東京散歩 (1) 井の頭公園〜新宿〜千川


東京散歩 (1) 井の頭公園〜新宿〜千川
2009年9月5日(土) 晴れ
 
帰省中の娘、カミサン、私の3人で新幹線に乗り込み、東京へ。
東京駅に着くまで、娘とカミサンは喋りっぱなしである。どうやら、進行中の娘の教育実習(音楽)の話題でもちきりの様だ。
 
東京駅構内で娘と別れ、我々夫婦は中央線に乗り換えて吉祥寺に向かう。
本日のウォーキングの出発点は、井の頭公園である。
 
朝の井の頭公園、まだ空気がヒンヤリとしていて気持が良い。
朝の公園と言えば、だいたいは何処の公園でも、犬を連れて散歩する人、ジョギングする人などで賑わっているが、それに加えて、ここ井の頭公園では、手作りの装飾品や絵、写真などを並べる青空マーケットが催されている。多分、売って儲けるのが目的ではなくて、趣味で創作した自分の作品を、行き交う人に見て貰いたいと言うのが一番なのだろう。
 
1 井の頭公園の朝(2009.09.05撮影) 東京都武蔵野市/三鷹市
 
 
公園の東端にあるひょうたん橋。この橋の下から井の頭池の水が流れ出して、ある川が始まっている。歌のタイトルにもなっている有名な川である。そう、このひょうたん橋は神田川の源流なのである。
 
神田川沿いに少し下り、吉祥寺南町から五日市街道に出て、東へと進む。
 
杉並区に入り、20分ほど歩くと宮前町である。
とある賃貸マンションの前で、カミサンが携帯電話を掛ける。しかし応答なし。今度はマンションの呼び出しブザーを鳴らすが、これも反応なし。どうやら留守の様である。
実は、ここは大学生の長男が一人暮らしをしているマンションなのである。寝込みを襲って驚かそうと言う夫婦の計画は、残念ながら実らず。
 
3 息子のアパート。出窓には沢山の酒瓶が・・・(2009.09.05撮影) 東京都杉並区宮前
 
このあとの計画では、阿佐ヶ谷に抜け、以前から食べたかった「馬鹿豚やラーメン」で昼食を取ったあと、中野の街を北上して、練馬区、豊島区と進む予定であったのだが、息子のビックリ顔を拝むのに失敗したとなると、コースを変更して再トライ(?)するのもいいかもと言う気分になってきた。次の行き先を新宿に変更。
 
善福寺川公園のところで五日市街道を外れ、南阿佐谷のアーケード街を抜けて阿佐ヶ谷駅前に出ると、コースを北上から東進に変更。
ここ阿佐ヶ谷から東に向かって中野区の神田川合流地点まで延びる桃園川緑道と言うのがある。神田川の支流・桃園川があった所を緑道にしたものである。
ここを歩くのは2度目であるが、カミサンは初めてなので、新宿に向かうコースとして急遽選択。
 
12時を過ぎ、お腹が空いてきたので、緑道の終点(神田川との合流地点)まで歩くのは止めて、地下鉄を利用することにした。
最寄りの駅を地図で調べながら歩いていたところ、身体が前につんのめり、続いて両膝に激痛が走る。道と緑道の交差点(即ち、昔の桃園川に架かる橋)の手前に、花壇ボックスが配置されていた様であるが、地図に集中していた私の眼には入らなかったのである。
子供の頃には日常茶飯事であったが、膝小僧に傷を作るのは何十年ぶりだろう。
 
桃園川緑道を外れて中野通りを南下し、青梅街道との交差点にある地下鉄丸の内線の新中野駅から地下鉄に乗車し、新宿三丁目へ。
 
CICIマルイビルの8階にあるイタリアンの店「TO THE HERBS」、店内を覗いてみると、いたいた息子が。
こちらに気づき、ビックリ顔。息子を驚かす再トライの作戦成功である。パスタ、サラダ、ビールのピッチャーを注文し、働く息子を見ながら夫婦でランチを楽しむ。
 
午後は、伊勢丹の前から明治通りを北上し、池袋方面へ。
母校に寄ってみたいと言うカミサンのリクエストに応えて、練馬に向かうべく、馬場口の交差点を左折して高田の馬場方面へとコースを軌道修正。
 
途中、中落合にある、カミサンと娘の親子二代共通のピアノの師である平尾先生のお宅の前を通過。
この先生のお母上が、カミサンの大学時代の恩師である。その関係で、カミサンは、恩師の娘さんであった今の先生にも学生当時にレッスンを受けていたとか。
先生のご両親(カミサンの大学時代の恩師と、その夫・平尾貴四男氏)はともに音楽家であり、歌手・作曲家の平尾昌晃さんとも親戚なのだそうである。
 
哲学堂公園を経由して、妙正寺川を少し遡ったところから北上を開始。
江原町を抜けて、西武池袋線の江古田駅方面へ。
その江古田に、カミサンの母校・日藝(日大藝術学部)がある。
卒業生には、水戸黄門を演じた佐野浅雄さん、真田広之さん、売れっ子作家の三谷幸喜さんなどがいるそうである。
話が逸れるが、西武池袋線の江古田駅は「えこだ」、中野区の江古田町は「えごた」と読むのだそうである。
 
4 哲学堂公園(2009.09.05撮影) 東京都中野区
 
日藝は休日、工事中と言うことで、残念ながら中には入れなかった。
 
続いて、カミサンが学生時代に住んでいたと言う向原(むかいはら)のアパートを探す。
辺りは一変しており、なかなか見つからなかったが、そのアパートは残っていた。「古くなったなぁ」とはカミサンの感想。
 
5 カミサンが学生時代に住んでいたアパート(2009.09.05撮影) 東京都板橋区
 
そして、日藝前の通りをまっすぐ東に進むと、千川(せんかわ)の通りにぶつかる。ここに娘の賃貸マンションがある。
偶然であるが、娘のマンションとカミサンの昔のアパートが、歩いて僅か10分の距離であったことが分かった。これも何かの因縁か。
 
ちなみに、この辺りは練馬区豊島区板橋区が隣接しており、日藝は練馬区、カミサンの昔のアパートは板橋区、娘のマンションは豊島区である。
 
娘のマンションは、地下鉄有楽町線千川駅入口の前であり、交通の便は抜群なのだが、1ルームの狭い部屋であり、防音設計の関係で箱形構造の密室になっているため、押入などの収納が無い。
7畳程度の部屋にベッドとグランドピアノが入っているので、ゆとりスペースが殆ど無い。3人で夕食を取ってから帰る予定にしていたが、狭い部屋でくつろぐことも出来ず、夕食時まで間が持てないため、結局、早々に帰ることにした。
カミサンは元々、本日は娘のところに泊まる予定なので、私だけで三島に戻る。地下鉄、JR山手線、新幹線と乗り継いで、6時半に三島の自宅に帰還。
 
次回以降の東京ウォーキングは、麻布エリア、皇居エリア、お台場エリアなどを考えている。
 
《追記》2011.02.11(金)
 
長男は、今は宮前のアパートを引き払い、自宅(三島)で一緒に暮らしている。
とは言え、来月の末には、新入社員として会社の寮(場所は未定)に入るのだが。
 
大学を卒業して社会人になっている娘も、1年前に千川のマンションから家賃の安い練馬区のマンションに移り、今は自活している。
 
私の膝の傷は、歳のせいか完全に治るまでに数ヶ月掛かったが、傷跡は今も両膝に残っている。歳を取ると、治癒力が本当に落ちるものである。