2009紅葉(本土寺・六義園)
2009年11月28日(土) 晴れ
本日は、今年の紅葉の見納め。本土寺(千葉県松戸市)、六義園(りくぎえん)(東京都文京区)を訪れる。
7:22発のこだまで三島を出発し、東京駅から京浜東北線、常磐線と乗り継いで北小金駅へ。
ここから本土寺へは、歩いて10分である。
本土寺は、3年ぶり2回目の訪問であるが、今回はカミサンを連れての紅葉巡り。
相変わらず、見事な紅葉であったが、今年は寒さのせいか最盛期が早かったと思われ、先週が一番の見頃だったかもしれない。
常磐線で日暮里まで戻り、次の紅葉の名所・六義園まで歩く。
六義園は、JR山手線・駒込駅が最寄りの駅なのだが、千駄木の街を歩いてみたいと言うカミサンの兼ねてからの希望を取り入れ、日暮里から谷中銀座〜千駄木〜六義園というコースを選んだ訳である。
谷中銀座と呼ばれるこの通りには、竹細工の店、珍しい揚げ物の店など、ユニークな面白い店が両側に並んでおり、とても楽しくなる通りである。
お茶の店で備長炭を買い求める。御飯を炊く時に入れると美味しく炊けるらしい。
谷中銀座から「よみせ通り」を経由して千駄木の街に入る。
どうやら、町名は千駄木でも中心部では無かったらしく、期待していた様な情緒ある通りでは無かった。次の機会に出直しといったところか。
不忍(しのばず)通りをしばらく歩くと、本郷通りとの交差点に出て、そのすぐ先に六義園がある。ここは、五代将軍)徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が築いた庭園である。
こちらの紅葉も見事であった。同じ紅葉でも、こちらの紅葉は本土寺に比べて、手の掛け方が違うと言うのか、良く剪定(せんてい)されている(と思われる)枝々の空間美が見事であった。
六義園から高級住宅街を抜けると、巣鴨の駅前である。
巣鴨地蔵通りには、相変わらずお年寄りが多く、両側の店もお年寄り向けの品揃え一色である。
今回は、とげぬき地蔵をお参りした後、さらに地蔵通りを奥に進み、庚申塚から都電荒川線に乗る。カミサンが、まだ乗ったことが無いと言うのでこのコースを選んだのである。
このあとは、都電荒川線の終点・早稲田まで行き、地下鉄東西線、有楽町線と乗り継いで月島で下車し、佃島に寄って佃煮を買って帰る予定であった。
「予定であった」と言うのは、予定どおりに行かなかったと言うことである。
ちょうど、電車が大塚の駅に近づこうとしているその時、カミサンの携帯が鳴った。娘からの電話である。
3時から大学でレッスンの予定だと聞いていたので、今日は娘に会う予定はしていなかったのだが、レッスンが急遽中止になったとのこと。
グッドタイミングと言うのか、バッドタイミングと言うのか、娘の大学は大塚から2つ先の荒川線の駅・雑司ヶ谷(ぞうしがや)にある。合流したいので雑司ヶ谷で降りてくれと娘。
仕方がないので、一つ手前の東池袋四丁目で下車して池袋サンシャインで娘と落ち合うことに。
待ち合わせ場所に着くと、娘はマスクをしており、風邪が原因で今日のレッスンは中止になったそうである。
なんでも、教授が、昨年、風邪をひいた学生に無理してレッスンしたために感染してしまい、1ヶ月レッスンが出来なかったらしく、今回は大事をとっての中止なんだそうである。
だから先週は(三島に)帰ってくるなと言ったのに、親の言う事を聞かずに帰って来るから こうなるのだと言いたくなってしまう。
と言うのは、実は先週、一騒動あったのである。
3連休の初日、帰省してきた長男が、往路の電車で既に頭痛がしていたらしく、三島に着いてすぐに医者に連れていったところ新型インフルエンザと判明。3連休の間、我が家で寝込んでいたのである。
娘と二男も、夜には帰省して来る予定であったのだが、感染するといけないので、二人に電話して帰省は見合わす様に連絡したのである。二男は帰省を中止したのだが、娘は言うことを聞かずに帰省して来たのである。そして案の定、今回の風邪となってしまった訳である。
実は、娘は来月12日に卒演(修了試験演奏)を控え、大事な時なのである。しかも、今月に入ってから、卒演の曲が教授の一言で変更になり、娘はパニック状態だったので、帰省している暇などない状況なのである。それなのに、親の言う事を聴かずに帰省して、風邪に感染して、本日、教授からレッスンを断られたのである。
サンシャインで食事して1時間ほど過ごしたあと、娘と別れて帰途に付く。
今年の紅葉も今日が最後、と共に、ウォーキングも本日が最後。再開は暖かくなる来年の4月からである。
しばらくは、専らスポーツクラブ通いで運動維持をすることになる。