東海道を行く(1) 日本橋〜品川宿〜川崎宿


東海道を行く(1) 日本橋〜品川宿〜川崎宿
2008年3月1日(土) 晴れ
 
東海道と言えば、歌川広重の「東海道五十三次」でも知られているとおり、江戸・日本橋から京・三条大橋までを結ぶ街道というのが一般的になっている。
しかしながら、実のところは、五十三番目の宿・大津宿から京に向かって4〜5㎞先に「追分」と呼ばれる京方面と大坂方面への分岐点があり、東海道は京方面ではなく大坂方面に分岐して、大坂・高麗橋(こうらいばし)まで続くと言うのが正しいらしい。
宿場の数も、大津までの五十三次に、伏見枚方(ひらかた)守口の四宿を加えた東海道五十七次というのが正しいらしい。
もっとも、京から大坂に下る場合は、淀川を船で下ることが多かったため、街道の方はもっぱら大坂から京への上りに使われていたらしい。このためか、呼び名の方も、上りの方は「京街道」、下りの方は「大坂街道」という別名があったそうである。
 
平成17年の夏に長距離ウォーキングを始めて以来、これまで、「国道1号線の旅(日本橋〜三島)」、「山手線一周の旅」、「東京23区の旅」など、色々と歩いてきたが、今年は、東海道に挑戦してみようかと思っている。
時間も掛かるし費用も相当かかるので、完歩するのに何年を要するのか分からないし、最後まで諦めずに続けられるかどうかも分からないのだが、まあ、途中で投げ出してもいいかという軽い気持で、とにかく歩き始めようかと思った次第である。
 

◆08:34 三島

新幹線こだま号で三島(地元)を出発。品川で京浜急行に乗り換え、旅の出発点である日本橋へ。
 

◆09:56 日本橋

橋の頭上には首都高速・都心環状線が走っている。
橋の四隅には、「花の広場」「乙姫広場」「元標の広場」「滝の広場」と言う小さなエリアが整備されている。
 
最初のチェックポイントは乙姫広場にある「日本橋魚河岸発祥の地」。築地(つきじ)に市場が移転する前までは、ここが東京の魚河岸として栄えていたそうである。
道路を渡った橋の反対側・元標の広場には、文字通り「日本国道路元標」がある。ここが国道1号線を始めとする各種の国道の始点である。
日本橋の北に延びる国道17号線(旧中山道)沿いには、三越本店を始め沢山の老舗が並んでいる。
 
いよいよ、東海道五十七次の旅の第一歩を踏み出す。国道1号線は永代通りの交差点から右折となるが、旧東海道は直進である。ここから先、品川の八ツ山橋までは国道15号線(通称、第一京浜)が旧東海道である。
右手に東京駅が望める交差点を直進し、京橋方面へ。
 
1 「日本橋の上を走る首都高速都心環状線」(2008.03.01撮影) 東京都中央区日本橋
 
2 「現在の日本橋」(2008.03.01撮影) 東京都中央区日本橋
 
3 「日本橋魚河岸発祥の地碑」(2008.03.01撮影) 東京都中央区日本橋
 
 
5 「日本国道路元標」(2008.03.01撮影) 東京都中央区日本橋
 
 
 
 
 
10 「日本橋三越」(2008.03.01撮影) 東京都中央区日本橋
 
11 「国道17号線」(2008.03.01撮影) 東京都中央区日本橋
 
12 「日本橋高島屋」(2008.03.01撮影) 東京都中央区日本橋
 
13 「JR東京駅の見える交差点」(2008.03.01撮影) 東京都中央区日本橋・京橋
 

◆10:21 京橋

首都高速のガードの手前にチェックポイントが二つある。
一つは向かって右側にある「江戸歌舞伎発祥の地」、もう一つは向かって左側とガードを潜った右側の二箇所にある旧京橋の「石の擬宝珠(ぎぼし)」である。橋はもう残っていないが擬宝珠だけが記念に残されているのだろう。
 
