東海道を行く(2) 川崎宿〜神奈川宿〜保土ヶ谷宿〜戸塚宿
2008年3月8日(土) 晴れ
◆07:26 | 三島 |
---|
新幹線こだま号で三島(地元)を出発。品川で東海道本線に乗り換え、旅の出発点である川崎へ。
◆08:43 | 川崎(砂子交差点) |
---|
JR川崎駅で降り、前回の旅の終着点、砂子交差点へ。
本日の目標は戸塚宿である。3年前に大田区から戸塚まで歩いた経験があるので、多分、大丈夫であろう。
3月に入り段々暖かくなっているとは言え、朝は未だ寒く、手もかじかむほどである。横断歩道を渡り旧東海道の旅を再開する。
右手に川崎宿・佐藤本陣跡がある筈なのだが、それらしい案内板が見当たらない。
その上、砂子交差点より手前では「旧東海道」と書かれた道標が点在していたのに、交差点からこちらは道標が全く見つからない。
道を間違えてなかろうかと地図を何度も確認するが間違っていない様だ。とにかく先に進む。
本日の目標は戸塚宿である。3年前に大田区から戸塚まで歩いた経験があるので、多分、大丈夫であろう。
3月に入り段々暖かくなっているとは言え、朝は未だ寒く、手もかじかむほどである。横断歩道を渡り旧東海道の旅を再開する。
右手に川崎宿・佐藤本陣跡がある筈なのだが、それらしい案内板が見当たらない。
その上、砂子交差点より手前では「旧東海道」と書かれた道標が点在していたのに、交差点からこちらは道標が全く見つからない。
道を間違えてなかろうかと地図を何度も確認するが間違っていない様だ。とにかく先に進む。
◆09:08 | 芭蕉句碑(八丁畷) |
---|
前方に京急八丁畷(はっちょうなわて)駅が見えてきた。どうやら道は正しかった様だ。
ところが、駅の踏切の手前に芭蕉句碑がある筈なのに見つからず、踏切まで来てしまった。
仕方がないので道を戻り句碑を探したところ、家並みが切れた所にひっそりと句碑があった。「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」芭蕉が関東で詠んだ最後の句である。
ここで弟子達と別れ、郷里伊賀の柘植庄に帰り、その年の十月に大坂で亡くなったそうである。
ところが、駅の踏切の手前に芭蕉句碑がある筈なのに見つからず、踏切まで来てしまった。
仕方がないので道を戻り句碑を探したところ、家並みが切れた所にひっそりと句碑があった。「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」芭蕉が関東で詠んだ最後の句である。
ここで弟子達と別れ、郷里伊賀の柘植庄に帰り、その年の十月に大坂で亡くなったそうである。
◆09:20 | 市場一里塚 |
---|
横浜市鶴見区に入り、しばらく行くと左手に小さな稲荷神社がある。
ここに市場一里塚の碑がある。江戸から五里の地点である。
そのすぐ先には鶴見川が流れており、道は川の土手に向かって緩やかな上りになっている。
ここに市場一里塚の碑がある。江戸から五里の地点である。
そのすぐ先には鶴見川が流れており、道は川の土手に向かって緩やかな上りになっている。
◆09:28 | 鶴見橋関門跡 |
---|
鶴見川を渡ると、少し先の左手に鶴見橋関門跡がある。
1859年の横浜開港に合わせ、治安維持のために各所に関門を設置したらしく、ここもその一つである。
鶴見駅が近くなるにつれて、街は賑やかになり、旧東海道にちなんだパネルの設置などが増えて来る。
京急鶴見駅のガードを潜りしばらく進むと、道が左右に緩やかに蛇行し始める。旧東海道の道筋がそのまま残っているのかもしれない。第1京浜(国道15号)を渡ると生麦の街である。
1859年の横浜開港に合わせ、治安維持のために各所に関門を設置したらしく、ここもその一つである。
