東日本大震災あれこれ


東日本大震災あれこれ
2011年3月15日(火) くもり
 
■今週が始まりました
 
東日本大震災が発生後、2日間の休みがあったが、月曜から、いよいよ地震後の仕事開始。
 
初日は、JR東日本が山手線以外は運休とのことで、首都圏の方々は通勤の足が無くて大変だったろうと思うが、私の場合は、東海道新幹線が通常どおり運行していたので、品川まで出て、山手線で目黒まで回り、東急目黒線で武蔵小杉に向かうという迂回ルートが選べたので、家を出る時間を30分早めただけで、いつもの時間(8:05)に会社に到着。
東海道線沿線、横浜線沿線、南武線沿線、小田急線沿線の方々は、全く迂回ルートがなく、自宅待機するしか無かった様である。
 
昨日は、朝から出勤したものの、職場の地区の計画停電が12:20〜16:00と言うことであり、その間、パソコンは使えない、ネットワークも不通、電話も使えない、おまけにトイレまで使えないと言う事だったので、結局、午前中で退社OKという事になり、三島の自宅に戻ってきた。
 
本日は、2日目と言う事で、交通機関も、かなりの路線が、間引き運転ながらも運行したので、みんな出勤して来た。
計画停電は9:20〜13:00だったが、結局、中止となった。余震は続いたものの、職場は落ち着きを取り戻した様である。
但し、福島県にある関連会社が大変な事になっており、これからの復旧に時間が掛かりそうである。
 
■天災と人災
 
日曜日に、テレビを見ながらカミサンと話した内容が、天災と人災である。
地震と津波は天災だし、まあ、ガソリン不足についても、地震に起因した製油所の火災や道路事情の悪化だろうから、天災と言っても良いと思うが、電力不足による計画停電は、どう考えても人災だと言う話をしていたのである。
計画停電については、今回、地震による大きな打撃を受けていない東北電力までが実施すると発表したことから見ても、従来から懸案となっていた電力不足の問題だろうと思う。
「被災地の皆さんが、電気も水も食料も無い環境で苦しんでいるのだから、計画停電くらいは我慢せねば。」と思うのが、大方の国民感情なのだが、冷静に考えると、電力不足については、地震が起きてなくても、いずれは顕在化した問題であろうし、穿った見方をすれば、この機に乗じて、電力会社が官邸に泣きついたのでは無いかと勘ぐってしまうのは私だけだろうか。奇しくも、翌朝のテレビ番組で、司会のみのもんたさんが、私と全く同じ事を言っていたのには驚いた。
 
それにしても、一部の被災地にまで計画停電を実施してしまったと言うのだから、東京電力はお粗末過ぎる。
 
■計画停電
 
我が家は第2グループに属するが、昨日は結局、計画停電は実施されなかった。そして本日、仕事を終え新幹線で三島駅に着くと、三島の街は真っ暗。信号も消えているので、バス通りは車がノンストップで走り抜け、横切るのが恐いくらいであった。
 
自宅に戻ると、カミサンは、頭に付けたライトを点灯し、夕食の支度を始めていた。このライトは、登山の時に頭に付けるタイプのライトであるが、懐中電灯の様に手で持つ必要がなく、両手が自由になるので、停電の際には有効である。
 
我が家のトイレは、昨春にタンクレスのトイレにしたのだが、人がトイレから出ると、便座と蓋が自動的に閉じる様になっている。
さて、トイレに行ってみると、何やら違和感を感じた。便座も蓋も、開いた状態になっていたためである。停電になった後、多分、誰かが手で開けたのだろう。懐中電灯で照らしながら用を足した。これも初体験である。
夕食は、暗い部屋でロウソクを灯して食べたが、テレビも点かないので静かなものであった。
 
■震源地
 
昨日、東京湾を震源とする地震があった。どうも、震源地が、宮城件沖、新潟、長野、東京湾と南下して来ている様に思えたので、カミサンに、「ひょっとしたら、今度は静岡で地震が発生するかもね」という話をしていたのだが、本日、22:28、静岡県東部を震源とする震度6強の地震が発生。本当の話になってしまった。
幸い、計画停電が終了した後だったので、暗闇での地震発生は免れた。かなりの揺れだったので、暗闇だったらパニックになっていたかも知れない。