【國體】洞察帝王学講座・改【無料版】 高松宮様の慈愛に満ちたお姿【本日締切】


【國體】洞察帝王学講座・改【無料版】 高松宮様の慈愛に満ちたお姿【本日締切】
2021年12月24日(金) 晴れ
更新:2021年12月26日(日)
   
以下、本日(12/24)配信された無料メールを転載する。
 
なお、過去の「無料メール」転載分は、以下から参照できる。 【索引】洞察帝王学講座・改【無料版】一覧表
 
・文字の修飾(色付け、文字サイズ変更など)、用語等へのリンク付けは私の趣味である(笑)。
・私の補足説明を、緑文字で文中に挿入している場合あり。
 
〜〜〜以下、転載〜〜〜
高松宮様の慈愛に満ちたお姿【本日締切】
 
おはようございます。
戦略思想研究所 中森です。
 
欧州経綸100周年記念企画のお申込みは、
【本日締切】となります。
 
昭和天皇にとって生涯で唯一の沖縄御訪問、
そして、第一次大戦で荒廃した欧州経綸に
奉公の限りを尽くした漢那憲和。
 
久間章生元防衛大臣を動かし、
海上自衛隊に帝国海軍の誇りを呼び覚ました
工藤俊作とサミュエル・フォールの再会。
 
世界各国海軍を保持すれど、
「インペリアル」を冠する海軍は、
大日本帝国海軍のみ。
 
大日本帝国海軍とは、
まさに皇室の海軍。
 
海軍のさきがけとされる英国海軍でさえ、
ロイヤル・ネイビー(王立海軍)。
 
英国において海軍の地位は、
陸軍、空軍より上位にあります。
 
また、天皇(エンペラー)は王(キング)より
格上である
ことから、
 
ワンワールドとしての海軍の中でも、
大日本帝国海軍は特別なのです。
 
そして、漢那憲和は天皇の艦長であり、
工藤俊作は女王陛下の海軍の命を救い、
 
各々に与えられた持ち場を忠実に守り、
ワンワールドの海軍を体現したのです。
 
殊にワンワールドの海軍を体現されたのは、
高松宮様です。
 
「アケボノスギ」が発見された紀元2600年、
聖寿万歳三唱を先導される高松宮様のお姿。
 
帝国海軍への思いと海軍話に花を咲かせる高松宮様の
慈愛に満ちた肉声が鮮やかに甦る音声史料。
 
本企画では、神格に触れることになります。
 
さらに、近日中に配信開始する
『帝国海軍秘話(番外編)』では、
 
二・二六事件後に自決した海軍少佐・男爵
堤正之への高松宮様の御気持ちと自決秘話
 
松前重義が進言した戦略物資不足の情報をもとに、
終戦工作に動かれた高松宮様と海軍将校達の秘話
 
高松宮様と鈴木貫太郎の薫陶を受けた海軍将校
渡名喜守定海軍大佐による戦後談話
 
などなど、
 
海軍兵学校のクラスが近しい海軍将校達が、
高松宮様の慈愛に満ちたお姿を明かします。
 
さて、これ以上、
申し上げることは何もございません。
 
今後、私が帝国海軍についてお話する
機会もないでしょう。
 
最後に、繰り返しになりますが、
 
京都皇統を知るあなただからこそ、
高松宮様の慈愛に満ちたお姿に触れて頂きたい。
 
【補足】
「京都皇統」とは何か? 「國體ワンワールド史観」を理解している人なら当たり前の用語だが、そうでない人には『何のこっちゃ?』という疑問符が付くと思うので、一応解説しておく。
 