鶴見駅が近くなるにつれて、街は賑やかになり、旧東海道にちなんだパネルの設置などが増えて来る。
京急鶴見駅のガードを潜りしばらく進むと、道が左右に緩やかに蛇行し始める。旧東海道の道筋がそのまま残っているのかもしれない。第1京浜(国道15号)を渡ると生麦の街である。
◆09:53 | 生麦 |
---|
生麦と言えば、歴史の時間に習った「生麦事件」を思い浮かべるが、ここが魚河岸の街であるということは、今回歩くまで全く知らなかった。
通りの両側には魚屋が軒を連ねており、朝から沢山の人が生鮮食品の買い出しに訪れている。それにしても、通りに駐車している車の数は半端ではない。この通りは駐車禁止ではないのだろうか。
魚屋街を抜けてしばらく行くと、民家の前に生麦事件現場という案内板が立っていた。
これから行く予定の「生麦事件の碑」がある場所が事件現場だと思っていたのだが、どうも違うらしい。歩いてみないと分からないものである。
左手にあるキリンビール工場を過ぎると、道は第一京浜に合流する。合流点の左手に生麦事件の碑があった。
通りの両側には魚屋が軒を連ねており、朝から沢山の人が生鮮食品の買い出しに訪れている。それにしても、通りに駐車している車の数は半端ではない。この通りは駐車禁止ではないのだろうか。
魚屋街を抜けてしばらく行くと、民家の前に生麦事件現場という案内板が立っていた。
これから行く予定の「生麦事件の碑」がある場所が事件現場だと思っていたのだが、どうも違うらしい。歩いてみないと分からないものである。
左手にあるキリンビール工場を過ぎると、道は第一京浜に合流する。合流点の左手に生麦事件の碑があった。
◆10:38 | 神奈川新町 |
---|
三島の住人としては、これまで、国道1号線が旧東海道に沿って作られた国道だと勝手に思い込んでいたのだが、間違っていた。
少なくとも、日本橋から横浜駅近辺までは、旧東海道沿いに作られたのは国道15号線(第一京浜)の様だ。
神奈川新町。この辺りからが神奈川宿であったらしい。
それにしても、品川宿と同様、神奈川宿も寺社が多い。それに、横浜開港と関係しているのだと思うが、外国とのゆかりのあるお寺が多い。
アメリカの宣教師が宿舎にした成仏寺、フランス領事館跡で浦島伝説もある慶運寺、イギリス領事館跡の浄瀧寺、ヘボン博士が診療所を開いた宗興寺、イギリス士官の官舎となった普門寺、フランス公使館だった甚行寺、アメリカ領事館があった本覚寺など、回るのにたっぷり1時間は掛かってしまった。
栄町交差点の少し手前から、旧東海道は右に折れる。宮前商店街の通りである。
商店街を抜けると、JRなどの沢山の線路の上に架かる陸橋・青木橋である。
少なくとも、日本橋から横浜駅近辺までは、旧東海道沿いに作られたのは国道15号線(第一京浜)の様だ。
神奈川新町。この辺りからが神奈川宿であったらしい。
それにしても、品川宿と同様、神奈川宿も寺社が多い。それに、横浜開港と関係しているのだと思うが、外国とのゆかりのあるお寺が多い。
アメリカの宣教師が宿舎にした成仏寺、フランス領事館跡で浦島伝説もある慶運寺、イギリス領事館跡の浄瀧寺、ヘボン博士が診療所を開いた宗興寺、イギリス士官の官舎となった普門寺、フランス公使館だった甚行寺、アメリカ領事館があった本覚寺など、回るのにたっぷり1時間は掛かってしまった。
栄町交差点の少し手前から、旧東海道は右に折れる。宮前商店街の通りである。
商店街を抜けると、JRなどの沢山の線路の上に架かる陸橋・青木橋である。
◆12:15 | 本覚寺 |
---|
青木橋を渡ると、右手に勾配の急な上り坂があり、途中の右手に本覚寺がある。
さらに進むと、左手に三寶寺がある。この坂道は、「神奈川宿歴史の道」と名付けられている様だ。ただし、旧東海道ではない。
坂を下りて青木橋たもとに戻り、旧東海道の旅を再開。