ガードを抜けると、いわゆる銀座の街となる。銀座2丁目の道の左手歩道には、「石の擬宝珠(ぎぼし)銀座発祥の地」の石碑が立っている。江戸時代に駿河の国から銀貨の鋳造所をここに移したのが始まりとか。
通りには、松屋、松坂屋と言ったデパート、ルイヴィトンなどの高級ブランド店が並び、人通りも格段に多くなる。この通りは土曜の午後には歩行者天国となるのだが、この時間はまだ車が走っている。
 
14 「江戸歌舞伎発祥の地碑」(2008.03.01撮影) 東京都中央区京橋
 
15 「京橋の石の擬宝珠」(2008.03.01撮影) 東京都中央区京橋・銀座
 
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18 「銀座発祥の地碑」(2008.03.01撮影) 東京都中央区銀座
 
19 「松屋銀座店とその1階に入っているルイヴィトンの店」(2008.03.01撮影) 東京都中央区銀座
 
20 「松坂屋銀座店」(2008.03.01撮影) 東京都中央区銀座
 

◆10:45 新橋

銀座の街は新橋手前の首都高速ガードまで。ガードを抜けた途端、辺りの雰囲気はガラっと変わる。
 
ガードを潜って直ぐの左手には西条八十作詞、中山晋平作曲の「昔恋しい銀座の柳」で始まる歌「銀座柳」の碑が残ってはいるのだが、目の前には新交通システム「ゆりかもめ」の駅が道路の上を横断する形で横たわっており、道の左側には「汐サイト」と呼ばれる汐留高層ビル街が広がっていて、銀座の雰囲気とは全く異なる街並みである。
 
日本橋から銀座までは、訪れる客を歓迎するかの様に歩道が整備され、歩行者を意識した各種のパネル設置などもあるのだが、ガードを潜って新橋の街に入るやいなや、途端に工事箇所がやたらと増え、歩道もアスファルトを掘り返した様な暫定歩道部分が多くなる。
銀座が客を迎える商業の街とするなら、新橋から南はビジネス中心の街と言うことになるだろう。
 
21 「銀座柳の碑」(2008.03.01撮影) 東京都港区新橋
 

◆11:01

第一京浜を進むと、やがて芝の街に入り、大門交差点の手前右手には芝大神宮への参道が目に入る。
大門交差点の右奥には増上寺の大門が見え、その奥には増上寺がある。
 
一旦、旧東海道を外れて芝大神宮に立ち寄り、これからの旅の安全を祈願する。増上寺まで脚を伸ばした後、再び東海道に戻って旅を続ける。
 
首都高速都心環状線のガード下を流れる古川と、それに架かる金杉橋。この橋を渡りしばらく進むと、やがて道は右方向に大きくカーブし三田の街に入る。
JR田町駅の手前には、勝海舟と西郷隆盛が会見した場所を示す碑がある。ここでの会見が江戸城無血開城に繋がったそうである。
 
22 「芝大神宮」(2008.03.01撮影) 東京都港区芝大門
 
23 「芝大神宮の本殿」(2008.03.01撮影) 東京都港区芝大門
 
24 「芝大門」(2008.03.01撮影) 東京都港区芝大門
 
 
25 「芝増上寺」(2008.03.01撮影) 東京都港区芝公園
 
26 「芝増上寺山門」(2008.03.01撮影) 東京都港区芝公園
 
27 「金杉橋からの眺め」(2008.03.01撮影) 東京都港区芝
 
28 「勝海舟・西郷吉之助会見の地碑」(2008.03.01撮影) 東京都港区芝
 
29 「札の辻歩道橋から見える東京タワー」(2008.03.01撮影) 東京都港区三田
 
 【札の辻】 江戸時代、官の制札を立てた辻。[出典:デジタル大辞泉]
 

◆11:45 高輪(たかなわ)大木戸跡

田町駅を過ぎてしばらく進むと、左手に石垣で囲まれた高さ2メートルほどの高地が残っている。高輪大木戸跡である。
ここが、江戸の入口であったとか。
そのすぐ先右手に泉岳寺へ入口がある。
 
30 「高輪大木戸跡」(2008.03.01撮影) 東京都港区高輪
 
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◆11:52 泉岳寺

ご存じの通り、赤穂浅野家の菩提寺、赤穂義士四十七士の墓がある寺である。
ここを訪れるのは二度目であるが、今回は、線香を買って四十七士の墓に上げることにした。墓石に彫ってある俗名を読みながら線香を上げて回ったが、年数を経ているので判読できないものもかなりあった。
 
