風呂桶(おけ)


風呂桶(おけ)
2010年4月17日(土) 晴れ
 
下の一文は、7年前に書いた文章である。33年前に就職して福岡から出て来た時の出来事である。冷たい雨がふる中、横浜市緑区荏田(現在は、青葉区)の寮に入った時のことは、今でも鮮明に憶えている。確かに、私の社会人生活は2箱のダンボール箱から始まった。今では静岡県三島市に自宅を構え、モノも溢れるほどに増えた。
 
そして今月、長女が大学を卒業して社会人一年生となった。今は時代が違うので、ダンボール2箱と言うことはなく家財道具一式揃った状態での出発ではあるが。まあ、生活環境は私の時よりは揃っているが、収入面ではピアノ講師とバイトで稼ぐ生活となるため、これからしばらくは苦しい生活が続くと思われる。これも人生経験である。頑張ってたくましくなって欲しいものである。
 
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1977年3月30日(水)雨
この日、住み慣れた福岡を出て、横浜市緑区荏田(えだ)にある会社の寮に入る。私の社会人としての原点である。
 
 寮に着くと、部屋(6畳二人部屋)には、家から送ったダンボール箱二つと会社に注文しておいた布団上下、毛布一枚が届いていた。早速、近くの郵便局を探して口座を開き、父から持たされた一月分の生活資金20万円を貯金。一ヶ月分の寮の食券(朝食、夕食)を買って、取りあえず食料は確保。その夜、風呂に入ったら、石鹸と風呂桶は各自揃えるという事が分かり、その日は、取りあえずタオル1本だけで入浴を済ませた。翌日、田園都市線の武蔵溝の口に飛んで、サンコー(スーパーマーケット)で歯ブラシ、石鹸とともに、緑色のプラスチックの風呂桶を買い求める。
 以来26年、今でも我が家では、このプラスチックの風呂桶を使っている。底にはマジックで「摩須」の2文字(苗字)が書かれていて、(もっとも今では殆ど消えてしまったが)、さもない安いものなのに、どこも傷んでなくて今でも現役である。きっと、あと12年、私の現役引退までは一緒に頑張ってくれることだろう。
 
 私の社会人生活と共にある風呂桶の話でした。
 
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追伸)このプラスチックの風呂桶は、今でも毎日の入浴で使っている。私の現役引退は、あと4年と少し。多分、現役引退後もこの風呂桶のお世話になっていることだろう。
 
今でも入浴時に使っている私の風呂桶(1977/3/31購入)