閑静な通りをしばらく進むと、右手に「神奈川台関門跡」がある。鶴見橋関門と同じく、外国人から治安を守るために設けられた関門である。
しばらく行くと道は横浜環状1号と合流するが、浅間下交差点の先から再び別れ、相鉄天王寺駅までの間、旧東海道は環状1号の西を併走する。
この辺りは、洪福寺松原商店街となっているが、アメ横並みの人出であり、人をかき分けて歩かなければならない。
まさか、ここが旧東海道であるとは、買い物客の殆どは意識していないことだろう。
商店街で昼食を取ろうと食事処を物色していたら、10円饅頭というのが売られていたので思わず買ってしまった。ちょっと寂しいが、昼食は饅頭で誤魔化すか。
さらに進むと、左手に三寶寺がある。この坂道は、「神奈川宿歴史の道」と名付けられている様だ。ただし、旧東海道ではない。
坂を下りて青木橋たもとに戻り、旧東海道の旅を再開。
閑静な通りをしばらく進むと、右手に「神奈川台関門跡」がある。鶴見橋関門と同じく、外国人から治安を守るために設けられた関門である。
しばらく行くと道は横浜環状1号と合流するが、浅間下交差点の先から再び別れ、相鉄天王寺駅までの間、旧東海道は環状1号の西を併走する。
この辺りは、洪福寺松原商店街となっているが、アメ横並みの人出であり、人をかき分けて歩かなければならない。
まさか、ここが旧東海道であるとは、買い物客の殆どは意識していないことだろう。
商店街で昼食を取ろうと食事処を物色していたら、10円饅頭というのが売られていたので思わず買ってしまった。ちょっと寂しいが、昼食は饅頭で誤魔化すか。
◆13:23 | 帷子(かたびら)橋跡 |
---|
天王寺駅のガードを潜ると、正面に公園があり、園内に旧帷子橋が再現されていた。
ここで一休み、饅頭をほおばる。この辺りはすでに保土ヶ谷宿である。
ここで一休み、饅頭をほおばる。この辺りはすでに保土ヶ谷宿である。
◆13:55 | 保土ヶ谷本陣跡 |
---|
道を進み、JRの踏切を渡ると、国道1号線に垂直にぶつかる。その正面に保土ヶ谷本陣跡がある。
ここから先はしばらく国道が旧東海道である。
保土ヶ谷2丁目信号から旧東海道は国道と別れる。
元町ガードを左折してしばらく進んだところに権太坂入口がある。ここからは勾配のきつい権田坂が続く。
ここから先はしばらく国道が旧東海道である。
保土ヶ谷2丁目信号から旧東海道は国道と別れる。
元町ガードを左折してしばらく進んだところに権太坂入口がある。ここからは勾配のきつい権田坂が続く。
◆14:43 | 境木(さかいぎ)地蔵 |
---|
権田坂を登り切ったところで視界が開ける。右手には境木地蔵がある。
境木の名前は、ここが国の境であるということを現しているのだろうか。地蔵尊前には立派な道標が作られており、権太坂を下ると武蔵の国・保土ヶ谷宿、焼餅坂を下ると相模の国・戸塚宿と書かれている。
ちなみに、焼餅坂と言うのは、ここの権太坂が江戸を旅立った人達にとって最初の難所であり、ここで一服する旅人に茶屋で焼き餅が出されたことに由来しているとか。
境木の名前は、ここが国の境であるということを現しているのだろうか。地蔵尊前には立派な道標が作られており、権太坂を下ると武蔵の国・保土ヶ谷宿、焼餅坂を下ると相模の国・戸塚宿と書かれている。
ちなみに、焼餅坂と言うのは、ここの権太坂が江戸を旅立った人達にとって最初の難所であり、ここで一服する旅人に茶屋で焼き餅が出されたことに由来しているとか。
◆15:05 | 品濃(しなの)一里塚 |
---|
焼餅坂を下ると、道幅がぐっと狭くなり左右に蛇行している。恐らく、昔の東海道がそのまま残っているのでは無かろうか。
こんな狭い道で参勤交代の行列が対面したら、果たして問題なくすれ違えるのだろうかなどと、馬鹿なことを妄想してしまった。
