正月帰省2016
2016年1月7日(木) 晴れ
更新:2024年5月15日(水)
年が明けて、2016年に入った。
昨年は、世界に以下の様な大きなうねりが生じたが、この2016年という年は、更に大きな変化が起きそうな予感がする。
まあ、これまで世界を裏側から支配し、戦争を画策し続けてきた「陰の権力」が衰退して来ているので、第三次世界大戦にまでは至らないと思うが。
●冷戦終結後の米国による一極集中の世界覇権体制の崩壊、多極化の時代へ。
➪支那(CHINA)が呼びかけたアジアインフラ投資銀行(AIIB)に、日米を除く世界主要国が、米国の反対を押し切り参加を表明。
●ヨーロッパ経済の枠組み崩壊の兆し。
➪ギリシャの経済破綻、
➪シリア大量難民問題と続いて、
➪実験的に始めたユーロ体制が失敗だったことが、ここに来て明らかになって来たと同時に、
➪英国のEU(欧州連合)離脱の話もくすぶり始め、
ヨーロッパが大きく変わる様相を見せ始めた。
●支那の経済崩壊
➪不動産投資のバブル崩壊、
➪シャドウバンクの崩壊に続き、
➪上海株式市場の大暴落、
➪海外資本の支那からの撤退による経済悪化、
➪輸出入の大幅減少(何故か、GDPだけは6.9%成長と自己主張を崩さない。誰も信じてないが)
と言う経済ガタガタの状況で、出口が見えない。
●ISISテロ/中東問題の本格化に端を発したNATO(北大西洋条約機構)の形骸化、世界勢力関係図の大変化
➪シリア内戦/ISIS排除の絡みで、ロシアと欧州各国が、実質的な軍事同盟、
➪米国とイランの和解、
➪米国とロシアの接近(米国の中東からの足抜け)、
➪トルコ、イスラエルの孤立化。
➪更に、年明け早々に発生したイランとサウジアラビアの国交断絶。(イスラム教スンニ派とシーア派の反目。)
●世界を裏で支配して来た権力の衰退
➪世界的な石油価格の下落、
➪数百年の間、世界を裏で支配して来た権力者(石油資本、ユダヤ金融資本、軍産複合体など)が衰退。
➪米国が、真っ当な国民と陰の権力の間で内紛状態。
➪石油価格下落等で大打撃を受けた陰の権力側(世界統一支配の一大構想のもと、各種の自作自演テロで勢力を維持拡大してきた悪者グループ)が
真っ当な国民側(正義を重んじるグループ)に次第に追い込まれつつある。
●支那の覇権国家への野望のエスカレート
➪支那が、いよいよ覇権国家となる意志を剥き出しにして来た。(南シナ海、東シナ海、新シルクロード構想、AIIB)
そんな中、日本と言う国は今後どうなるのか。
2016年は、最早、昨年までの様な平和ボケしていられる状況ではなくなる事が、十分予想される。
他国と協力しながらも、自国は自国で守ると言う、戦前70年間(明治維新〜大東亜戦争)の時の至極当たり前の国家に戻る必要があると思う。
そのためには、まずは、
・GHQ占領政策による洗脳(自虐史観、軍隊は悪、禁断の憲法変更)と、
・マスコミの偏向操作による洗脳
から平和ボケしてしまった日本国民の意識変革が必要であり、
時代から完全に取り残され陳腐化した日本国憲法を適切な憲法に改正する必要がある。
問題意識は以下。
(1)原発の速やかな再稼働
・米国の陰の権力が起こした自作自演テロの人工地震(3.11東北大震災)、
・福島原発爆発事故(実際は小型核兵器を使って捏造された事件。実働部隊は日本の全原発の管理を一手に引き受けているイスラエルの会社・マグナBSP社)、
・無駄な除染作業(請負先は米国原子力資本の巨大ゼネコン・ベクテル)
と、米国が儲けるための自作自演のオンパレード。
・日本のマスコミや人間を使って、「原発は危険」というプロパガンダを展開。➪日本人はコロッと騙される。
イランとサウジの国交断絶が紛争に発展すると、ペルシャ湾やホルムズ海峡が封鎖され、火力発電の燃料である石油、天然ガスが日本に入らなくなる可能性あり。
そうなると、日本の産業には大打撃と言うか日本国の死活問題(日本沈没レベルの話)。原油の輸入先の40%はイラン+サウジアラビアらしい。
(2)憲法の改正
・軍隊の保持(自衛隊への交戦権、ポジティブリストからネガティブリストへ。(「やって良い事の一覧以外は駄目」から「やっては駄目な一覧以外は全てOK」へ)
・軍事費の拡大。場合に依っては抑止力としての核の保有を視野に。
(3)国家情報機関の速やかな創設
・現代の戦争は情報戦が大部分。米国CIA、ソ連KGBと同様の諜報、国家として横串の統一情報統制機関が必須である。
・それと、国外への情報発信局も重要課題。
