東海道ふたり旅(13) 江尻宿〜安倍川(19:府中宿)
2008年9月20日(土) 晴れ
更新:2020年6月24日(水)
今週は、台風で旧東海道の旅は諦めていたのだが、予想より速く台風は千葉沖に遠ざかり、朝から青空の秋晴れ。
JR東海道線で本日の出発点・清水駅まで行き、江尻東交差点より旅を再開。
600メートルほど南下した後、右折して清水銀座と呼ばれる通りに入ると、道の両側に店舗が並ぶ賑やかな通りとなる。
ただし、人通りは余りない。この辺りが旧清水市の繁華街ではないかと思われるが、静岡市と合併した影響かどうかは分からないが、買い物客は静岡の方に流れてしまったのかもしれない。
銀座通りを抜けて左折すると、巴川に架かる稚児(ちご)橋がある。欄干の四隅には河童の像が付いている。
この橋は徳川家康が架けた橋であり、渡り初めの時に河童頭の稚児が現れたところから名前が付いたとか。
橋を渡り、しばらく西に進むと、左手に赤い暖簾を出した店がある。「追分洋かん」と書かれている。
店の前には、「是より志三づ道」と書かれた石の道標が立っている。久能山への道標である。
追分(おいわけ)と言うのは、元々、街道の分岐点のことである。
格子戸を潜り店内に入ると、歴史を感じる佇まいの店であり、羊羹や瓶詰めのお土産が並んでいる。店の奥には試食が出来るスペースがあり、切った追分羊羹とお茶が準備されている。
一切れ試食してみたが、甘さ控えめの、なかなか美味な羊羹であった。家で受験勉強している息子へのお土産にひと箱買い求める。
店を出てさらに少し進むと、「都田吉兵衛供養塔」と言うのがあった。
聞いたことのない名前である。説明パネルを読んだところ、清水次郎長の子分・森の石松を殺した人だそうである。次郎長親分が子分の仇を討ったのがこの場所であり、吉兵衛の菩提を弔う人が誰もいないのを憐れんだ里人が建てたそうである。
東海道線と静鉄の踏切を渡り、さらに進むと大通りと合流。右手に草薙(くさなぎ)一里塚址の石碑が立っている。
旧東海道は、草薙駅前交差点を左折し、すぐに右折して閑静な民家の住宅街に入る。
2キロほど歩くと、県営草薙総合運動場にぶつかり、右折して大通りを横断して静鉄踏切の手前を左に入ると、今度はJR東海道線にぶつかる。
旧東海道はここで分断されている。分断点には旧東海道の記念碑が建てられており、その右側には、線路の向こう側に抜ける歩行者用の地下道が造られている。
記念碑と地下道、旧国鉄も、旧東海道を分断することになって気が引けたのかも。まあ、そんなことも無かろうが。
地下道を抜け、北側の分断点から旧東海道の旅を再開。
長沼一里塚を過ぎ、国道1号を横断してしばらく進むと、旧東海道は、再びJR運転所の敷地で分断される。
敷地に張りめぐらされた綱には、「関係者以外立入禁止」の看板が冷たく(?)垂れ下がっており、またもや行く手を阻んでいる。
仕方がないので、国道1号に戻り、南側の分断点まで迂回。西にしばらく進んで東海道線のガードを潜り、再び北側に抜け、国道1号を渡ると府中宿である。
ガイドブックには、この辺りが東見付跡とあるのだが、それを示す石碑は見つからなかった。
国道沿いにファミレスがあったので昼食を取ることにした。
静岡市の中心部を走る旧東海道。伝馬町に入ると、休日を楽しむ沢山の人出である。
本陣跡、西郷山岡会見の碑を過ぎ、静岡駅前から伸びている大通りに出ると、前方には駿府城の石垣が見える。
駿府公園に寄るのは後にし、まずは旧東海道の道筋を辿って呉服町通りへ。
ここは、恐らく静岡市内でも一番の繁華街だろう。通りは石畳の歩行者専用道、両側にはデパートや商店が並ぶ。
伊勢丹の手前を右折して静岡県庁前、その奥にある駿府公園へ。
ところが、駿府城内を拝観できると思って寄り道したのに駿府城は無く、駿府城跡の石碑が残っているだけであった。
静岡県民になって25年以上も経つのに、こんな事も知らなかったとは、お恥ずかしい限りである。
伊勢丹前まで戻り、旧東海道の旅を再開。
伊勢丹前には、札の辻跡の石碑が立っている。札の辻とは、高札を立てた場所のことである。
