【3/8更新】許可を得て、遂に明かされる皇室の真実の歴史(天皇は二人いる:國體天皇と政体天皇)


【3/8更新】許可を得て、遂に明かされる皇室の真実の歴史(天皇は二人いる:國體天皇と政体天皇)
2022年3月7日(月) 晴れ
更新:2022年3月8日(火)
 
【3月8日追記】
 
下の落合莞爾先生の説明動画では、「國體天皇(ウラに回った天皇)」の存在についてだけしか説明がないと思うが、それだけでは、初めて聞く人には今ひとつピンと来ないと思うので、少し補足説明しておく。
 
《國體天皇について》
 
まず最初に、「國體天皇」「政体天皇」という呼称について、これは、落合先生が便宜的に付けた名前であり、正式な(公式の)名称ではない。
ザックリ説明すると、以下のとおり。

用語
意味
政体
(せいたい)
人類の本質は分業社会。この分業社会では、全体の秩序維持が必要であり、これを専門的に行う統治という仕事が必要になる。この統治を行う族または階層が生まれることになるが、これを政体勢力(または単に政体)と言っている。政体は、社会統治の目的のために権力を持つ必要があるが、ともすると、これが物質欲と結びついて腐敗、堕落する危険性がある。
國體
(こくたい)
國體とは、各地の地域社会(国)が固有に持っている社会と国家のあるべき姿(形)のこと。國體を護るためには、腐敗、堕落の危険性がある政体に対して、社会の健全性を維持するための役割が必要になる。この役割を担う族または階層を國體勢力(または単に國體)と言っている。権力を握る政体からの攻撃を回避するためには、國體勢力は、常に、その存在を秘匿する必要がある
政体天皇 日本国を統治する役割を担う族腫。日本国の国家元首。
國體天皇 7500年前(紀元前5500年)、メソポタミアの地に発祥したウバイド文明。そのウバイド人(注1)が、5800年前に東西に移動し、西の極となるユーラシア大陸の端、スコットランド(現英国)、東の極となる太平洋岸の日本列島(現日本)に到達。その数千年後には、東西のウバイド末裔が再び連携することになり、ウバイド・ワンワールドの総有資産である黄金(國體黄金ファンド)を使って、世界平和の維持(各国の國體の維持)を図っている。これを國體ワンワールドと呼んでいる(落合先生の命名)。この國體ワンワールドの維持・発展を担っているのが國體天皇である。
落合先生が國體天皇の話をする場合、「西の極」、「東の極」という各地域の國體天皇の事を指している場合もあるが、國體ワンワールド全体の(世界)國體天皇の事を指す場合もある。「國體ワンワールド」も「國體天皇」も、世界で認知された組織呼称、地位呼称では無く、あくまでも落合先生の造語なので、時と場合に依って落合先生がどちらの意味で使われているのかは前後の脈絡から判断するしかない。
第二次大戦時の世界國體天皇は、堀川辰吉郎であったが、現在の世界國體天皇はベルギーに移ったと落合先生は言っている。(ベルギー王室という意味では無い)

國體天皇の存在については、これまで皇室が秘匿していたので、(一部では、存在を知る人が「ウラ天皇」と呼んだりしている様だが、)殆どの日本国民は知らなかったと思うし、聞いた事があったとしても、「どうせ陰謀論か何かだろうと」と聞き流していたと思われるが、陰謀論でも何でもなく、現実におられる天皇である。「天皇」と言う呼称が良いかどうかは別にして。
 
「メソポタミア文明」、「古代エジプト文明」、「インダス文明」、「黄河(黄河揚子江)文明」という世界四大文明については、日本国民なら誰しも学校で習って知っていると思うが、じゃあ、それはどういう人達が興した文明かと言われると、殆どの方々は知らないか、誤った知識(例えば、メソポタミア文明はシュメール人が興したという間違った知識)で捉えていると思う。
 
実は、この世界四大文明は、全て同じ部族が興した文明である。「部族」という表現は適切でないかもしれないが。
 
(注1)
それは、氷河期を中央アジアの高山地帯で生き抜いた人類(旧人類と呼ばれる事もある)が、1万年前に終わった最後の氷河期「ヴュルム氷河期」の後に山を下りて「ウバイドの丘」と呼ばれる丘陵地帯で生活を始めた部族である。
落合先生は、説明の便宜上、この集団を「ウバイド人」と命名された。
 
このウバイド人は、高山地帯という過酷な環境を生き抜くために、「分業」という文化を体得し、その分業による各生産物の交換のために、「中間財」を介して交換するという考え方を保有していた。即ち、現在の貨幣と同じ仕組みである。
 