33 「泉岳寺」(2008.03.01撮影) 東京都港区高輪
 
34 「この奥に義士一人ひとりの墓石がある。写真撮影は控えた。」(2008.03.01撮影) 東京都港区高輪
 

◆12:21 品川駅前

品川の宿はあと僅か。
駅を通り過ぎて先を急いでいたら、道の左下に行列が出来ているのが目に入った。「品達なんつっ亭 弐」と書かれているラーメン店の前である。
お昼時でもあるし、どうせ食べるのなら美味いところで食べた方が得なので、行列の末尾に付くことにした。30分並んだのち、ようやく腹ごしらえをすることが出来た。豚骨ベースのまずまずの味であった。
 

◆13:12 品川宿

国道15号線と別れを告げ、八ツ山橋を渡ると北品川の街。ここが旧東海道の品川宿である。
 
北品川の商店街入口には観光案内所があり、無料の散策マップをくれた。品川宿にはチェックポイントが沢山あるのだが、神社やお寺が多い。
まず最初にあるのが、お寿司屋の角に立っている「問答河岸の碑」。三代将軍家光と沢庵和尚が問答したと伝えられている。
問答の内容はと言うと、家光が「海近くして東(遠)海寺とは如何に」と問うたのに対し、和尚が「大軍を率いて将(小)軍と言うが如し」と答えたとか。
 
せっかく旧東海道を歩くのだから名所は外したくないと言う思いから、ガイドブックに出ている名所をすべて立ち寄ることにした。
結構時間が掛かったが、旅籠だった土蔵相模跡(今はファミリーマート)、伊豆長八の鏝絵(こてえ)が壁面に残っているという善福寺(こちらはかなり老朽化が激しかった)、利田(かがた)神社、道標があるという品海公園、法善寺本陣跡の聖跡公園、品川神社荏原神社、目黒川を渡って南品川の常行寺天妙国寺品川寺(ほんせんじ)と回った時には結構疲れが出始めた。
 
35 「八ツ山橋」(2008.03.01撮影) 東京都品川区北品川
 
この八ツ山橋が港区と品川区の境界。つまり、JR品川駅は品川区ではなく港区なのである。
 
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37 「問答河岸の碑」(2008.03.01撮影) 東京都品川区北品川
 
38 「土蔵相模跡」(2008.03.01撮影) 東京都品川区北品川
 
39 「緩やかに蛇行する旧東海道の道筋」(2008.03.01撮影) 東京都品川区北品川
 
40 「善福寺」(2008.03.01撮影) 東京都品川区北品川
 
41 「善福寺の壁面に描かれた鏝絵」(2008.03.01撮影) 東京都品川区北品川
 
42 「利田(かがた)神社」(2008.03.01撮影) 東京都品川区東品川
 
43 「品海公園入口にある道標」(2008.03.01撮影) 東京都品川区北品川
 
 
44 「品川宿本陣跡(聖跡公園)」(2008.03.01撮影) 東京都品川区北品川
 
45 「品川神社」(2008.03.01撮影) 東京都品川区北品川
 
46 「品川寺(ほんせんじ)」(2008.03.01撮影) 東京都品川区南品川
 
47 「幕府御用宿釜屋跡」(2008.03.01撮影) 東京都品川区南品川
 

◆14:55 浜川橋(泪橋 なみだばし

東大井の街を過ぎ、立会川に架かる浜川橋を渡る。
この橋は泪橋(なみだばし)とも呼ばれていたそうで、罪人が鈴ヶ森刑場に護送されて行く時に、この世との最後の別れの場となったらしい。
ちなみに、江戸時代には、南の刑場・鈴ヶ森に対し、北の刑場として小塚原(こづかっぱら)刑場があった。こちらにも同じ様に泪橋と呼ばれる橋が架かっていたそうである。
 
やがて、旧東海道が再び国道15号線と合流する地点の手前に、国道と旧東海道に挟まれる様に鈴ヶ森刑場跡が残っている。
刺殺するために罪人を縛る柱の穴石、火炙りのために罪人を縛る鉄柱の穴石、首洗い井戸などが残っている。あまり長居をしたくない場所である。
 
