会社の送別会


会社の送別会
2013年6月26日(水) 雨
更新:2023年11月21日(火)
 
この日の夕方、会社(富士通川崎工場)の20階ラウンジにて、送別会が催された。私を含む3名の退職者のための送別会である。
 
以下、私が社会人となってからの職歴を簡単に列記する。
 
1977年4月、大学卒業後、私は富士通に入社した。配属先は、ソフトウェア開発部門である。
 
2007年5月、所属していた組織ごと、富士通の子会社である富士通サポート&サービス(後に、富士通エフサスに社名変更)に出向した。
 
2009年12月、出向元である富士通での役職定年により、担当業務はそのままで、出向先であった富士通エフサス転社した。
      (2007年5月に一緒に富士通から出向していた組織のメンバも、数年後には、全員、富士通エフサスに転社した。)
 
2012年6月、所属していた組織ごと、親会社である富士通に戻った(転社した)。
 
2013年6月、今回、富士通での早期退職募集(定年退職扱い)に応募し、退職する事となった。
 
と言う事で、富士通時代、富士通エフサス時代を合わせて、富士通グループで約36年間お世話になったのであるが、今月末をもって退職することになった。
 
少し長くなるが、富士通の歴史から簡単に説明する。
 
①富士電機
 1923年、古河電気工業と、ドイツのジーメンス社との間の合弁会社として、富士電機が創業された。
 社名は、古河グループの「フ」とジーメンス社の「ジ」を取って、フジ電機とし、漢字に富士山の「富士」を充てて、富士電機とした。
 
②富士通信機製造
 1935年、富士電機の通信機部門が独立して、富士通信機製造という会社が誕生した。
 
 1967年、富士通信機製造は、社名を変更し、元の会社名の頭3文字を取って、富士通とした。
 
③コンピュータ分野に進出
 富士通(富士通信機製造)は、元々は、電話交換機など、通信機の製造を手掛ける会社であったが、ある時期より、コンピュータ開発分野に進出。FACOMシリーズを世の中に提供し始めた。
 
④私が入社する少し前からの富士通の新戦略
 私が入社した1977年当時の富士通は、コンピュータビジネスで急成長しつつある会社であったが、毎年1,000人規模の新人を採用して、会社の規模も急拡大し続けている頃であった。
当時は、コンピュータと言えば「大型コンピュータ」の時代であり、世界の巨人・IBMが、世界の6割を超えるシェアを握っていた時代である。
 
その中にあって、富士通は、「IBMに追いつけ、追い越せ」を合い言葉に、それまでの独自設計仕様(アーキテクチャ)のマシン(コンピュータ)であったFACOM 230シリーズ開発から、大きく戦略転換して、IBMマシンの完全互換機であるMシリーズを開発し、これをIBM志向ユーザにぶつけて、「性能」と「サポート力」の優位性を武器に、IBMマシンを富士通マシンにリプレースすると言う真っ向勝負に打って出たのである。
 
富士通の歴史は、このくらいにして、私の入社後の話に移す。 
 
福岡に生まれ、大学卒業までを福岡で過ごした私は、この年(1977年)の3月30日、雨の朝に、福岡空港を飛び立って社会人生活をスタート。横浜市緑区(現青葉区)の独身寮に入った。
この日のことは、今でも鮮明に憶えている。
 
4月1日に、川崎工場で入社式を終えたあと、1週間のオリエンテーション、3週間の工場実習(神戸にある子会社の「富士通テン」)を経て、4月下旬に、配属先がソフトウェア開発部門に決まった。
ただし、配属先部門が決まったとは言っても、具体的な所属先(部・課)が決まった訳ではなく、配属先の事業部(ソフトウェア事業部)内での新人教育はまだまだ続く。
 
5月から8月までは、大田区蒲田での集合教育、その後、職場(部・課)に配属されてからは、OJTを実施し、秋も深まった頃に、ようやく実務を任される様になった。
 
この36年間で、仕事の内容が大きく変わったのは4回程度であったが、職場オフィスの方は、蒲田を皮切りに、武蔵小杉(4年)、川崎工場(1年半)、沼津工場(6年)、三島分室(3年)、沼津工場(7年)、新横浜(4年)、浜松町(2年半)、大森(3年)、武蔵小杉(2年)、川崎工場(半年)と、11オフィスを転々としたことになる。
 
その間、入社10年後の1987年に、当時の勤務地である沼津で、地元沼津出身のカミサンと結婚。翌年から、3年続けて子宝に恵まれた(子供の干支は、辰・巳・午)。
そのうちの上二人は、既に社会人として独立しており、末っ子が大学院1年生である。
 
36年間は長いが、中身を振り返ってみると、あっと言う間の時間の流れであった様な気もする。
 
さて、7月からは、セカンドライフが始まる訳だが、まだまだ楽隠居できる身分ではないので、早速、就活を始めることになる。まあ、暫くは、失業手当が出るので、慌てず、じっくりと検討して、再就職先を決めようと思っている。
 
1 送別会会場
 
2 記念撮影1。ちょっと前まで同じチームにいた女性です。
 
3 記念撮影2。同じ本部内の方です。