東海道ふたり旅(14) 安倍川〜藤枝宿(20:丸子宿、21:岡部宿、22:藤枝宿)
2008年9月27日(土) 晴れ
更新:2020年6月24日(水)
今日は、箱根ほどではないが峠越えがあるので、気合いを入れて出発。
JR静岡駅から静鉄バスに乗り継ぎ、本日の出発点・安倍川橋へ。
10:00に安倍川餅の「せきべや」前を出発し、旅を再開。
薄緑色の鉄橋・安倍川橋。前日が雨で水量が多いと言う訳でもないのに、安倍川の流れは異様に速い。
橋を渡ると、府中宿と丸子(まりこ)宿の間宿(あいのしゅく)であった手越宿に入る。
この辺りから、旧東海道は、これまで寄り添ってきたJR東海道線を離れて内陸部に切れ込んで行く。
この次にJR東海道線に再び近づくのは、藤枝宿である。今日は、何が何でも藤枝宿まで歩かねば帰りの足がない。
一旦、国道1号と合流した後、旧東海道は佐渡交差点を左に折れて丸子の街に入る。
しばらくは賑やかな通りが続くが、やがて道幅が細くなり、丸子宿の雰囲気が漂う街並みとなってゆく。
道の両側に並ぶ家々の玄関には、大きな板が吊されており、松川屋、藤屋、鍛冶屋・・・と言った、屋号と思われる文字が書かれている。町じゅうが共同して、昔の丸子宿の店の並びを再現しているのかもしれない。
本陣跡を過ぎてしばらく進み、家並みが切れて視界が広がったところに、あの歌川広重の東海道五十三次(丸子宿)の絵にも出てくる有名なとろろめしの店・丁子屋(ちょうじや)がある。
今回の旅では、「せきべや」の安倍川餅と「丁子屋」のとろろめしを、両方どうしても食したいと言うカミサンの望みを叶えるために、行程を工夫して、4キロしか離れていない2箇所を別の日に訪問する様にしたのである。
11時に丁子屋に到着。既に10組くらいの客がおり、とろろ飯を食べていた。
丁子屋へは、今回で3度目となるが、初めて大広間に通された。天井には、歌川広重の東海道五十三次の絵が、日本橋から三条大橋まで順番にズラリと展示されている。
帰りに、広重の絵はがき(53枚入り)を記念に買い求める。600円とはお手頃価格である。
とろろめしで精を付けて、いよいよ宇津ノ谷(うつのや)峠へと足を進める。
丁子屋の前の橋を渡ると、旧東海道は丸子川に沿ってのどかな田舎道となる。
やがて国道1号と合流し、宇津ノ谷トンネルの手前から国道と別れを告げて旧道に入る。トンネルの出口側はすぐ先に見えているので、車なら十数秒で通り抜けるところだろうが、旧東海道の方は峠越えである。
旧道の登り道をしばらく行くと、車の通りから左に折れて、旧東海道は、間宿である宇津ノ谷宿に入る。
石畳が整備されていて、道の両側には古い民家が並ぶ。
その中の一つ「お羽織屋」は、豊臣秀吉が陣羽織を贈ったとされる店である。
宇津ノ谷宿の家並みを外れると、旧東海道は細い急斜面の山道となる。昔なら山賊が出そうな細い暗い道である。
宇津ノ谷峠の直前には、地蔵堂跡が残っている。
峠を越え、下り坂を降りて行くと、旧東海道は再び国道1号と合流。次の信号から、旧東海道は国道を右に入るのだが、この辺りの国道1号には横断歩道が全くなく、道を渡るには全て歩道橋を使うしかない。
旧道に入り、岡部川沿いに西に進むと、やがて岡部宿である。
岡部宿では、すれ違った少年から二度ほど「こんにちは」の挨拶を貰い、爽やかな気分になった。「岡部宿を訪れた人には、挨拶して歓迎する様に」と町の学校で子供達に指導しているのかもしれない。
岡部町のメインストリートには、タイルの歩道が整備されており、歩道にはレトロな街灯が立っていて、とても明るい雰囲気の街である。
旧東海道は、メインストリートから所々分岐して併走しているが、昔の宿場町の佇まいが残っている。
やがて藤枝バイパスのガードに差し掛かるが、このガードの手前までが岡部宿の様である。
ガードを抜けると藤枝市である。
旧道の道筋には一里塚跡、須賀神社の楠の大木などが続き、国道1号を横断すると藤枝宿となる。
宿場の入口にあった東木戸跡を過ぎると、両側に少しずつ店が増え始め、商店街に入っていく。
だいたいどこの宿場でも、本陣跡には石柱が立っているので、それを探しながら歩いているのだが、ここ藤枝宿では石柱ではなく、代わりに「本陣跡」と書かれたタイルが歩道に埋め込まれていたので、危うく見過ごして通過してしまうところであった。
瀬戸川の橋を渡ると、すぐ右手に志太一里塚跡と常夜灯が残っている。