捏造された「南京大虐殺」や「従軍慰安婦問題」で日本国の尊厳がいたく傷つけられている現状は、日本に情報戦を実行する組織が無いから。
外務省が、あれほど無能で腰抜けなのも、国家情報機関がないから。
横串の情報統制がキチンと行われていれば、外務省が、あんなに無様な「自国の尊厳を自分の手で貶める様な行為」をすることは無かった筈である。
(4)インフラ整備
・インフラの整備は、国家として最重要テーマの一つ。
➪「コンクリートから人へ」とか、「通るのは車の数より熊の数の方が多い様な道路を造る必要があるのか」と行ったプロパガンダに乗せられて、
公共投資予算をどんどん削ってきた日本。
➪インフラの不足・老朽化対策不備だけではなく、建設業界の縮小にまで至り、
いざという時に、人手不足で太刀打ち出来ない状況に陥っている。
・災害安全保障、国防安全保障の強化、
・インフラの充実による生産性向上と、
・人手不足解消
➪人口減少問題対策。
➪一人当たりの生産性が向上すれば、人口が減っても需要に対応出来る
➪GDP拡大など、インフラ整備は重要なテーマであり、目先の事だけを考えて投資を削っていては将来の日本は危ない。
(5)国会議員定数の倍増
➪「今のままでは日本は経済破綻する」という財務省のプロパガンダに乗せられ、国会議員定数削減を進めようとしている日本。
・日本のことを真剣に考えるなら、全く真逆の政策である。日本の国会議員数は他の主要国と較べても最低レベルらしい。
➪現実の問題として、各種の立法(法律作成、改正)にパワーが着いて行かず、中身を深く理解することも出来ずに法案を成立させてしまっているのが現実。
➪昨年成立してしまった農業関連の法律(米国商工会議所の言いなりに作らされた法律)も、日本にとってはとても危険な内容を含んでいることに国会議員は気づいていない。
➪これから締結しようとしているTPPなどは、国内法の上位に位置づけられる条項(ISD条項)が含まれており、日本の国家主権を米国に渡してしまう危険性すらある。
➪日本の畜産業は壊滅状態になるのは必至だろうし、
➪世界に誇れる日本の国民皆保険制度も壊されて、
米国の現在(オバマケアによる医療問題、国民の貧困化、二極化)と同じ医療破産国民が大量に出る可能性も大である。
それなのに、膨大な英文(厚さが1m以上)の協定文書(難解な法律文書)を全国会議員が翻訳して全て理解して議論して結論を出すことなど到底出来るとは思えない。
これらの基本的な問題を解決するのは、国会議員定数の倍増〜4倍増と国が費用を持つ秘書の数の倍増〜4倍増を真剣に考える必要がある。
歳費の増大など、日本国家の損失に比べたら無視できる額である。
(6)農業政策の強化
➪食料安全保障の強化。
日本の農業保護(補助金)は世界の中でも最低クラス。「農業はビジネス」という間違った発想を早く捨てないと、
国民の食料が外国に牛耳られることになり、亡国の一途を辿ることになる。
とまあ、新年なので、色々と大きな話ばかりぶち上げてみたが、所詮は一庶民の私には、実際の所は分からないので、上の話は、ここまでにし、本題である自分の話(正月帰省)に切り替える(笑)。
【2024/5/15追記】
上記は、國體ワンワールド史観を知らない時期に書いたものなので、まあ、好き放題書いてますナァ(笑)。
「世界を裏で支配して来た権力者(石油資本、ユダヤ金融資本、軍産複合体など)」なんて事も、2016年初には書いてあるが、更にその上に、國體勢力がいて、世界を動かしていたんだと考えれば、また、違った発想が出てくるのかも。
まあ、國體が何をやったのかも、やった意図(狙い)も、私には想像も着かないが、
第二次世界大戦を起こさせたのも、原爆を落として日本を敗戦国にしたのも、米ソ冷戦構造を起こさせたのも、その後に、日本にも支那に経済協力させて支那を「世界の工場」に育てて、それにより支那を台頭させ始めたのも、現在、米国一極覇権体制から、多極化に変更しようとしているのも、BRICSを興させて、米欧中心からBRICS側に覇権を移そうとしているのかもしれない事も、その移行の促進の為に、ウクライナ紛争を起こさせて、米国がロシアへの制裁を欧州諸国に強要する事で、ロシアからの天然ガスが欧州に入らない状況を作ることにより、わざと米国と欧州の間にヒビを入れたのかも知れない事も、私には全く真相が分からないが、とにかく、國體勢力が独自の長期計画をベースに、陰からコントロールしてるんでしょう。
