私の生まれて初めての旅は徳島へ(時期は不詳)


私の生まれて初めての旅は徳島へ(時期は不詳)
時期:1957年頃(詳細は不詳)
作成:2023年5月16日(火)
 
私にとっての生まれて初めての旅行は、両親の故郷・徳島への旅だったらしい。帰省の目的が何だったのかは知らない。
 
時期は正確には分からないが、旅から戻ったあとに七五三の服を新調したと母が言うので、多分、私が3歳になった年(1957年)の夏~秋の頃だと推測する。
 
一緒に行ったのは、父方の伯母、その孫、母と私の4人である。
 
当時の福岡~徳島の交通手段は、博多駅~岡山(宇野)が国鉄、宇野~高松(香川県)が宇高連絡船、高松~徳島が国鉄である。
小さな子供を連れての乗り換えが大変だったと言う様な話を、母から聞いた様に思う。
 
移動中の列車の向かい合わせの座席に4人で座っていた様な情景が、何故か記憶の片隅に残っているのだが、本当にその時の記憶なのか、後から話を聞いて頭の中で想像した情景が記憶として残っているのかは、今となっては分からない。
とにかく、これが私にとっての初旅行である。
 
【行程】

新野(あらたの)町月夜    
徳島県(阿南市)
自宅(福岡市)~博多駅~[国鉄・鹿児島本線、山陽本線、宇野線]~宇野駅(岡山県玉野市)~[宇高連絡船]~高松駅(香川県高松市)~[国鉄・高徳本線牟岐線]~新野駅(徳島県阿南市)~[バス?]~新野町月夜(父の実家泊)
 ※復路は省略   

 
因みに、徳島の父の実家には、小学生の時に家族でもう一度行っている。徳島県と言う事では、仕事や旅行で5~6回は行っていると思う。
 
そのうちの一つ、2000年8月14日に仕事で徳島市内の富士通グループ会社に出張した時には、ちょうど盆踊り(阿波踊り)の時期であったが、何と、「踊る阿呆」側になって、両側にスタンド席があるメイン会場(良くTV放映される会場)で、観客の注目を浴びながら2m間隔程度の隊列を組んで、阿波踊りを踊りながら中央の花道を練り歩いた事もある(笑)。
【追記】
あの時は、出張先での会議終了後に、お膳立てしていたグループ会社側の方々に即席で阿波踊りの踊り方を習い、そのまま本番に突入したのだが、とにかく肘を肩の高さより下に降ろしたら駄目だと言われていたので、ほぼ「万歳」状態を10分以上保つ必要があり腕がキツかったのを憶えている。
腰に10本ほど挿していた会社宣伝用のタッチおじさんの団扇(うちわ)を、「団扇下さい!」と声を掛けてくれるスタンドの観客に渡すために、隊列から離れる時だけが、腕を降ろせる休息の時であった(笑)。

阿波踊りで使った団扇

 
 

2000/8、阿波踊りに参加