やがて左手にこんもりとした小山が出現する。品濃一里塚跡である。
さらにしばらく進むと、環状2号に架かる歩道橋に出る。旧東海道が新しい道造りで分断され、歩道橋という形に変化したのである。
歩道橋を渡ると品濃坂は続く。
坂を下りて川沿いの道をしばらく進むと、道は国道1号線と交差する。
横断歩道を渡り、平戸永谷川沿いに歩く。やがて、再び国道1号と交わり、そこから先は国道が旧東海道である。
こんな狭い道で参勤交代の行列が対面したら、果たして問題なくすれ違えるのだろうかなどと、馬鹿なことを妄想してしまった。
やがて左手にこんもりとした小山が出現する。品濃一里塚跡である。
さらにしばらく進むと、環状2号に架かる歩道橋に出る。旧東海道が新しい道造りで分断され、歩道橋という形に変化したのである。
歩道橋を渡ると品濃坂は続く。
坂を下りて川沿いの道をしばらく進むと、道は国道1号線と交差する。
横断歩道を渡り、平戸永谷川沿いに歩く。やがて、再び国道1号と交わり、そこから先は国道が旧東海道である。
◆15:54 | 江戸見付 |
---|
国道1号線が新道と旧道に分岐する不動坂交差点の手前で、旧東海道は国道から斜め左に折れる。
この静かな道には、江戸時代から残っていると思われる旧家の土蔵などが道の脇にあり風情がある。
舞岡で再び旧道の国道1号線に合流。ここから先、藤沢バイパス分岐点までは国道が旧東海道である。
ダイエー戸塚店の先、ステーキハウスVOLKSの窓の下に、江戸見付跡の碑がある。
見付とは、見張り番屋のことであり、宿場には江戸側と京側にそれぞれあるのだそうである。江戸側を江戸見付、京側にあるのを上方見付と言うのだそうだ。
吉田大橋の少し手前を左に入ったところに妙秀寺というお寺があり、広重の絵に描かれている「ひだりかまくら道」という道標が保存されていると言うので、街道を外れて寄り道することにした。
寺の境内に石の道標があった。時を経ているせいか、「ひだりかまくらみち」の文字は僅かに部分的に判読できる程度であった。
この静かな道には、江戸時代から残っていると思われる旧家の土蔵などが道の脇にあり風情がある。
舞岡で再び旧道の国道1号線に合流。ここから先、藤沢バイパス分岐点までは国道が旧東海道である。
ダイエー戸塚店の先、ステーキハウスVOLKSの窓の下に、江戸見付跡の碑がある。
見付とは、見張り番屋のことであり、宿場には江戸側と京側にそれぞれあるのだそうである。江戸側を江戸見付、京側にあるのを上方見付と言うのだそうだ。
吉田大橋の少し手前を左に入ったところに妙秀寺というお寺があり、広重の絵に描かれている「ひだりかまくら道」という道標が保存されていると言うので、街道を外れて寄り道することにした。
寺の境内に石の道標があった。時を経ているせいか、「ひだりかまくらみち」の文字は僅かに部分的に判読できる程度であった。
◆16:23 | 戸塚駅踏切 |
---|
再び旧東海道(国道1号線)に戻り、しばらく行くと、柏尾川にかかる吉田大橋である。橋の欄干には広重の絵が描かれたパネルがはめ込まれている。
橋を渡ると道は大きく右にカーブしており、その先に戸塚駅の踏切が見えてきた。開かずの踏切で有名なこの踏切は、今日も閉まっていた。
本日の旅はここが終着点である。
JR東海道線で小田原まで行き、新幹線に乗り継いで17:55には無事、三島に帰着。
次回は、4月になると思うが、平塚宿か大磯宿あたりまで脚を延ばしてみたいと思っている。
橋を渡ると道は大きく右にカーブしており、その先に戸塚駅の踏切が見えてきた。開かずの踏切で有名なこの踏切は、今日も閉まっていた。
本日の旅はここが終着点である。
JR東海道線で小田原まで行き、新幹線に乗り継いで17:55には無事、三島に帰着。
次回は、4月になると思うが、平塚宿か大磯宿あたりまで脚を延ばしてみたいと思っている。