娘の引っ越し


娘の引っ越し
2010年1月26日(火) 晴れ
 
今日は娘の引っ越し。休暇を取って、夫婦で手伝いに行くことになっている。
 
「引っ越しの荷物は、想像しているよりは絶対に増えるので、余分にダンボール箱の数を見ておく様に」と、口を酸っぱくしてアドバイスしたのに、「10個もあれば十分、何も入れるものがない」と言う娘は、運送屋に2トン車のトラックを手配したのである。
ところが、荷造りをする段になってから、荷物が予想以上に出て来たためトラックに積めそうになく、「車で手伝いに来てくれ」と言う娘からのヘルプ。
と言うことで、本日の仕儀と相成った次第である。
 
交通量が少ないうちに片付けたかったので、早朝の3時半に起き、三島の自宅を4時に車で出発。
東名高速を飛ばして、5時半には豊島区要町(かなめちょう)の娘のマンションに到着する予定であったのだが、首都高都心環状線が、代官町あたりで車の事故が発生し大渋滞。要町に到着したのは6時過ぎであった。
 
ダンボールに収めにくい細々(こまごま)としたものを車(エスティマ)に積み、引っ越し先の上板橋へ。
ただし、上板橋とは言っても、最寄りの駅は上板橋だが、マンションの住所は正確には上板橋から区境界を100メートルほど越えた練馬区北町である。
 
空が白み始めた時刻、まだ人通りが少ない時刻なので、歩道に車を乗り上げ荷物を降ろす。
引っ越し先のマンションは、エレベータ無しの4階建てであるため、3階の部屋までは、荷物を持っての階段の上り下りである。さすがに、55歳の老体にはチト堪えた。
余り長く車を駐められないので、手早く部屋に荷物を入れたあと、再び、要町のマンションへ。途中、小茂根のデニーズで朝食を取る。
 
8時から9時の間に運送屋が来るとのことなので、残りの荷物を車に積み、娘を残して、夫婦で再び北町のマンションへ。
娘には、運送屋のトラックに同乗して来る様に言った。
 
北町のマンションで部屋の掃除をしていたところに、娘より電話。
運送屋から同乗を断られたので、迎えに来てくれと言う。「何とか交渉して、乗せて貰え」と言ったのだが、ルールがあるらしく、どうしても駄目らしい。
「それなら、電車で来るしかないだろう」と言うと、何と、お金を一銭も携帯していないとの事。あきれた娘である。
しばらくしてから、娘より再び電話があり、「電車で来ます」とのこと。どうやら、運送屋に電車代のお金を借りたらしい。何とも情けない娘であるが、これも経験である。
人間、いくら口で言っても駄目で、自分が失敗して初めて悟るものである。これからも、色々と失敗するごとに賢くなっていくのだと思うと先が楽しみである。このあたりが、男親と女親の考え方の違いかもしれない。
 
運送屋が来て、部屋に荷物を全て入れたあとは、親子3人で手分けして、荷解きと部屋への配置である。
 
2時頃になって、ようやく一段落したので、三島から持参したおむすびをつまんで昼食。食後は、上板橋商店街に食料の買い出しである。
 
夕方の4時半に、娘を残し北町のマンションを出発。帰りは、首都高も東名高速も、それほど混んではおらず、6時頃には三島の自宅に帰還した。
 
娘にとっては、既に東京での4年間の一人暮らし経験があるのだが、親の扶養のもとで暮らすのと、自分で稼いで自活するのとでは全く違う。
これからが娘にとっての正念場である。自分で選んだ道であるから、茨の道でも頑張るしかない。
まあ、黙って見守ってやろうと思う。とにかく、早くバイト先を見つけることが先決課題である。そうしないと、本業(ピアノ講師)だけでは家賃も払えないだろうし。
 
【2023/2/8追記】
10年後の2019年暮れには、娘は、自力で大宮(埼玉県)にマンションを購入し、新しい環境で生活を開始している。大したものである。職場にも自転車で行ける距離になったらしい。
ここ3年の我が家の新年会は、子供3人とも京浜地区在住のため、娘のマンションで開いている。