しばらく進み、JR藤枝駅から北に伸びる道との交差点が本日のゴール。
今日は峠越えもあったし、結構な距離を歩いて、夫婦ともにいささか疲れた。
藤枝駅前の焼き鳥屋に入り、ビールで喉を潤してから帰途に付く。
【データ】
■東海道歩行距離
今回 | 20.5km(安倍川〜藤枝宿) |
---|---|
通算 | 206.4km |
■利用交通機関
区間 | 交通機関 |
---|---|
三島〜静岡 | JR東海・東海道本線(三島〜静岡) |
静岡駅〜安倍川橋 | しずてつバス(静岡駅〜安倍川橋) |
藤枝〜三島 | JR東海・東海道本線(藤枝〜三島) |
■費用
用途 | 金額 |
---|---|
JR東海道本線(2人分) | 4,460円 |
しずてつバス(2人分) | 360円 |
駐車場代(三島駅前) | 900円 |
飲料(2人分) | 300円 |
昼食(丁子屋とろろめし)(2人分) | 3,270円 |
夕食、ビール(藤枝駅前焼き鳥屋「台所屋一軒目」)(2人分) | 3,390円 |
合計 | 12,680円 |
累計 | 109,241円 |
■立ち寄りポイント
・丸子一里塚跡(丸子宿)
・本陣跡(丸子宿)
・お七里役所跡(丸子宿)
・芭蕉句碑(丸子宿)
・十返舎一九膝栗毛の碑(丸子宿)
・丁子屋(丸子宿)
・高札場跡(丸子宿)
・お羽織屋(宇津ノ谷宿)
・峠の地蔵堂跡(宇津ノ谷峠)
・鬚題目碑(宇津ノ谷山)
・羅径記碑跡(宇津ノ谷山)
・十石坂観音堂(岡部宿)
・大旅籠柏屋(岡部宿)
・本陣址(岡部宿)
・問屋場跡(岡部宿)
・小野小町姿見の橋(岡部宿)
・高札場跡(岡部宿)
・五智如来像(岡部宿)
・鬼島一里塚跡(藤枝市)
・鬼島の建場(藤枝市)
・須賀神社大楠(藤枝市)
・東木戸跡(藤枝宿)
・白子由来記碑(藤枝宿)
・大慶寺久遠の松(藤枝宿)
・下本陣跡(藤枝宿)
・上本陣跡(藤枝宿)
・問屋場跡(藤枝宿)
・志太一里塚蹟(藤枝宿)
・丸子一里塚跡(丸子宿)
・本陣跡(丸子宿)
・お七里役所跡(丸子宿)
・芭蕉句碑(丸子宿)
・十返舎一九膝栗毛の碑(丸子宿)
・丁子屋(丸子宿)
・高札場跡(丸子宿)
・お羽織屋(宇津ノ谷宿)
・峠の地蔵堂跡(宇津ノ谷峠)
・鬚題目碑(宇津ノ谷山)
・羅径記碑跡(宇津ノ谷山)
・十石坂観音堂(岡部宿)
・大旅籠柏屋(岡部宿)
・本陣址(岡部宿)
・問屋場跡(岡部宿)
・小野小町姿見の橋(岡部宿)
・高札場跡(岡部宿)
・五智如来像(岡部宿)
・鬼島一里塚跡(藤枝市)
・鬼島の建場(藤枝市)
・須賀神社大楠(藤枝市)
・東木戸跡(藤枝宿)
・白子由来記碑(藤枝宿)
・大慶寺久遠の松(藤枝宿)
・下本陣跡(藤枝宿)
・上本陣跡(藤枝宿)
・問屋場跡(藤枝宿)
・志太一里塚蹟(藤枝宿)
■通過した宿場
(20)鞠子(丸子)宿
(21)岡部宿
(22)藤枝宿
【用語】
お七里役所
紀州 徳川頼宣が、江戸と紀州の間146里に沿って、七里ごとに合計23の紀州藩独自の連絡機関を設置した。これがお七里役所である。お七里役所には5人1組の飛脚を配置し、通常は8日、緊急時は4日で江戸〜紀州間の連絡便を実現した。
立場、建場(たてば)
宿場と宿場の間にある旅人の休憩場所。立場に店が増え集落を形成するようになったのが間宿(あいのしゅく)である。
ひげ題目
日蓮宗で、題目の「南無妙法蓮華経」の七字のうち、「法」以外の六字の端の部分を長くひげのようにのばして書いたもの。「法」の光に照らされ、万物がことごとく真理を体得して活動することを表したものという。【出典:Yahoo辞書】
【地図】
(20)鞠子(丸子)宿
(21)岡部宿
(22)藤枝宿
【用語】
お七里役所
紀州 徳川頼宣が、江戸と紀州の間146里に沿って、七里ごとに合計23の紀州藩独自の連絡機関を設置した。これがお七里役所である。お七里役所には5人1組の飛脚を配置し、通常は8日、緊急時は4日で江戸〜紀州間の連絡便を実現した。
立場、建場(たてば)
宿場と宿場の間にある旅人の休憩場所。立場に店が増え集落を形成するようになったのが間宿(あいのしゅく)である。
ひげ題目
日蓮宗で、題目の「南無妙法蓮華経」の七字のうち、「法」以外の六字の端の部分を長くひげのようにのばして書いたもの。「法」の光に照らされ、万物がことごとく真理を体得して活動することを表したものという。【出典:Yahoo辞書】
【地図】