東海道ふたり旅(2) 大森〜神奈川宿(2:川崎宿、3:神奈川宿)
2008年5月17日(土) 快晴
更新:2020年6月20日(土)
2週間前の初日は雨の中のスタートとなったが、今日は気持のいい快晴である。新幹線こだま号で三島を出発、品川で京浜東北線に乗り換えて大森へ。
国道15号(旧東海道)の前回終着ポイントである京急大森海岸駅前から旅の二日目を再開。
カミサンは、日差しに備えてUVカットの帽子とパーカーを買い込んだらしく、ルンルン気分で張り切っている。
国道を数百メートル進み平和島口の少し先から国道と分かれて旧道の道筋に入る。
道の両側には旧東海道の風景を描いたタイルの石椅子が並んでいるが、前回歩いた時に私がしたのと同じ様に、今日はカミサンがすべてのタイルをチェックしながら歩いている。
やがて、旧道の商店街を抜け大森警察署前から国道15号に再び合流。ここから先は多摩川を渡るまで一直線の道である。
JRであれば大森〜蒲田間は1駅なのだが、京急は駅間が短いので蒲田までの間に幾つもの駅がある。
梅屋敷駅の先にある梅屋敷公園。公園の入口は北寄りと南寄りの2箇所ある。
北の入口から入って園内を一回りしたあと、北の入口まで戻ろうとすると、「やっぱり戻るのね。(旧東海道の離脱点まで戻るというルールを)忘れてないわねえ。」とカミサンが笑っている。
たとえ10メートルそこそこの距離であっても、歩かない区間を作るのは嫌なのである。これは私のコダワリ。
京急蒲田から羽田空港に向かって出ている支線が国道を横断しているが、ちょうど遮断機が下りて電車が目の前を横切って行く。
「電車に乗っている時は何とも思わなかったけど、目の前を横切られる立場になると、ちょっと邪魔ね」とカミサン。しかし、この踏切も工事中の高架が完成すれば無くなるのだろう。
六郷神社に参拝したあと、いよいよ多摩川を渡る。
歩いて都外に出るというのは大変なことだよと言って持ち上げたところ、「そうさあ」と言ってカミサンもまんざらではなさそう。
多摩川の河川敷では、ソフトボールやテニスを楽しむ人達で一杯である。
水辺寄りの河川敷には、幾つものビニールシートを纏った小屋が建っている。中には、鉄パイプを組んで高床にしている小屋やサッシ窓の付いた小屋など、なかなか立派なものである。ここまで来ると、もうホームレスと呼んでは失礼かもしれない。
橋を渡り、国道15号下のガードを潜って西側に出ると旧川崎宿である。
奈良茶漬けで有名だった「万年屋」の跡を3月に来た時に続き再度探し回ったのだが、とうとう見つからず。案内板だけで妥協することに。
時計は12時を回ったので、砂子(いさご)交差点近くの食事処で昼食を取る。この砂子辺りが川崎宿の中心だったとか。
腹ごしらえをして旅を再開。3月の時にどうしても見つからなかった佐藤本陣跡の案内パネルがアッサリ見つかった。
どうやら、前回は歩いたのが9時前だったので、パネルのあるウィンドウにはシャッターが降りていたらしい。どうりで見つからない筈である。
2回目ともなると、前回見落としたものが色々見えてくる。小土呂橋(こどろばし)の親柱、前回は全く気がつかなかったが、新川通りの横断歩道を渡った右側歩道に発見。
このほかにも、「旧東海道」の文字があちこちに目に入る。夫婦でのんびり歩いているのが良いのかもしれない。
やがて八丁畷(はっちょうなわて)踏切の手前にある芭蕉句碑に到着。踏切を渡ると少し先からは横浜市鶴見区である。
鶴見川の少し手前に「市場一里塚跡」がある。カミサンに道の左側を注意する様に言って歩を進めたのだが、鶴見川の橋が見えてきたのに一里塚が見つからない。どうやら油断したらしい。カミサンに注意を促した時には、既に一里塚を通過した後だった様だ。
このポイントは外せないと言うことで、やむなく道を数百メートル引き返す。「1キロは無駄足を踏んだ」とカミサンはブーブー。まあ、これも二人旅の楽しさなのだろう。
鶴見川橋を渡ると、すぐ左手に鶴見橋関門跡、右手に寺尾稲荷道の道標と続き、鶴見駅となる。
前回歩いた時よりも随分距離が短く感じられる。
京急鶴見駅のガードを潜り、右折して小路を進むと国道15号と交差する。国道を渡った先が生麦の街である。
3月に歩いた時は10時頃だったので、生麦の通りは魚河岸店を訪れた沢山の買い物客と路上駐車の行列で大賑わいだったのだが、今日は午後2時を過ぎているため、どの店もシャッターが下りており生麦の通りは閑散としていた。
カミサンにあの賑わいを見せてやれなかったのは残念。
島津久光公の行列を横切ったためにイギリス人が無礼打ちされたと言う、あの生麦事件の発生現場を通過すると、やがて左手にはキリンビールの工場があり、その先で国道15号と合流する。