旧東海道は、伊勢丹前で呉服町通りを左に折れ、七間町を抜けて映画館街の先を右折、さらにしばらく進んで、梅屋町を左折し西に伸びる。
安倍川橋の直前で旧東海道は大通りと合流するが、その合流点の辺りに茶色の暖簾を掲げた古い店がある。
300年以上の歴史を持つ安倍川餅の元祖、「せきべや」である。
本日の旅は、ここで終了。「せきべや」に入って安倍川餅を戴く。
あんこときな粉の安倍川餅は、食べたことがあったが、わさび醤油を付けて食べるのは初めてであった。辛みの効いた、なかなか行ける味である。
バスで静岡駅に戻り、東海道線で三島に帰還。
【データ】
■東海道歩行距離
今回 | 14.7km(江尻宿〜安倍川) |
---|---|
通算 | 185.9km |
■利用交通機関
区間 | 交通機関 |
---|---|
三島〜清水 | JR東海・東海道本線(三島〜清水) |
安倍川橋〜静岡駅 | しずてつバス(安倍川橋〜静岡駅前) |
静岡〜三島 | JR東海・東海道本線(静岡〜三島) |
■費用
用途 | 金額 |
---|---|
JR東海道本線 三島〜清水(2人分) | 1,640円 |
JR東海道本線 静岡〜三島(2人分) | 1,900円 |
しずてつバス 安倍川橋〜静岡駅前(2人分) | 360円 |
駐車場代(三島駅前) | 1,000円 |
飲料(2人分) | 260円 |
昼食、ビール(静岡・「びっくりドンキー」)(2人分) | 3,983円 |
あべかわ餅(静岡・「せきべや」3種) | 1,200円 |
合計 | 10,343円 |
累計 | 96,561円 |
■立ち寄りポイント
・稚児橋(江尻宿)
・江尻宿西木戸跡(江尻宿)
・追分道標(静岡市清水区)
・都田吉兵衛の供養塔(静岡市清水区)
・草薙一里塚址(静岡市清水区)
・草薙神社参道道標(静岡市清水区)
・旧東海道記念碑(静岡市駿河区)
・長沼一里塚址(静岡市葵区)
・下伝馬本陣跡(府中宿)
・上伝馬本陣跡(府中宿)
・西郷山岡会見の史跡(府中宿)
・駿府奉行所跡(府中宿)
・駿府城跡(府中宿)
・札の辻址(府中宿)
・安倍川の川会所跡(静岡市葵区)
・由井正雪の碑(静岡市葵区)
・安倍川の義夫の碑(静岡市葵区)
・元祖あべかわ餅 せきべや(静岡市葵区)
・稚児橋(江尻宿)
・江尻宿西木戸跡(江尻宿)
・追分道標(静岡市清水区)
・都田吉兵衛の供養塔(静岡市清水区)
・草薙一里塚址(静岡市清水区)
・草薙神社参道道標(静岡市清水区)
・旧東海道記念碑(静岡市駿河区)
・長沼一里塚址(静岡市葵区)
・下伝馬本陣跡(府中宿)
・上伝馬本陣跡(府中宿)
・西郷山岡会見の史跡(府中宿)
・駿府奉行所跡(府中宿)
・駿府城跡(府中宿)
・札の辻址(府中宿)
・安倍川の川会所跡(静岡市葵区)
・由井正雪の碑(静岡市葵区)
・安倍川の義夫の碑(静岡市葵区)
・元祖あべかわ餅 せきべや(静岡市葵区)
■通過した宿場
(19)府中宿
【用語】
伝馬町(てんまちょう、でんまちょう)
宿場の重要な施設(伝馬所)があった場所につけられた町名。伝馬とは馬に荷物を載せて宿場から宿場に配送し荷物を中継して運ぶ制度のこと。
川会所(かわかいしょ)、川越(かわごし)
江戸幕府は、諸大名に対する治安維持の目的で、街道を分断する大きな川に橋を架けることを禁止した。代わりに、大名や旅人が川を渡る際には人足の肩車か蓮台(れんだい)に乗るという制度を作った。これが川越の制度である。この川越に関する業務を仕切る役所が川会所である。
【地図】
(19)府中宿
【用語】
伝馬町(てんまちょう、でんまちょう)
宿場の重要な施設(伝馬所)があった場所につけられた町名。伝馬とは馬に荷物を載せて宿場から宿場に配送し荷物を中継して運ぶ制度のこと。
川会所(かわかいしょ)、川越(かわごし)
江戸幕府は、諸大名に対する治安維持の目的で、街道を分断する大きな川に橋を架けることを禁止した。代わりに、大名や旅人が川を渡る際には人足の肩車か蓮台(れんだい)に乗るという制度を作った。これが川越の制度である。この川越に関する業務を仕切る役所が川会所である。
【地図】