自宅で正月を迎えるのは何十年振りだろう(笑)


自宅で正月を迎えるのは何十年振りだろう(笑)
2022年12月16日(金) 晴れ
 
久しぶりに、正月を自宅で迎える事になった。多分、今後はずっと正月は自宅で迎える事になりそうである。
 
正月と言えば、生まれてから地元の大学を卒業するまでの22年間は、勿論、自宅(福岡の実家)で迎えたし、更に、就職してから結婚するまでの10年間の独身時代も、1982年(27歳、神奈川県川崎市在住)の正月(前年末からのスキー)、1984年(29歳、静岡県沼津市在住)の正月(前年末からのスキー)の2回を除き、帰省して実家で迎えた。
 
現在、68歳となった私の人生において、上の2回(スキー)を除き、過去に福岡の実家に正月帰省する事なく迎えた正月は、以下の7回だけである。
ちょっと、就職後(1977/4~)の正月事情を表にまとめてみた(以下)。
 

西暦(年齢)
正月帰省
正月を迎えた場所
写真、その他
1978(23) 実家(福岡市)
1979(24) 実家(福岡市) 帰省5 正月帰省1979年
懐かしい福岡の街(1979年1月)
1980(25) 実家(福岡市)
1981(26) 実家(福岡市)
1982(27) 自宅(神奈川県川崎市の賃貸アパート) ★前年末ギリギリまでスキー旅行のため、正月帰省せず。
1983(28) 実家(福岡市) 志賀高原スキー&帰省
1984(29) 自宅(静岡県沼津市の賃貸マンション) ★前年末ギリギリまでスキー旅行のため、正月帰省せず。
1985(30) 実家(福岡市)
1986(31) 実家(福岡市)
1987(32) 実家(福岡市)
★4月に結婚、7月に自宅購入(静岡県三島市)。
1988(33) 自宅(静岡県三島市) 結婚して最初の正月は自宅で
★1月に三島市内の産婦人科にて第一子出産。
1989(34) 実家(福岡市) 帰省26 昭和の最後の正月(1988年12月)
《補足1》
★2月に三島市内の産婦人科にて第二子出産。
1990(35) 実家(福岡市)
1991(36) 自宅(静岡県三島市) 次男誕生(1990年12月)
★前年(1990)の暮れに三島市内の産婦人科にて第三子出産。
《補足2》
1992(37) 実家(福岡市)
1993(38) 実家(福岡市)
1994(39) 実家(福岡市)
1995(40) 実家(福岡市)
1996(41) 実家(福岡市)
1997(42) 実家(福岡市)
1998(43) 実家(福岡市)
1999(44) 実家(福岡市)
2000(45) 自宅(静岡県三島市) ★IT業界においては一大イベントであった「西暦2000年問題」。富士通に勤務していた私も、当然ながら正月出勤が必要だったため、正月帰省は出来なかった。
2001(46) 実家(福岡市)
2002(47) 実家(福岡市)
2003(48) 実家(福岡市)
2004(49) 実家(福岡市)
2005(50) 嬉野温泉(佐賀県) 帰省53 正月帰省2005 & 母の喜寿祝い
2006(51) 堂ヶ島温泉(静岡県)
伊豆高原(会社保養所)(静岡県)
伊豆での正月2006
★前年に父が他界したため、喪中の正月を親族だけで静かに過ごそうと言う事で、母と兄家族に静岡に来て貰い、伊豆の温泉でゆっくりと過ごした。
2007(52) 那須高原(会社保養所)(栃木県)
稲取温泉(静岡県)
★福岡で一人暮らしをしている母を、旅行に連れ出して気分転換して貰おうと思い、前年暮れに娘を福岡まで迎えにやらせ三島に来て貰い、新年を我が家の家族と一緒に過ごして貰うべく、那須高原、稲取温泉の二泊三日の旅行に連れ出した。
2008(53) 宝泉寺温泉(大分県) ★母、兄家族と一緒に、宝泉寺温泉にて正月を過ごす。
2009(54) 舘山寺温泉(静岡県) 初日の出/成人のお祝い(舘山寺温泉)
★福岡勢に静岡まで出て来て貰うことになり、母、兄家族、姉家族、我が家の家族が一緒に浜名湖の舘山寺温泉で正月を過ごした。
2010(55) 天ヶ瀬温泉(大分県) 明けましておめでとうございます
★母と我が家の家族で、天ヶ瀬温泉にて正月を過ごす。
2011(56) 平戸温泉(長崎県) 2011年正月
★母、兄家族と我が家の家族で、平戸温泉にて正月を過ごす。
2012(57) 別府温泉(大分県) 正月旅行(別府温泉)
★母と我が家の家族で、別府温泉にて正月を過ごす。
2013(58) 嬉野温泉(佐賀県) 正月帰省(1)
正月帰省(2)
★母、兄家族と我が家の家族で、嬉野温泉にて正月を過ごす。
2014(59) 実家(福岡市) 謹賀新年
2015(60) 熱川温泉(静岡県)
河口湖温泉(山梨県)
2015正月旅行
★兄が富士山を見たいと言うので、母と兄家族に静岡に来て貰い、伊豆の温泉と雄大な富士山の絶景を楽しんで貰うことにした。
2016(61) 実家(福岡市)
2017(62) 実家(福岡市)
2018(63) 実家(福岡市)
2019(64) 実家(福岡市) 【由無し事】2019年 正月帰省
2020(65) 実家(福岡市)
2021(66) 実家(福岡市)
2022(67) 実家(福岡市)


