あれよ、あれよと言う間に・・・


あれよ、あれよと言う間に・・・
1987年8月
 
1987年の4月に結婚し、会社の社宅(静岡県沼津市)で新婚生活を始めた。
私が社宅に入居したのは、結婚式の2週間前、4月4日である。新生活の準備や、家電、家具類の事前運び込みが必要なためである。家電、婚礼家具は販売店から直接配送して貰い、夫婦それぞれの荷物、カミサンのグランドピアノ(ヤマハ C7)も結婚式の前に少しずつ運び込んだ。
 
そして、夫婦が揃って社宅での生活をスタートしたのは、結婚式(4月18日)の夜からである。披露宴(18時開始)の後の二次会から帰宅した時であるから、23時を回っていたと思う。
 
そして翌日は、新婚旅行に出発する日であったが、その日(日曜日)はちょうど町内清掃の日であり、社宅の皆さんと一緒に社宅の草取りをしてから旅行に出発した。
 
新婚旅行(ハワイ)からの帰国後に、今度は私の方の親族向けの披露宴(福岡市内)がゴールデンウィーク中にあったので、社宅での定常的な生活に入ったのは、ゴールデンウィーク明けからである。婚姻届を出しに行ったのもゴールデンウィーク後の最初の土曜日だったと思う。
 
そして夏になり、7月の私の誕生日(33歳)の朝、この日は土曜日だったが、新聞広告に載っていた売り地(三島市内)の案内が眼に止まり、午前中に予定していた散髪の後に現地を見に行く事にしたのである。
「持ち家」については、なるべく早く実現したいという気持ちが前々からあったので、既に、新聞広告に入っていた物件(静岡県裾野市)を夫婦で一度見に行った事があり、まあ、その物件は周りの雰囲気が気に入らなかったので現地視察だけで終わったのだが、その後も、広告には目を通していたのである。
 
今回の物件は良さそうな物件であり、これは「買い」だと思った。そうなると、見学者も多かったし、躊躇していたら一番気に入った角地(かどち)も売れてしまうという心配が生じて、せっかちな私としては「手付け」を打つしかないという気持ちに支配されてしまい、4万円だったと思うが、手付金を支払ってしまった。
翌日、カミサンのご両親、ご両親が懇意にしていて我々の結婚の際には内仲人をお願いした中山さんにも現地を見て貰った。中山さんは銀行に勤めているので、不動産の評価の眼も確かだろうと思ったので。
その夜、お義母さんと一緒にカミサンの実家が懇意にしているお寺(長泉浄泉寺)に行って、ご住職のお母上に相談したところ、「今どき、この若さで家を買うなどと言う人はいない。本人がこんなに買いたいと言ってるのだから買わせればいい。」との事だった。
因みに、この方は、我々の結婚話が出た際にも、お義母さんが相談に行ったところ、「相性が良いから結婚させろ」と言われたそうである。滝に打たれて修業を積んでいる方なので、普通の人には見えないものが見えるのだろうと思う。
 
話は、これで終わりでは無い(笑)。
 
翌日の月曜日、夕方にカミサンより会社に電話があり、「中山さんから電話があり、銀行に、条件の良い中古住宅物件の話が不動産屋から来ており、何日かは店頭に「売り物件」として出すのを待ってくれる」との話であった。
早速、帰宅し、夫婦で現地の中古物件を見に行った。夜なので、細かい所は見えなかったし、家の中は見られなかったが、庭は結構広かった。
翌日、休暇を取って、今度は不動産屋さんと一緒に現地見学。家の中も見せて貰った。内装(壁、畳)は手直しするそうなので、まあ良いとして、庭の広いのが気に入った。お金が貯まったら増改築も出来そうだし。
 
と言う事で、一週間後の7月28日、不動産屋さんと正式に売買契約を締結した。最初に「売り地」を見に行ってから2週間足らずの出来事である。
そして、社宅から買った家に引っ越したのは、契約の5日後であった。あれよ、あれよと言う間に・・・である(笑)。
なお、「手付金」を支払済みだった売り地については、業者と交渉した結果、日数が余り経過してなかった事もあり、手付金を全額返金して戴けた。
 
購入した中古住宅については、鬼門除け祈祷の話を以下の記事の中でしている。祈祷の最中に我が家(摩須家)のご先祖様が出て来た事、ご先祖様が氏族だった事など。
 
 私のルーツ
masuraoo.hatenablog.com