国道15号線に合流した道を進むと、京急大森海岸駅を少し過ぎた右手に磐井神社がある。
 
国道は結構な道幅があるが、もう少し先の方で旧東海道が国道から左に分岐するので、数少ない横断歩道を探して早めに道の左側に移っておく必要がある。
平和島口の少し先より、旧東海道は再び国道から分岐。すぐ隣には国道が走っているのだが、この旧東海道部分は静かな商店街になっており、道の両側には旧東海道の風景を描いたタイルをはめ込んだ石椅子が点在している。
一つひとつタイルの絵を見ながら楽しんで街道を歩く。
 
大森警察署前で国道と合流した後は、多摩川の手前までは国道が旧東海道である。
 
48 「浜川橋(泪橋)」(2008.03.01撮影) 東京都品川区南大井
 
49 「磐井神社」(2008.03.01撮影) 東京都大田区大森北
 
50 「美原通りの両側にはめ込まれている旧東海道タイル」(2008.03.01撮影) 東京都大田区大森本町
 

◆16:00 梅屋敷跡

 京急梅屋敷駅を過ぎてしばらく進むと、右手に梅屋敷公園がある。「和中散」という薬を製造販売していた山本家の屋敷の跡だとか。
 
京急蒲田駅を過ぎると、国道を横断する京急空港線の踏切がある。多分、この踏切は渋滞の原因になっていると思われるが、高架の工事が始まっていた。
 
蒲田を過ぎると、いよいよ多摩川は目前である。かなり脚に疲労が出ているがもう一頑張り。
 
51 「梅屋敷」(2008.03.01撮影) 東京都大田区蒲田
 
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◆16:38 六郷神社

本日最後に訪れる神社である。夕日が傾き、辺りの明るさが落ちてきたが、真冬に比べるとかなり日が長くなった様だ。
 
六郷神社の境内は広く、整備が行き届いていて立派な社務所もある。正月には結構な人出になるのだろう。
本日最後のお賽銭を投げて柏手を打つ。
 
54 「六郷神社」(2008.03.01撮影) 東京都大田区東六郷
 

◆16:52 六郷土手

「国1の旅」の時には、1日目で多摩川越えをすることが出来なかったが、今回は何とか初日に川越えを達成。
河原ではテニスを楽しむ人達、野球の試合をする人達など、思い思いの休日を楽しんでいる。
多摩川下流の遙か先には、橋が夕日を浴びて美しく光っているのが見える。
 
多摩川の橋を渡り神奈川県へ。旧東海道では、ここは橋ではなく「六郷の渡し」となる。
 
55 「六郷橋より多摩川河口方面を望む」(2008.03.01撮影) 東京都大田区東六郷
 
56 「県境を越え川崎市へ」(2008.03.01撮影) 神奈川県川崎市
 
 
57 「六郷の渡し舟」(2008.03.01撮影) 神奈川県川崎市
 
58 「万年屋跡」(2008.03.01撮影) 神奈川県川崎市
 
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◆17:20 川崎宿

多摩川の橋を渡ると、旧東海道はすぐに右に折れる。国道の橋の下を通って川崎宿に入ってゆく。
道の両側には所々、「旧東海道」と書かれた石の道標が立っているが、品川宿ほどには宿場町の面影は残っていない。
 
しばらく進むと、街灯の柱に「田中本陣跡」と書かれた標識があったのだが、そこは普通の医院があるだけであり、昔を偲ばせるものは何もない。
 
60 「旧東海道川崎宿の道筋」(2008.03.01撮影) 神奈川県川崎市
 
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62 「川崎宿田中本陣跡」(2008.03.01撮影) 神奈川県川崎市
 
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本日の旅は、ここ川崎宿まで。
 
JR川崎駅から帰途に付く。品川までは東海道線で僅か一駅。あっと言う間である。
歩いてみて実感する文明の利器である。
 
予定では、本日は品川宿の外れ、京急青物横丁駅付近にある品川寺までを考えていたのだが、ついつい頑張って川崎宿まで到達してしまった。
このペースで行くと次回は神奈川宿、保土ヶ谷宿を経て戸塚宿あたりまで進むことになるのかもしれない。