その中間財としては、長い高山地帯の生活で体得した鉱物学や植物学から、「金(ゴールド)」と「罌粟(けし)」が「中間財」として最適である事を会得していた。
 
そこで、その中間財である鉱物「金(ゴールド)」を求めて、大河の河口を堰き止めて砂金を採取する生活を始めた。
 
その砂金採取をするために大河を求めてウバイド人が世界に分散して行き、砂金採取と共に興していったのが、以下の世界四大文明である。
 

文明
大河 場所
メソポタミア文明 チグリス川、ユーフラテス川 両大河で挟まれた地域。イラン、イラク辺り。「メソ ポタミア」とは大河で挟まれた地域を意味するラテン語らしい。
古代エジプト文明 ナイル川 ナイル川流域。スーダンのヌバ(ヌビア)辺り
インダス文明 インダス川 インド亜大陸西側のインダス川流域。パキスタン辺り。
黄河揚子江文明 黄河、揚子江 支那大陸の黄河流域(中原)、揚子江流域

詳細は、以下を参照。
 
 氷河期後の地球人類をリードする「ウバイド」の起源
 
3400年前(紀元前1400年)、インダスの地から海路で日本列島に移動して来たウバイド人が、日本皇室の祖先である。
 
なお、日本皇室の初代天皇である神武天皇(紀元前1世紀頃)の生誕地として、現在、以下の二つの説がある。

落合莞爾先生の説
●北部九州説(福岡近辺)。縄文海人安曇族とウバイド人が混交し、その何十代目かの族長がイハレ彦(後の神武天皇)。
●イハレ彦が、大陸からの騎馬民族の侵攻対策として陣地の縦深化を図り、奥の院を設けるためにヤマトの地に入ったのが「神武東遷」と呼ばれる歴史事象。
鍋島直亮氏の説 ●浜名湖北部の引佐(いなさ)辺り。
●『浜名湖の気賀から船に乗って紀伊半島を回り、大和川を遡上して当時は大和盆地の中央にあった大和湖に入って、その湖畔の橿原に入った』
  ~鍋島直亮氏の書籍「真相追究 蘇我氏と古代日本」の35頁より引用。~
●なお、「神武東遷」の歴史事象は、「崇神天皇」の東遷を隠すための偽装だった。

メソポタミアから東西に分かれたウバイド人達は、その後も交流を続けていたそうであるが、13世紀あたりで、東西のウバイドの王室の血統を一本化し、かつ、蓄積してきた國體黄金ファンドの運用・管理も一本化する事が決まったらしく、それに向けた準備が13世紀~14世紀に掛けて進められたらしい。
 
具体的には、日本皇室の96代)後醍醐天皇の皇子であった大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう)の男系血統で、以降の日本皇室と欧州の王室(ベルギー王室オランダ王室ハプスブルク家)の血統を一本化する事が決まったそうである。
 
なお、護良親王の母親については、Amazonから絶賛発売中の鍋島直亮氏の書籍「真相追究 公武政略と武士」の第四章にて初めて明かされているが、同じくウバイド人の後裔であるスコットランド王家の王女マーガレットの娘であり、ノルウェー王室に嫁いでいた娘(名前は母親と同名のマーガレット)が偽装死して日本に渡り、後醍醐天皇との間に生まれたのが護良親王だそうである。
上に書いた東西ウバイド4王室において、以降の王室後継者を護良親王の男系血統で一本化する事により、東西の4王室の血統が同一血統となり、國體黄金ファンドの運用管理も一本化された様である。
 
護良親王の血を引く男子達が、その後、日本皇室の天皇(政体天皇、國體天皇)、ベルギー王室、オランダ王室、ハプスブルク家に(潜入&入れ替わり(背乗り)を含めて)入っていったが、簡単に纏めると以下の通りである。

護良親王の王子
王子の母親 王子の男系子孫達が継いだ王室 補足
興良(おきなが)親王 権大納言北畠師重の女 天皇家
122代)明治天皇(大室寅助、大室寅之祐)
護良親王の命により、周防国に入っていた興良親王の後裔が大室家
益仁親王(興仁親王) 紀伊調月村の井口左近の娘 天皇家、永世親王家伏見宮から出た各天皇 ●北朝初代)光厳上皇の皇子として皇籍に入り、名を益仁から興仁に改名。北朝3代)崇光天皇となる。
●系譜上は崇光天皇の孫となっているが実子である貞成(さだふさ)親王が、実質の伏見宮家初代となり、以降、永世親王家伏見宮より、数々の天皇が出ている。
二代目井口左近 同上 臣籍降下し、母方の井口家を継ぐ。 落合莞爾先生(本名:井口莞爾)は、井口家の男系子孫(即ち、護良親王の男系子孫)。
皇子X 同上 ハプスブルク家 欧州に渡り、その子、若しくは孫が、ハプスブルク家のエルンスト鉄公に背乗りして入れ替わる。その子が、フリードリヒ三世であり、神聖ローマ帝国の皇帝をハプスブルク家の世襲とした
無名の皇子、皇孫 不肖 ベルギー王室
オランダ王室
●護良親王が鎌倉で偽装殺害された後に、小舟で房総に渡り、陸路で奈良・西大寺に入った後に生まれた皇子、皇孫たち。偽装死後の子孫なので歴史上の記録は無い。
●この皇子、皇孫達が欧州に渡り、ベルギー王室、オランダ王室に入る。
 (落合先生の命名で、この一団を欧州大塔宮と呼ぶ。)
●119代)光格天皇~121代)孝明天皇、昭和天皇~今上天皇は、欧州大塔宮(ベルギー王室)の血統。
●光格天皇の父である閑院宮典仁親王は、ベルギーから日本に渡って来られた。
●昭和天皇(迪宮裕仁親王)は大正天皇の実子では無いので、多分、ベルギーで生まれ、日本に入られたのだろうと推測する。
 昭和天皇の皇太子時代の欧州訪問は、里帰りの目的もあったのではないかと個人的には思っている。「皇太子殿下御外遊記」を読むと、ベルギー王室の御陵墓にも参詣されており、ただの外遊とは思えないベルギーへの思いを感じた。
 また、昭和天皇は、1989年1月7日に偽装崩御された後、ベルギーに戻って数年を過ごされたと伺っている。
●國體天皇となった堀川辰吉郎、その子である高松宮宣仁親王は、孝明天皇の皇子・睦仁親王の子、孫なので、ベルギー血統。
●秩父宮雍仁親王の父親は存じ上げないが、三笠宮崇仁親王は、ヴェネツィア・コスモポリタン(ヴェネツィアの黒い貴族)の系統(欧州に渡った南朝、後南朝勢力)から来られた方だと伺っている。

