揺れたナァ〜


揺れたナァ〜
2011年3月11日(金) 晴れ
 
週末の金曜日。昼休みのあと、仕事が乗って来たところであったが、ここ武蔵小杉(川崎市)の新しいビルに引っ越してきて以来、何度目かの地震が発生。
数日前の地震でも、事務所が11階と言う事で結構揺れたのだが、今回も同じ様に激しく揺れ始めた。
 
今回も「結構揺れるなぁ」と思いつつ、そろそろ治まるかと思っていたら、何と、揺れが段々と大きくなって来て、もう、机にしがみついてないと飛ばされそうな激震である。しかも、治まることを知らず、えらく長い時間揺れ続けていた。私のこれまでの人生で最大の地震だったと思う。
後にニュースで知ったのだが、何と観測史上最大のM8.8だとか。いやあ参った。
その後も、大きな余震が断続的に続き、PCの画面を見ていると船酔いの様に気持ち悪くなるので、仕事の続行も断念。会議室から持ち出されたテレビ会議用の大型モニタで、ずっと地震のニュースを見ていた。
 
夕方になったものの、帰宅しようにも首都圏の電車は全面ストップ。新幹線も、東京〜静岡間が運転見合わせ中であり、復旧までに相当の時間を要するとのこと。
 
これはもう、最悪、会社で一夜を過ごすしかないと決意し、1階にあるコンビニに買い出しに出掛けた。
会社に残る目的は、残業ではなく緊急事態発生による事務所宿泊(勤務時間中ではない)という建て前なので、夕食時の晩酌は許されるだろうと解釈し、カップ麺、ビール、焼酎とおつまみ類を買い出しに行った。
ところが、コンビニのレジの前には長蛇の列。陳列してある品物も、既に、かなり減っていた。ちなみに向かいのスーパーは入場制限をしているらしく、これまた長蛇の列。
 
 (実は、余りのショックで、現在禁酒中であることをスッカリ忘れてしまっていた。 (^^;)  )
 
ビルのエレベーターは勿論停止しているので、買い込んだ食料を手に持って、階段で11階まで登ったのだが、ようやく11階に着いた時には、太ももに乳酸が溜まってガクガクの状態であった。
 
夜の11時前に新幹線の下りは全線復旧したものの、武蔵小杉から品川駅、新横浜駅のどちらに出るにしても、足が無いので行く事が出来ず、結局、会社に留まるしか手が無かった。
ちなみに、新幹線はビルのすぐ傍を走っているのだが、臨時停車してくれる訳でもないので、どうしようもない。
 
そのうちに、全然繋がらなかった携帯電話が、メールだけは送信できる様になったので、カミサンと交信したところ、三島から車で迎えに来ると言う。
東名高速は通行止めだし、東名から降りて来るトラックで、国1(国道1号線)も大渋滞になるのは目に見えているので、無理しなくて良いと返信したのだが、ニーヨンロク(国道246号)で向かうと言う。
都内は、大渋滞で車が全く動いてないし、停電で信号も消えているので、246の様子をメールで聞いたところ、御殿場の先の小山町(まだ静岡県)で1メートルも動かない状態が30分以上続いているとの返事。とてもじゃないが、会社まで来れる道路状況ではないので、自宅に引き返す様にメールした。
 
しばらくすると、多分、同じ様に足止めを食らっていると思われる社長が、11階にも巡回に来た。
その時点では、まだ40〜50人が足止めで会社に残っていたが、その後、東急東横線が運転再開したため、最後まで11階の事務所に残ったのは20〜30人程度であった。
椅子を何個かくっつけて仮眠を取ろうとしたが、そうそう眠れるものではない。数時間ウトウトした程度で朝の4時。ニュースでは、新潟や長野でも地震が発生したと報じているが、震度7を経験した後とあっては、それほど驚かなくなっていた。
 
インターネットで交通機関の運転状況を調べたところ、東横線は通常運転中、東海道新幹線も始発から運転予定とのこと。そのほかにも、私鉄各社、地下鉄は予定を変更して終夜運転中とのことであった。有り難いことである。
ところが、武蔵小杉駅を通過する路線である南武線、横須賀線のJR東日本だけは、早々と11日の運転再開が無いことを発表した上に、12日も運転は7時頃からと言っており、一番遅い対応には本当に腹立たしい思いであった。
 
5時を過ぎたところで、会社を出発。東急東横線で渋谷まで出て、地下鉄銀座線、丸ノ内線と乗り継いで東京駅まで出て来て、6:33発の始発こだま号で無事、三島の自宅に帰って来た。
 
それにしても、時間が経つほどに、東北地方の被害状況の深刻さが分かって来ており、復旧には、相当の時間と費用が掛かりそうなことが見えてきた。本当に自然は恐ろしい。
特に、今回の被害は、地震よりも、津波に依るものの方が大きいのではないかと思った次第である。