すすき


すすき
2012年10月27日(土) 晴れ
更新:2023年10月25日(水)
 
2年半通った武蔵小杉の職場から移転し、この月曜から隣の駅(武蔵中原)の新しい職場に通勤し始めた。
新しい職場とは言っても、建物の方は、老朽化がかなり進んだ工場の建物である。
この建物は、35年前に私が入社した時点で、既に古い部類だった建物であり、私の定年退職後ではあろうと思うが、数年後には壊される事が決まっている。
 
入社直後の若い頃には、この建物に泊まり込んで、深夜にコンピュータを使ったものである。
当時(1977年頃)のコンピュータと言うと、現在の様にオフィスにでも置けるサーバやパソコンとは違い、大型コンピュータと呼ばれるものであり、1台が何億円もする高価なものだったので、遊ばせておく時間など無く、24時間フル稼働させていた。
そうなると、当然ながら、人間の方が、コンピュータの稼働時間に合わせて仕事をしなければならなかったので、コンピュータの割当時間に依っては、深夜の徹夜勤務となるのである。
深夜勤務の時には、出勤時刻は、確か午後だったと思うが、以下の様な勤務体系であったと思う。細かいところは記憶が曖昧であるが。

勤務パターン 出勤時刻 コンピュータ使用時間 仮眠時間 退勤時刻 その他
通常勤務 8:10頃(記憶曖昧) 8時~22時の割当時間帯 なし 17:30頃(+残業)  
徹夜勤務(1) 午後?(記憶曖昧) 22:00~3:00 3:00~8:00 8:00 徹夜明け当日の出勤は不要
徹夜勤務(2) 同上 3:00~8:00 22:00~3:00 8:00 同上

※仮眠は、仮眠室(暗がり、仮眠ベッド整備)で取る。8:00に、社歌がスピーカーから流れるので目覚める(笑)

 
深夜時間帯でのコンピュータ使用の場合は、上表のとおりだが、徹夜明け日は出勤不要だし、徹夜勤務手当が付いたので、若い頃には、全然苦にならなかったものである。
 
さらに、若い頃には元気があったので、この徹夜明けの金曜日を利用して、2泊3日のスキーに行ったりしたものである。
当時と今とでは、時代が違うので、多分、今の若者には歓迎されないであろう。
 
さて、本日は早起きして、と言うか平日のいつもの時間に起きて、我が家では恒例となっている「富士山の湧き水汲み」に行って来た。
車に18リットル入りのポリタンクを沢山積み、富士吉田(山梨県)の道の駅に湧き出ている富士山の湧き水を汲みに行くのである。
 
6時過ぎには現地に到着したが、既に2組の人が湧き水を汲んでいた。車のナンバーを見たところ、「足立」ナンバーだったので、深夜に東京の家を出て来たのではなかろうか。
 
6時半には水を汲み終わり、次の訪問地に向かう。
本日の寄り道先は、ちょうど見頃の「すすき」で有名な箱根の仙石原(せんごくばら)である。
 
御殿場を経由し、乙女峠を越えて箱根町に入ると、仙石原はすぐ。
朝早くから、何組もの来訪者が見頃のすすきを楽しんでいた。
 
1 箱根・仙石原のすすき高原
 
2 すすきの表情あれこれ
 
 
 
 
 
 
8 風にたなびくすすき
 
 
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11 無料駐車場からすすき高原に向かう並木道
 
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13 朝早くから開店していたスイーツの店
 
14 すすき高原のよもぎ団子
 
15 帰り道で立ち寄った芦ノ湖の風景
 
16 芦ノ湖の遊覧船
  
1時間ほど すすきの中を歩いたあと、帰りは芦ノ湖を経由して、箱根峠から国道1号線を通って三島の自宅へ。9時半には自宅に戻り、遅めの朝食を取った。
 
朝食が遅かったのだが、前々から一度行ってみたい蕎麦屋があったので、昼過ぎに自宅を出て、目的の手打ち蕎麦の店へ。
 
実はこの店、私と同じ会社に勤めていた方が、定年退職された後に開店された店である。
趣味で始めたそば打ちを活かして一念発起、店を出されたそうである。
実は、先週の日曜日の夜に、蕎麦を食べにこの店に行ったのであるが、既に閉店後だったので、本日、リトライした訳である。
 
インターネットで調べたところ、営業時間は11:00〜15:00であり、夜は、予約があった時だけ営業すると言うことだった。
夫婦で、日替わりランチを注文したが、冷たいお蕎麦に、そば雑炊、天ぷら(銀杏、梅干し、巨峰)、デザートの南瓜(かぼちゃ)、羊羹が付いて、千円とはリーズナブルなお値段である。
蕎麦は、増量が注文出来るので、私は2割増を注文。追加料金は僅か100円である。味の方は、勿論、満足の行く味であった。
 
それにしても、この店、三島の中でも沢地(さわじ)と言う山に近い地区の、さらに山里の奥で、車が離合も出来ないほどの細い道を入った所にある店であり、地元の住人以外には足を踏み入れない様な場所にあるのだが、知る人ぞ知る店らしく、次から次へと客が入って来るのには驚いた。
これからも、時々は行きたくなる店になりそうである。店の名前は、「手打ちそば いしどう」。
 
18 (注)写真は別の日の内容
 
19 駐車場。車は我が家の車。
 
【2023/10/25追記】
この店に影響された訳でもないが、私も、退職後に、三島市の広報誌に掲載されていた募集に応募して、「手打ち蕎麦教室」に通った。
もう打たなくなって久しいが、教室に通っていた頃には、自宅でも道具を揃えて、結構な頻度で蕎麦を打ったものである。
今、ネットを調べたところ、「手打ちそば いしどう」は、既に閉店された様である。石堂さんとは、会社時代にも会議等でご一緒した事もあるが、私よりも先輩なので、年齢的にリタイヤされたのかも知れない。
 
ここ沢地には、実は有名なお寺がある(余り知られてはいないと思うが)。龍澤寺(りゅうたくじ)と言うお寺である。
そして、この寺の山本玄峰(げんぽう)という方が、大東亜戦争の終わり(1945/8/15)に、玉音放送の中で昭和天皇が発せられた「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」という一節を作られた方なんだそうである。
以下は、龍澤寺の写真である。
 
20 龍澤寺(三島市沢地)