスタナ宣言を採択し、中央アジアに駐留する米軍の撤退を要求する。(前述のウズベキスタン・カリモフ大統領の件)
 - イラン、インド、パキスタンをオブザーバ(準加盟国)として承認。中露がイランを米国から守ると言う意思表明。
 2007年には、SCO加盟6カ国による初の合同軍事演習を実施。NATOへの対抗。

●2006年5月 プーチン、米国を震撼させる重大発言
 国会での方針演説にて、プーチン石油などロシアの輸出品はルーブル決済にする(ドルは使わない)と宣言。ドルが基軸通貨でなくなれば経済崩壊する米国には大問題。ロシアは外貨準備の中身を以下の様に見直した。
 - ドルの比率を70%から50%に下げる
 - ユーロの比率を40%に上げる。
 - 円、ポンドを加え、ドル離れを加速化させる。
 さらに以下が続く。
 - 各国に対し、米国「双子の赤字」へのリスクヘッジのために外貨準備通貨としてドルの依存度を下げるべきと提言。
 - 6月よりルーブルでのロシア原油先物取引を開始。
 - ユーロの基軸通貨化が進み、12月には遂に流通量でドルを越えた。
 - 2007年には、ルーブルをドルに代わる世界通貨にすると宣言。
 - イランも原油のドル決済中止を実施。

●2012年3月 プーチン、大統領として復帰。米国と最終決戦
 ロシア憲法の規定により2期しか連続できない大統領。大統領を2期つとめたプーチンは、メドベージェフに大統領を譲り首相に退いたあと、4年後に再び大統領として復帰。


 参考にした書籍プーチン 最後の聖戦」では、話はここまでで終わりになっているが、その後の大きな出来事としては以下がある。着実に中露が台頭し、米国が衰えていることはご存じのとおり。

●2014年2月 ウクライナ政変
 ウクライナは大きく東西で異なり、EUに接する西側には元からのウクライナ系民族が、ロシアと接する東側にはロシアから移民してきたロシア系民族がそれぞれ住んでいた。2013年当時は東側の親ロシア派が政権を取っていたが、西側より不満の声が上がり首都キエフでデモが発生。次第に暴力化してテロ活動に発展。  (実は、米国(主導者はヌーランド国務長官補)が資金提供して起こさせたクーデターだと後にバレテいる。
 ヤヌコビッチ大統領が東側に避難した後、親欧米派のトゥルチノフが大統領代行となったが、これを非難した東側は独立を主張。しかし、資源豊かな東側だけが独立されては困る西側と欧米は強く反発した。一方、ロシアのプーチン大統領は、軍事介入してウクライナの重要拠点であるクリミア半島を掌握したため、欧米が強く非難しロシアに対する経済制裁を実施した。また、クリミアのロシア編入を受けて東側もウクライナからの独立を訴え、東側(親ロシア派武装勢力)と西側(政府軍)との争いが本格化した。
 翌年、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4国首脳会議が開かれ、政府軍と親ロシア派武装勢力の間に停戦協定が結ばれた。欧米は一応は経済制裁の形は取っているものの、実は米国が画策した政変であることは既にバレているし、欧州はロシアからの天然ガス供給に依存していること、大量のシリア難民問題で大変なこと、ロシアが悪の元凶ISISを懲らしめてくれている事などから、ロシアに好感を持ち実質的な同盟関係にある程であり、経済制裁は形骸化。

●2015年3月 アジアインフラ投資銀行(AIIB)に日米を除く殆どの国が参加表明
 中国が呼びかけるAIIBに、米国の反対を押し切って英、仏、独を含む欧州の主要国、ロシア、豪、韓国など、日米を除く世界の主要国がこぞって参加表明。いよいよ米国の凋落が見えて来た。

●2015年7月 米国とイランが和解
 米国、ロシア、イラン(と英独仏中)は、イランの核開発問題を事実上解決。

●2015年9月 ロシアがISISを空爆開始
 シリア・アサド大統領からの要請によりロシアがISIS空爆を開始。プーチンは、実は、ISISがイスラエル、米国、サウジ、トルコが支援する傭兵部隊である事を知っており、ISISの収入源となっている石油基地を徹底的に空爆し殲滅。遂に米国はロシアに屈服。ロシアに中東を任せる。パリ同時多発テロを仕掛けられたフランスも空爆に参加。
 以降の中東状況は日々変化していると思われるが、ロシア軍は中心的な役割を担って活動中と思われる。

以上。