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今回の帰省は、最初は車での移動を予定していたのだが、長男が、それだけは止めてくれと言うので、「老いては子に従え」と言う諺(ことわざ)にならって、新幹線で帰ることにした。
■12月28日(月)
9:48の「ひかり」に乗って三島を出発し、名古屋で「のぞみ」に乗り換えて博多へ。
新幹線も速くなったもので、弁当を食べながらビールとワインを飲みつつ、ウトウトとしている間に、山口県に入っていた。
博多駅に着いたのは14:39。僅か4時間51分である。
ここから実家までは、福岡市営地下鉄を乗り継いで1時間足らず。
夕食は、行きつけの寿司屋「志のぶ」から出前を取った。
暫くぶりに、母とカミさんの3人で話をしていると、近くの小学校で教師をしている甥が、仕事納めを終えた帰りに、おばあちゃんの家に立ち寄ってくれた。
出前を追加して夕食を一緒に取ることにし、久々に甥とも話をすることが出来た。
■12月29日(火)
この日は、母がデイサービスに通う日。
お迎えのバスで出かける母を見送ったあと、夫婦で天神(福岡市の中心街)に出て買い物をしてきた。
まずは、天神地下街にある元祖辛子めんたいの店「ふくや」で、三島へのお土産を配送注文したあと、三越でカステラを配送注文。
福砂屋(ふくさや)と松翁軒(しょうおうけん)の両方のカステラを買い求める。
次は、新天町商店街に行き、母から頼まれた日記帳を買い求めたあと、楽しみにしていた博多皿うどんの発祥店「福新楼」へ。
ところが、警固(けご)の国体道路沿いにあった筈の店が見つからず、スマホで調べたところ、近くの別の通りに移転したことが分かった。
昼食のあとは、大丸で、お節料理用のお惣菜と今夜の夕食のお惣菜、オコワを買い込む。お惣菜は「柿安」で買い求めたのだが、この店は、東京駅隣接の大丸の地下に入っていた店であり、現役時代に、新幹線通勤の帰り道で、寄り道して買い物したお惣菜屋さんである。中でも「大海老マヨ」と言うのが美味しくて良く買っていた。勿論、この日も大海老マヨを買い込んだのは言うまでもない。
■12月31日(木)
前日(12/30)は実家でゆっくり過ごし、この日は、近くのスーパーで、年越しそばの材料とブリの刺し身を調達。
夕方から一杯やり始めて、そのまま夕食へと続く。
義兄(姉の旦那様)より、美味しい馬刺しを沢山戴いていたので、馬刺しとブリ刺しで、アルコールが進む。
そのうちに、紅白歌合戦が始まり、年越しそばを戴きながら、紅白を視聴。
途中で入浴を済ませた私は、K1の魔娑斗vs山本KID戦が気になっていたので、隣の部屋に移り、K1を観戦。
チャンネルを回していたら、ボクシングの世界タイトルマッチもやっていたので、チャンネルを操作しながら両方を観戦した。
■1月1日(金)
この日は、義兄の家族が毎年元日に集まる恒例の宴に、我々3人(母と我々夫婦)を加えて戴き、昼前に、天神渡辺通のセントラルホテル福岡へ。
11時半から開始予定になっていたので、朝食は量を控えて、お屠蘇を飲んだあと、半分にしたお餅のお雑煮を戴く。
我が家(実家)は、両親が徳島県の出身であるため、お雑煮は白味噌仕立てであり、具は大根、人参、蒲鉾という質素なお雑煮である。
私は、若い頃には餅を15個くらいは食べていたが、ここ数年は1個である。
ちなみに、餅は、三島の自宅で搗いて持参して来たものである。自宅(三島)では、搗いた餅が、ほぼ1年間冷凍保存されているので、時々雑煮を作るが、味付けは味噌(白味噌ではない)と醤油味(カミさんの郷の味)が半々と言うところである。
まあ、私の頭の中では、お雑煮と思っているのは味噌仕立ての方であり、醤油味の方は、お雑煮という意識はなく、「餅の入ったお吸い物」という感覚である。
九州人は拘りが強いのである(笑)。
ホテルに集まったのは、姉夫婦の家族と、加えて貰っている我々3人を含めて、総勢17名。
中華料理の宴であり、アルコールは、持ち込みOKである。
宴は盛り上がり、私の飲んだ酒も、生ビール、ワイン2種、日本酒、ウィスキー、焼酎と、かなり進んだ。
宴のあとは、タクシーで、姉夫婦の家の近くにあるシダックス(カラオケ)へ。
結構な曲数を歌った様な気がする。これは殆ど覚えていないのだが、焼酎を生で飲んでいたらしい。
という訳で、実家に帰ってからの事を覚えておらず、翌朝起きたら、布団の中であった。
■1月2日(土)
この日は、朝から二日酔いで、冴えない一日であった。以上、おわり(笑)。
■1月3日(日)