(1)皇紀について
 皇紀2600年(今年は皇紀2681年)と良く言われるが、「皇紀」とは、イハレ彦が初代天皇(神武天皇)となった年を元年とする日本の暦の事である。なお、「天皇」という称号は、大和朝廷の最初からあった訳ではなく、西暦600年代に「天皇」という称号が使われ始めたらしいので、神武天皇という呼び方は後付けの呼び方である。
 キリスト生誕を基準(紀元)とする「西暦」で言えば、「皇紀」の始まりは紀元前660年と言う事になっている。但し、京都皇統から落合莞爾先生への口伝に依れば、神武天皇の本当の即位時期は もっと後の紀元前1世紀(紀元前100年~紀元前1年)だったそうである。
では、何故、皇室は560年以上も下駄履かせをして皇紀を遡らせたのか? それは、釈迦の生誕年が一番古い説では紀元前624年頃と言われており、”神武が釈迦より下る訳には行かぬ”という事で紀元前660年としたのだそうである。
 ただし、単純に600年近くも下駄履かせしてしまうと、各天皇の在位期間を調整して辻褄合わせが必要であるが、歴史記録から即位年が明確になっている天皇は調整不可なので、それよりも前の代の天皇達の範囲で在位年数を調整しなければならず、600年もの下駄履かせ分を各天皇の在位年数に割り振ると不自然な在位年数となってしまう。
 これに対しては、落合先生は、天皇に依っては1代の天皇位を世襲制の様に何人かでリレーして担っていた時代があると考える事で辻褄を合わせる事にしたそうである。実際、京都皇統からの口伝に依れば、「崇神天皇(10代天皇)は二人、応神天皇(15代天皇)は四人いた。」との事だったそうなので。
 そこで、落合先生は、神武天皇の即位年を紀元前1世紀の中間年である紀元前50年とし、以降の(即位年の記録が残っていない時代の)天皇の即位年を推測した様である。
 
(2)京都皇統について
 天皇制については、実はかなり昔より、天皇の仕事を二人(の天皇)で役割分担していたそうである。即ち、
  (a) 国内統治
  (b) 國體ワンワールドの総有資産である國體黄金ファンドの管理・運用(ファンドの用途は、世界のバランス調整(各国の國體(在るべき姿)の維持))
 但し、(b)の方は黄金ファンドを取り扱う関係上、安全確保のために存在を秘匿する必要があったため、表には出ない様にしていたらしい。
 
 今後の説明の便宜のために、落合先生は、(a)、(b)の二つの天皇職に名前を付けた。即ち、(a)を「政体天皇」、(b)を「國體天皇」と名付けた。我々が歴史で習って知っているのは政体天皇の方である。平安~鎌倉の時代にあった「院政」の時代には、上皇が國體天皇の役割を密かに担った様である。
 
 実は、日本皇室のルーツはメソポタミアの地域であり、1万年前に終わった最後の氷河期(ヴュルム氷期)のあと、中央アジアの高山地帯から氷が解けた地表に降りて来た旧人類が、メソポタミアにあるウバイドの丘で生活を始めたのだが、それが日本皇室のルーツである。 詳細は、以下を参照されたし。
  【國體】氷河期後の地球人類をリードする「ウバイド」の起源
 
 落合先生は、彼らの事を「ウバイド人」と名付けたが、彼らは、5800年前(紀元前3800年)に、新天地を求めて陸路と海路の各2ルートで東西に(合計4ルートで)分かれて行ったのだが、海路で東に向かった一団が、後にインド亜大陸の西岸に上陸してインダス文明を興し、更に、3400年前(紀元前1400年)にインダス地域から海路で東に向かって日本列島に辿り着いたのが、日本皇室のご先祖様である。
 日本列島のどの辺りに上陸したかについては、これまでの落合先生の説では、上陸地は北部九州の那の津(現福岡市中央区那の津)であり、上陸したウバイド人は先住の縄文海人安曇族と、旧人類同志で波長が合ったのか、争う事なく混交し、その何代目か後の族長がイハレ彦であるという説であった。そのイハレ彦が、大陸からの騎馬民族の来襲に備えて安曇族の陣地の縦深化を図り、奥の院を大和盆地に移した(神武東遷)という説であった。
 しかしながら、最近、落合先生の門弟である鍋島直亮さんが、出版した書籍にて、イハレ彦(後の神武)は浜名湖近くの井伊谷(静岡県)辺りに本拠を置いていたという説を新たに出された。「神武東遷」という歴史事象については、実は、別の目的のために作られた偽史であるという説を出された。即ち、朝鮮半島(任那)から日本に迎えたミマキイリヒコ・イニエ(後の10代・崇神天皇、5代・孝昭天皇の第一皇子であるアマタラシ彦の後裔)の九州から大和への東遷を隠すために、「神武東遷」という偽史を作ったという説である。
落合説と鍋島説のどちらが正しいのかは、私には分からない。
 
