東海道ふたり旅(3) 神奈川宿(横浜)〜戸塚宿(4:保土ヶ谷宿、5:戸塚宿)
2008年5月24日(土) 晴れ、のち、くもり、一時雨
神奈川県は午後から雨の予報であったが、強行することにし新幹線で横浜に向かう。
新横浜の空は青空であり何とか持ちそうな様子である。JR横浜線、京浜急行と乗り継いで本日の出発点である青木橋(横浜)へ。
京浜急行・神奈川駅を降り、青木橋より東海道の旅を再開。
まずは横断歩道を渡り正面右手高台にある本覚寺に立ち寄る。いきなりの急な上り坂であるが、歩き始めのため足取りは軽やか。
本覚寺は、アメリカ領事館として使われた寺である。
記念撮影の後、坂道を下りて旧東海道に戻る。数十メートルほど進んでから右折し、閑静なマンション街の通りに入る。道は緩やかな登りである。
この辺りは台という地名であり、昔は料亭が並んでいたとか。
しばらく行くと右手に「神奈川台関門跡」の碑が建っている。
前回の「鶴見橋関門跡」と同じく、横浜開港後の外国人殺傷事件の多発を受けて治安維持のために設けられた関門である。
やがて旧東海道は環状1号の大通りと合流し、浅間下の交差点付近までは大通りが旧東海道となる。
歩道には「旧東海道」と書かれた銅板タイルが点々とはめ込まれている。
東海道の旅も3日目ともなると、カミサンの歩きも軽やかである。どうやら長距離ウォーキングのリズムが分かってきたらしい。
浅間下交差点の歩道橋を渡り、浅間下公園を過ぎた角を右折して旧道の道筋に入る。
しばらく進むと、洪福寺松原商店街である。3月に訪れた時と同様、この通りはもの凄い人出であり、人をかき分けながら歩かないと先に進めない。
カミサンが両側の八百屋を覗いて野菜の値段を見たところ、卸売り並みの低価格とか。どうりで人が集まって来る訳である。近隣以外からも買い出しに来ているのかもしれない。
3月の時に買い求めた十円饅頭の店をカミサンに教えたところ、美味しそうだから買いたいと言う。
3月の時は桜風味の饅頭が出ていたのだが、季節商品なのか今回は店頭に並んでない。代わりに柚子饅頭が出ていたので、黒糖饅頭と合わせて10個買う。145円である。
3月の時と同じく、少し先にある旧帷子(かたびら)橋跡の公園で休憩して食べることに。
十円饅頭は一口大の大きさでモチモチ感があり美味しい。二人でペロリと平らげてしまった。
この辺りは既に旧保土ヶ谷宿に入っている。歩道には、車道との境を示す高さ1メートルほどの緑のポールが点々と立てられている。ポールの先端に何が付いているのかと目を凝らしたところ、髷(まげ)を結って裃(かみしも)を付けた侍の上半身を模したものであった。何とも可愛らしいポールである。
金沢横町を過ぎると東海道線、横須賀線の踏切があり、それを越えた先で国道1号に突き当たる。
突き当たりの正面には、保土ヶ谷宿本陣跡がある。私にとっては、国1の旅、3月の東海道の旅に続き3度目である。
国道1号をしばらく歩き、岩崎ガードの少し先のところで国道から分かれて再び旧道に入る。
権太坂の入口。急勾配が始まる。
少し登ったところに権太坂陸橋がある。陸橋の下は保土ヶ谷バイパス。東は首都高速狩場線と横浜横須賀道路へ、西は東名高速横浜町田IC、さらに八王子へと続く自動車専用道路である。
光陵高校の辺りまでで急勾配は終わり眺望が開けてくる。晴れていれば富士山も見えるとか。