キリンの工場入口には工場見学受付のパネルが出ていた。立ち寄ればビールのもてなしは間違いなかろうと思ったが、飲んでしまうと先を歩くのが嫌になるので、グッと堪えて門の前を通過。
国道の広い通りをしばらく歩くうちに、左遠方にみなとみらいのランドマークタワーが見えて来た。本日の目標である横浜(神奈川宿)はもうすぐである。
京急神奈川新町駅。この辺りから旧神奈川宿である。途端に神社仏閣が増える。
3月の時にその多さを体験済であったため、今回は、外国人とゆかりのある寺院に絞って立ち寄ることにした。さすがにカミサンも疲れたのか口数が少なくなってきたためである。
アメリカ宣教師の宿舎に使われた成仏寺、フランス領事館跡の慶運寺、イギリス領事館跡の浄瀧寺、ヘボン博士が診療所を開いた宗興寺、フランス公使館だった甚行寺を回る。
前回経験から位置関係が分かっているので、今回は最短経路で回る。カミサンは「下見ご苦労」とのたまわっている。
宮前商店街を抜け青木橋に出たところで、本日の旅を切り上げることにした。
横浜駅まで歩くのが辛そうなので、1駅ではあるが神奈川駅から京急で横浜駅へ。横浜からはJR横浜線で新横浜まで行き、新幹線で三島に帰還。夕方5時半には帰ってくることが出来た。
次回は、藤沢まで歩きたいところであるが、権太坂越えがあるので戸塚までが良いところかもしれない。
【データ】
■東海道歩行距離
今回 | 17.7km(大森海岸駅前〜横浜青木橋) |
---|---|
通算 | 30.1km |
■利用交通機関
区間 | 交通機関 |
---|---|
三島〜品川 | JR東海・東海道新幹線(三島〜品川) |
品川〜大森 | JR東日本・京浜東北線(品川〜大森) |
神奈川〜横浜 | 京浜急行(神奈川〜横浜) |
横浜〜新横浜 | JR東日本・横浜線(横浜〜新横浜) |
新横浜〜三島 | JR東海・東海道新幹線(新横浜〜三島) |
■費用
用途 | 金額 |
---|---|
新幹線 三島〜品川(回数券利用)(新幹線は1名通勤定期券を利用) | 3,560円 |
新幹線/JR横浜線 横浜〜三島 | 3,300円 |
JR横浜線 東神奈川〜新横浜 | 160円 |
京急 神奈川〜横浜(2人分) | 260円 |
駐車場代(三島駅前) | 900円 |
飲料 | 300円 |
昼食(川崎・大戸屋) | 1,952円 |
缶ビール | 620円 |
おつまみ | 300円 |
合計 | 11,352円 |
累計 | 24,572円 |
■立ち寄りポイント
・梅屋敷公園(大田区)
・六郷神社(大田区)
・六郷渡し跡(川崎)
・「田中本陣跡」(川崎宿)
・「佐藤本陣跡」(川崎宿)
・「小土呂橋親柱」(川崎宿)
・「芭蕉句碑」(川崎八丁畷)
・江戸から5番目の一里塚「市場一里塚」(横浜市鶴見区)
・「鶴見橋関門跡」(横浜市鶴見区)
・「寺尾稲荷道」道標(横浜市鶴見区)
・「生麦事件発生現場」(横浜生麦)
・「生麦事件跡の碑」(横浜生麦)
・成仏寺「アメリカ宣教師宿舎跡」(神奈川宿)
・慶運寺「フランス領事館跡」(神奈川宿)
・浄瀧寺「イギリス領事館跡」(神奈川宿)
・宗興寺「ヘボン博士診療所跡」(神奈川宿)
・「神奈川本陣跡」(神奈川宿)
・甚行寺「フランス公使館跡」(神奈川宿)
■通過した宿場
(2)川崎宿
(3)神奈川宿
【用語】
本陣(ほんじん)
宿場に数件置かれた、幕府役人や参勤交代の大名などが泊まる宿。
一里塚(いちりづか)
日本橋を起点に、街道沿いに一里(約3.9km)ごとに築いた塚。道の両側に土を盛って造られた。
【地図】
・梅屋敷公園(大田区)
・六郷神社(大田区)
・六郷渡し跡(川崎)
・「田中本陣跡」(川崎宿)
・「佐藤本陣跡」(川崎宿)
・「小土呂橋親柱」(川崎宿)
・「芭蕉句碑」(川崎八丁畷)
・江戸から5番目の一里塚「市場一里塚」(横浜市鶴見区)
・「鶴見橋関門跡」(横浜市鶴見区)
・「寺尾稲荷道」道標(横浜市鶴見区)
・「生麦事件発生現場」(横浜生麦)
・「生麦事件跡の碑」(横浜生麦)
・成仏寺「アメリカ宣教師宿舎跡」(神奈川宿)
・慶運寺「フランス領事館跡」(神奈川宿)
・浄瀧寺「イギリス領事館跡」(神奈川宿)
・宗興寺「ヘボン博士診療所跡」(神奈川宿)
・「神奈川本陣跡」(神奈川宿)
・甚行寺「フランス公使館跡」(神奈川宿)
■通過した宿場
(2)川崎宿
(3)神奈川宿
【用語】
本陣(ほんじん)
宿場に数件置かれた、幕府役人や参勤交代の大名などが泊まる宿。
一里塚(いちりづか)
日本橋を起点に、街道沿いに一里(約3.9km)ごとに築いた塚。道の両側に土を盛って造られた。
【地図】