地球上で発掘された黄金(GOLD)の大部分(数値は忘れたが、多分、7~8割)は、國體サイドが総有・管理・運用していて、この國體黄金ファンドを運用して、世界各地域の有るべき姿(地域の國體)を護持しているのである。
日本国内でも、社名に「日」の付く企業や、その他多くの企業が、國體黄金ファンドを投入して育てた企業らしい。日産、ホンダなどはそうだと聞いている。富士電機、その子会社だった富士通も、古河の「ふ」、独)ジーメンスの「じ」を取って名付けた会社(漢字の当て字は「富士」)であり、欧州國體と日本國體が関わっていると思われるので、多分、國體黄金ファンドが投入されたのではないかと思う。
國體奉公衆だった澁澤栄一が興した会社にも、恐らく、國體黄金ファンドが入っていると思われる。
「ファンド」だから、勿論、株価益などにより回収される。
 
【3月8日追記終わり】
 
これまでは、落合莞爾(おちあいかんじ)先生が皇室より指名されて研究してきた皇室内の真実の歴史については、無制限に公表するのではなく、特定の範囲(先生の講座への参加者、先生の書籍購入者など)に絞って公表されていたのだろうと思うが、
 
この程、マスメディア(インターネット)を通じて、不特定多数の一般の方々向けに、この皇室内の真実の歴史の一端を明かされることにしたのだろう。
放送の中でも、わざわざ、「許可を得ている」と発言されている事からも、恐らく、両方の天皇からの公表許可を得られたと言う事なのだろうと推測する。
 
両方の天皇という意味も、放送の中で落合先生が説明されているが、日本の皇室には、役割分担した二人の天皇がいるという真実である。
皇室も、そろそろ、真実の歴史を国民に伝える時期に来たと判断されたのかも知れない。
 
これは、落合先生が区別のために便宜的に命名した名前だが、政体天皇國體天皇である。一部では、オモテの天皇、ウラの天皇などという呼び方をしていた方々もいた様だが。
 
日本国民が誰でも存じ上げている「天皇」、日本国憲法の第一条で規定している「天皇」は、オモテの天皇(政体天皇)の方である。
 
二人の天皇の在位時期(期間)は同じではないが、明治以降で言えば、だいたい以下の通りである。
 

時代 國體天皇 政体天皇
明治時代の天皇 睦仁親王
[121代 孝明天皇の皇子]
明治天皇:大室寅助(寅之祐)
オモテの記録では孝明天皇の皇子・睦仁親王とされているが違う。
[長州藩奇兵隊出身。興良親王(大塔宮護良親王の皇子)の末裔)]
大正時代の天皇 堀川辰吉郎
[睦仁親王の子]
大正天皇:明宮嘉人親王
[父親は知らない(多分、伏見宮系?)]
昭和時代の天皇 堀川辰吉郎→高松宮宣仁親王
      [堀川辰吉郎の子]
昭和天皇:迪宮裕仁親王
[父親は知らない。ベルギー王室(大塔宮護良親王の血統)の皇子]
オモテの記録では大正天皇の皇子とされているが違う。ベルギー王室から来日された。
平成時代の天皇 高松宮宣仁親王→後継は知らない。平成の天皇が兼任したかも。 平成の天皇:継宮明仁親王
[父親は昭和天皇]
令和時代の天皇 知らない。明仁上皇かもしれない。 令和の天皇:浩宮徳仁親王
[父親は明仁上皇]

 
前説はこのくらいにして、落合先生が出演された動画は以下である。結美大学というYoutubeチャンネルの動画であり、前編(約19分)・後編(約27分)に分かれている。
 
 明治天皇は2人いた。隠された皇統の真の姿〜前編〜|落合莞爾
www.youtube.com
 
 明治天皇は2人いた。隠された皇統の真の姿〜後編〜|落合莞爾
www.youtube.com