予想していたよりも坂道が短かったためか、カミサンの表情も穏やか。そんなカミサンに「箱根越えはこの何十倍もあるからね」と、ちょっと脅しを掛けておく。
境木(さかいぎ)地蔵尊前に到着。
歩行者が一息つける広いスペースが確保されており、広場の中央に円形の石のベンチが配されている。
ベンチの側面には東海道五十三次の宿場名が彫られており、ベンチの中央には道標が立っている。
道標の両側の面には、「これより武蔵国保土ヶ谷宿 一里」、「これより相模国戸塚宿一里九丁」と書かれている。横浜市は武蔵の国と相模の国にまたがる大都市なのだ。
境木地蔵尊前から左折すると、今度は急勾配の下り道。焼餅坂(やきもちざか)である。
その先は道幅が旧に狭くなり、左右に蛇行し始める。そして品濃(しなの)一里塚。
この細い道に入ったところで遂に小雨が降り出した。
初日の雨の時にリュックに入れてあった地図が濡れてフニャフニャになってしまった失敗から、急遽リュック用とカメラ用のレインカバーを調達したので、今回は早速カバーを付ける。
品濃坂を下り、環状2号道路の頭上に架けられた歩道橋(歩行者用陸橋)を渡る。
環状2号道路造成に伴い、旧東海道が分断されてしまったので、今となってはこの鉄の陸橋が旧東海道である。
やがて旧東海道は国道1号と交差する。
ちなみに、横浜の青木橋から左に折れて続く国道1号は、何故か標識に「東海道」と書かれている。事情は分からないが事実そう表示されている。勿論、旧東海道ではない。
私も国1の旅で歩いた時には、標識を信じて、てっきりこの部分は国道1号が東海道だったのだと思い込んでいた。
なお、地図上の表記は国道1号の方は「東海道」、今歩いている方は「旧東海道」となっている。明治以降に新しく現代の東海道を造ったと言うことか。それにしても紛らわしいことはしないで欲しいものである。勘違いしている人も多いのではないか。
名瀬道路の秋葉大橋手前で旧東海道は国道1号と合流。以降、不動坂で再び分岐するまでの間は、国道1号が「旧東海道」かつ「東海道」である。ああややこしい。
不動坂交差点まで来れば、もう戸塚はすぐである。
3年前の国1の旅の時に、ここで立ち止まって足の裏のマメを見た瞬間にスネが攣(つ)ったことが思い出される。
あの時は西馬込(大田区)から戸塚まで30kmも歩いたのだから、スネが攣るのも仕方ないか。
そう言えば、昔の旅人がスネに脚絆(きゃはん)を巻いたのも生活の知恵だったのだろう。
13時20分、ダイエー戸塚店前に到達。ダイエー横にあるファミレス「VOLKS」の前には、戸塚宿の江戸見附跡の碑がある。
記念撮影をしたあと、VOLKSで遅めのランチを取る。ビールが美味い。
少し早いが、雲行きも怪しくなって来たため、本日の旅は戸塚駅前で切り上げることにした。
戸塚駅より東海道線で三島に帰還。大磯から先は、どしゃぶりの雨であった。
【データ】
■東海道歩行距離
今回 | 13.2km(横浜青木橋〜戸塚駅前) |
---|---|
通算 | 43.3km |
■利用交通機関
区間 | 交通機関 |
---|---|
三島〜新横浜 | JR東海・東海道新幹線(三島〜新横浜) |
新横浜〜横浜 | JR東日本・横浜線(新横浜〜横浜) |
横浜〜青木橋 | 京浜急行(横浜〜神奈川) |
戸塚〜三島 | JR東日本/JR東海・東海道本線(戸塚〜三島) |
■費用
用途 | 金額 |