 
話を最初に戻す。
 
静岡県三島市をベースとしている私の家族(子供3人は独立して京浜地区在住)を除けば、母の子供の家族、孫の家族と曾孫まで、みんな福岡市内で暮らしてはいるが、母は、2005年に父が他界したあとも、子供達と同居する事無く一人暮らしをしていた。
 
その母が、95歳を間際にして、さすがにこれ以上一人暮らしを続けるのは困難だと感じたらしく、施設に入る事を決心した様である。とにかく、これ以上は子・孫達に迷惑を掛けたくないと言う母の一大決心である。
 
義兄(姉の夫)が、子・孫達とも比較的近い場所にある施設を探してくれて、その施設にて三日間の体験入居をしたあと、入居を決心した様である。
 
先週末に入居すると言うので、急遽、夫婦で福岡に帰って来た。
ちょうど入居日の前日が、母の95歳の誕生日だったので、母、義姉(他界した兄の妻)、姉と我々夫婦の五人で、夕食を共にした。
 
この施設では、コロナの事もあって、面会は玄関で10分程度(部屋には入れない)、外出は原則NG、外泊もNGとの事なので、正月に帰省しても実家で母と一緒に正月を過ごす事が出来ないのである。
 
幸い、スマホという文明の利器があるので、会話だけは制約なしにする事が出来るのが救いである。
 
そういう事情なので、正月は久しぶりに三島の自宅で迎える事になった。
自宅でお節料理を作って正月を祝うと言う形の正月は、結婚した最初の正月(1988年)以来なのかも知れない。もしかしたら、西暦2000年の正月出勤の時もそうだったかも知れないが(笑)。
 
 
《補足1》
この年(1989年)の正月帰省においては、1月6日に福岡から新幹線で三島に戻って来たのだが、この日に、小柳ルミ子さんの結婚のニュースを聞き、続いて翌日の1月7日昭和天皇の崩御のニュースを聴いた。
なお、この時の昭和天皇の崩御は、実は偽装崩御であり、昭和天皇は、その後の数年間を那須で過ごされた事を後に知った。
偽装崩御と言う事は即ち、昭和から平成への時代の(意図的・計画的な)切替には、國體ワンワールドとして、深い意味があった訳である。
同じく、平成の天皇(現上皇陛下)が2019年に生前譲位して、平成から令和への時代の(意図的・計画的な)切替をした事についても、当然ながら、國體ワンワールドとしての深い意味があると思われる。
 
《補足2》
第三子が、1990年の年末に誕生した(母子共に、入院中の産院で新年を迎えた)ため、正月帰省はせず。
代わりに、母が、主婦のいない我が家(三島)をヘルプするために、急遽、福岡から三島に駆け付けてくれた。