富士通株式会社 入社式 (1977年4月)


富士通株式会社 入社式 (1977年4月)
時期:1977年4月1日(金)
更新:2023年8月18日(水)
 
国鉄南武線・武蔵中原駅の前にある富士通川崎工場(本社工場)で入社式。
 
入社試験の際に一度訪れた事のある川崎工場内の「教育訓練センター」にて、この日から1週間のオリエンテーションである。
 
富士通は、元々は、富士電機株式会社の一部門(通信機部門)だったが、その部門が分離独立した会社であり、当初の社名は、「富士通信機製造株式会社」であった。
その社名を後に、馴染みやすい様に短縮して、元の社名の頭3文字だけの社名・富士通としたのである。
 
ついでに言うと、親会社である富士電機の社名については、殆どの方々が富士山の名前を貰った社名だと思われていると推測するが、実は全く違う。
この会社は、ドイツのジーメンス社古河グループの合弁会社として誕生したのであり、社名は古河の「」とジーメンス社の「」を取って「フジ」という名前にし、当て字として「富士」という漢字を当てただけなのである。
 
ついでに、もう少し脱線する(笑)。
古河グループは、古河市兵衛が興した会社の発展した形であるが、古河市兵衛は、外から古河家に養子で入った人物であり、更に、古河市兵衛の養子として古河家に入ったのが、伯爵・陸奧宗光の二男である陸奧潤吉(古河潤吉)である。
その陸奧宗光が、実は、欧州大塔宮落合莞爾先生の命名。96代 後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良(おおとうのみやもりなが)親王が鎌倉で偽装死した後に奈良西大寺に入り、そこで生まれた皇子、皇孫たちが後に欧州(ベルギー、オランダ、ハプスブルク等)に入って日本皇室の男系血族を創った。それを指す)系列の人であり、欧州より日本に渡って来た方である。ジーメンス古河を繋げたのも、陸奧宗光系列の繋がりだろうと思われる。
全くの余談であるが、安倍晋三元首相が奈良西大寺駅前で暗殺されたと聞いて、私は、すぐに大塔宮護良親王の事が頭に浮かんだ。暗殺事件とは全く関係ないと思うが。
 
【2022/8/24追記】
 後日、落合莞爾先生より、「安倍元首相暗殺の地が、奈良西大寺駅前と言うのは、偶然ではなく因縁があると考えている」というお話を伺っている。キーワードは「偽装死!?
 
【2023/8/18追記】
安倍晋三元首相の暗殺事件に関しては、落合莞爾先生の門人でもある鍋島直亮さんが、以下のnote記事でコメントされている。良~く読んでみると、何か感じる事があるかも知れない。(私は感じた)
 無料記事➪【無】安倍さん銃撃の背後関係
 有料記事➪【 口外厳禁 】あの狙撃事件の件
無料記事の方を読んだだけでも、落合先生の奈良西大寺との因縁云々のお話は、外れている様に私は思う。
  
それから、落合莞爾先生の國體ワンワールド史観の中で出て来る國體黄金ファンドは、國體勢力である、陸奧宗光、澁澤栄一、等々を介して日本の産業発展のためにも投資されたと聞いているが、富士通にも國體黄金ファンドが入っていると聞いた様な・・・。本田技研、日産などに國體黄金が入っているのは間違い無い。
 
脱線が長くなったので、話を富士通に戻す。
 
私が入社した頃は、大型電子計算機(コンピューター)が本格的に世の中の企業等に導入され始めた頃だったため、その流れに乗って富士通も今で言うIT部門(当時はソフトウェア部門とハードウェア部門)を急成長させる時期であり、毎年のように大量に新入社員を採用し、倍々ゲームの様に従業員数が増えた時代である。
私の入社年には、大卒だけでも千人規模の採用をしたと聞いている。
 
川崎工場への交通手段は、東急田園都市線の江田から溝の口まで行き、国鉄に乗り換え、南武線の武蔵溝の口から武蔵中原までである。