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新幹線/JR横浜線 三島〜横浜(回数券利用)(新幹線は1名通勤定期券を利用) | 3,300円 |
JR横浜線 新横浜〜東神奈川 | 160円 |
JR東海道本線 戸塚〜三島(1名は通勤定期券を利用) | 1,280円 |
京急 横浜〜神奈川(2人分) | 260円 |
駐車場代(三島駅前) | 1,000円 |
飲料(2人分) | 300円 |
10円饅頭(10個) | 145円 |
昼食、ビール、コーヒー(戸塚「VOLKS」) | 3,780円 |
合計 | 10,225円 |
累計 | 34,797円 |
■立ち寄りポイント
・本覚寺「アメリカ領事館跡」(神奈川宿)
・「神奈川台関門跡の碑」(神奈川宿)
・「旧帷子橋跡」(保土ヶ谷宿)
・洪福寺松原商店街(横浜市保土ヶ谷区)
・「高札場跡」(保土ヶ谷宿)
・「金沢横町 道標 四基」(保土ヶ谷宿)
・「保土ヶ谷宿本陣跡」(保土ヶ谷宿)
・「旅籠 本金子屋の跡」(保土ヶ谷宿)
・江戸から8番目の一里塚「保土ヶ谷宿一里塚跡」(保土ヶ谷宿)
・「権太坂改修記念碑」(横浜市保土ヶ谷区)
・権太坂(横浜市保土ヶ谷区)
・境木地蔵尊前の道標(横浜市保土ヶ谷区)
・焼餅坂(横浜市戸塚区)
・江戸から9番目の一里塚「品濃一里塚跡」(横浜市戸塚区)
・品濃坂(横浜市戸塚区)
・「戸塚宿江戸見附跡」(戸塚宿)
■通過した宿場
(4)保土ヶ谷宿
(5)戸塚宿
【用語】
江戸見附(えどみつけ)、上方見附(かみがたみつけ)
宿場の出入り口に設けられた番所。江戸側を江戸見附、大坂・京側を上方見附と言う。
東木戸(ひがしきど)、西木戸(にしきど)
宿場の出入り口に設けられた木戸。江戸側が東木戸、京側が西木戸。
助郷(すけごう)
徳川幕府が、宿場の人足や馬の不足を補うために、近隣の村に課した夫役。
高札場(こうさつば)
徳川幕府や領主からの定め書きなどを掲げて、領民に周知させるための場所のこと。
【地図】
・本覚寺「アメリカ領事館跡」(神奈川宿)
・「神奈川台関門跡の碑」(神奈川宿)
・「旧帷子橋跡」(保土ヶ谷宿)
・洪福寺松原商店街(横浜市保土ヶ谷区)
・「高札場跡」(保土ヶ谷宿)
・「金沢横町 道標 四基」(保土ヶ谷宿)
・「保土ヶ谷宿本陣跡」(保土ヶ谷宿)
・「旅籠 本金子屋の跡」(保土ヶ谷宿)
・江戸から8番目の一里塚「保土ヶ谷宿一里塚跡」(保土ヶ谷宿)
・「権太坂改修記念碑」(横浜市保土ヶ谷区)
・権太坂(横浜市保土ヶ谷区)
・境木地蔵尊前の道標(横浜市保土ヶ谷区)
・焼餅坂(横浜市戸塚区)
・江戸から9番目の一里塚「品濃一里塚跡」(横浜市戸塚区)
・品濃坂(横浜市戸塚区)
・「戸塚宿江戸見附跡」(戸塚宿)
■通過した宿場
(4)保土ヶ谷宿
(5)戸塚宿
【用語】
江戸見附(えどみつけ)、上方見附(かみがたみつけ)
宿場の出入り口に設けられた番所。江戸側を江戸見附、大坂・京側を上方見附と言う。
東木戸(ひがしきど)、西木戸(にしきど)
宿場の出入り口に設けられた木戸。江戸側が東木戸、京側が西木戸。
助郷(すけごう)
徳川幕府が、宿場の人足や馬の不足を補うために、近隣の村に課した夫役。
高札場(こうさつば)
徳川幕府や領主からの定め書きなどを掲げて、領民に周知させるための場所のこと。
【地図】