 次に、東西に分かれたウバイド人の後世での交流について簡単に述べる。
(ⅰ)有間皇子(ありまのみこ)
 36代・孝徳天皇の皇子である有間皇子が偽装死してアルザスに渡り、ピピン二世と入れ替わって、カロリング朝フランク王国の建国に貢献している。
(ⅱ)ハプスブルク家
 96代・後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良(おおとうのみやもりなが)親王偽装死前の皇子が欧州に渡り、その子孫がハプスブルク家のエルンスト鉄公と入れ替わってハプスブルク家に入っている。その皇子がフリードリヒ三世であり、神聖ローマ帝国の皇帝をハプスブルク家が世襲する道を付けた。
(ⅲ)欧州大塔宮(ベルギー王室、オランダ王室)
 同じく、大塔宮護良親王が偽装死後に奈良の西大寺に入り、そこで生まれた皇子、皇孫が欧州に渡り、西のウバイドであるケルト王室と混交してベルギー王室、オランダ王室を創っている。
 
 時は江戸時代となり、19世紀前後になると、西欧にて革命等が発生して各国王室が弱体化して行ったため、欧州王室連合(欧州に渡った護良親王の子孫達の王室連合)が、1815年のウィーン会議にて日本皇室にも王室連合に加わって貰い、世界王室連合とする事を決め、日本にヘルプを送って来たため、急遽、日本側の受け入れ体制を作るべく、鎖国➡開国、幕藩体制➡公議政体という大転換を開始した。
 その一環として、皇室体制の強化を図るために、閑院宮を創設しベルギー王室より日本皇室に人(護良親王の直系男系子孫)を迎え、閑院宮典仁(すけひと)親王とした。 その皇子が119代・光格天皇、その皇子が120代・仁孝天皇、その皇子が121代・公明天皇となる。
 孝明天皇の時に、公議政体への変換(大政奉還➡明治維新)を敢行し、次期天皇として周防国より大室寅之祐を連れて来て孝明天皇の皇子・睦仁親王に成りすまさせて天皇を即位させた。明治天皇である。同時に、偽装死した孝明天皇と本物の睦仁親王は、水戸藩 徳川斉昭が京都堀川通りにある水戸藩菩提寺の本圀時(ほんごくじ)の境内に秘密裡に建てた堀川御所に入り、本物の睦仁親王が國體天皇となった。因みに、前國體天皇は、伏見宮邦家親王(法名:禅楽)である。
この堀川御所に興した新しい皇室血統の事を「京都皇統」と言う。多分、落合先生の命名だと思う。
 
以降、京都皇統は、偽装死した孝明前天皇➡本物の睦仁親王(國體天皇)➡その皇子である堀川辰吉郎(國體天皇)➡その皇子である高松宮宣仁親王(國體天皇)➡高松宮宣仁親王妃・喜久子妃殿下(國體天皇代、徳川慶喜の孫)➡???(多分、現上皇陛下)(政体天皇 兼 國體天皇)➡???(現在の國體天皇)

 
惠氏が高松宮様の御支援を賜ったからこそ、
欧州経綸100周年記念企画が実現した意義を
あなたにも覚って頂きたい。
 
心から強くそう願っています。
 
あなたのお申込みをお待ちしております。
https://st-inst.jp/l/m/3CS8tAg6vsCYFq
【本日締切】
 
それでは、また。
 
戦略思想研究所 中森護
 
P.S.
 
落合先生最新刊
 
『京都皇統と東京皇室の極秘関係 
新発見の吉薗手記が日本を震撼させる』
 
は1月末までにお届けできそうです。
 
11月30日までに
洞察帝王学講座・改2681に参加された方には、
送付先情報入力フォームをお届けしておりますので、
必ず今月中にご入力お願いいたします。
 
送付先情報入力フォームが届いていない方は、
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