昭和の最後の正月(1988年12月)


昭和の最後の正月(1988年12月)
1988年12月31日(土)~1989年1月6日(金)
更新:2023年8月22日(火)
 
新幹線で福岡に正月帰省し、1週間を福岡の実家で過ごす。
 
正月明けの6日に新幹線で三島に戻ったが、この日、歌手の小柳ルミ子さん結婚のニュースが流れる。
そしてその翌日、もっと大きなニュースが日本中を駆け巡った。昭和天皇が崩御されたのである。結果的に今回の正月が昭和の最後の正月となった。
 
【2023/8/22追記】
1989年1月7日に昭和天皇が崩御されたという話は、実は真実ではなく、この日の昭和天皇の崩御は、実は偽装崩御であったと、落合莞爾先生より教えて戴いた。昭和天皇は、偽装崩御後も数年間はご存命であったそうである。
なお、落合先生からは、偽装崩御後に欧州(ベルギー)に渡られたと伺っていたのだが、最近、これは誤りだと分かった。偽装崩御後は、欧州ではなく那須で過ごされたと言うのが真実だそうである。
何故、偽装崩御という形を取られたのかの理由は、これも落合先生から伺ったのだが、昭和時代に陛下ご自身が手掛けた事の結果を見届けたいと言うのが理由だったと思う。ただ、その「手掛けた事」の内容を私はハッキリと憶えていない(笑)。(中華人民共和国育成関連、HAARP、・・・何だったかナァ)
わざわざ、偽装崩御という形を選んだと言う事は、裏を返せば、「昭和から平成への時代の転換と、その時期」が、國體ワンワールドとして既定路線だったと言う事だろうと思う。
同様に、平成から令和への転換時期に関しても、國體ワンワールドとして既定路線だったのだろうと思うが、その際には、「偽装崩御」という形ではなく、「生前譲位」という形を取られたんだと思う。「偽装崩御」と「生前譲位」のどちらの形態を選択するのかは、やはり、國體ワンワールドとしての何らかの思惑があるのだろうと思う。
 
1 正月帰省。志摩(福岡県)にて(1989年1月)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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11 博多駅にて(1989年1月)