前日に行く予定であった初詣に、諸般の事情(笑)で行けなかったため、この日は、朝食を取ったあと、すぐに実家を出て太宰府天満宮へ。
天神から、西鉄電車で太宰府に行くのは、20年近くぶりである。
乗り換え等があるので、2時間弱は掛かると思っていたが、1時間で太宰府に到着。
正月3日の日曜日(殆どの人は、正月休みの最終日)と言うことで、「Uターンのピーク日だから、参拝客は減っているだろう」と読んでいたのだが、甘かった。
参道も、境内も、物凄い人であり、手水舎(てみずや)で手を清めるのにも、長蛇の列が出来ているという始末であった。
お参りして、お札を買って、参道の梅ケ枝餅(うめがえもち)を買ってから、昼食も取らずに、そそくさと天神まで戻って来た。
梅ケ枝餅を太宰府の参道で立ち食いして、余りお腹が空いてなかったので、ランチは取らずに、天神にあるデパート3店(三越、岩田屋、大丸)を回る。
母の靴下と、義父(カミさんの父)の下着の買い物を頼まれていたのである。
下着と言うのは、カシミヤのズボン下(昔の呼び方言うと駱駝の股引(らくだのももひき))であり、以前、東京に行った際にも探したのだが、季節外れということもあって、見つからなかったものである。
最近では、需要が減ったのか、三島の田舎町では、まず売ってない商品である。
最初に行った三越には在庫が無く、仕入業者も正月休みと言うので、後日問い合わせた結果を、連絡して貰うことにした。
次に行ったのは、伊勢丹と合併した岩田屋。
三越よりは庶民的という印象があったので、期待したのだが、「30%カシミヤ混のウール」のLサイズはあったものの、LLサイズが無かった。
最後の望みを掛けたのが、「一番庶民的かな」と思っていた大丸である。
確かに、紳士下着売り場の広さは、3店の中では一番広かった。
三越は、ファッション系衣料は多いものの、「下着売り場は、体裁だけ整えた」と言う感じの、狭い売り場だった。
そして結果は・・・あった。それも、「30%カシミヤ混」と「カシミヤ100%」のLLサイズが、両方とも。
さすが、博多大丸である。
寒がりの義父には、カシミヤ100%の方が良いと思い、値段は倍以上違ったが、そちらを買って帰った。
この日は、夕方5時に、母を頂点とする親族が、七隈にある居酒屋「番屋」に集合する事になっていたので、タクシーで移動。
私は、運動不足解消のため、一足先に実家を出て歩いて番屋へ。
本日の宴は、兄のご招待(費用持ち)である。
ちゃんこ鍋、焼き鳥などの料理が並んだが、鍋に入れた、餃子の皮で包んだミンチ、餅、うどん玉が美味く、ちょっと食べ過ぎてしまった。
アルコールの方は、一昨日の失敗があるので、ほどほどにしておいた。
宴の席で、このブログに投稿してある昔の写真を私のスマホに表示して、回覧して見せたところ、姉の子供の頃の写真が、姉の子供や孫達に超受けて、またまた盛り上がった。
「私の写真だけ掲載して、ズルい」と姉が言っていたので、他の家族の写真も、追々掲載する事とし、昔のアルバムを宅急便で送って、三島の自宅に持って来た。
来年の宴の時には、更に盛り上がりそうである。
■1月4日(月)
朝、義兄より電話があり、車で初詣とドライブに連れて行って戴けることになった。
お昼に迎えに来てくれた姉夫婦と合流し、まずは、釜揚げ博多うどんの名店「牧のうどん」で昼食を取る。福岡大学近くの店舗である。
何時もながら、駐車場も店内も満杯の状態であるが、回転が早いので、さほど待つこともなく、数年ぶりの牧のうどん(ごぼう天)を食べる。
いつもながら、実に美味い。私は、「日本一美味いうどん」だと思っている。腰の無い、プツンと噛み切れる食感、お汁を吸って食べても食べても減らない麺、それを補うヤカンに入ったお汁、丼に大盛りに盛られたネギの山、どれを取っても、やはり牧のうどんは最高である。
さすが、うどん発祥地・福岡のうどんである。どこいらの、噛み切れない餅の様な麺のうどん(これを「腰が強い」と言って喜んでいる人が多いと言うから、私には全く理解できないが)とは大違いである。いやあ、うどんの話になると ついつい力が入ってしまう(笑)。
昼食のあとは、西公園にある光雲(てるも)神社に参詣。
ここからは、博多港が良く見える。
その後は、福岡都市高速道に乗って、福岡市の東部に移動し、博多湾を囲い込む東側の突端である志賀島(しかのしま)へ。
日本史で習った漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)の金印で有名な志賀島である。
天気は、とても良かったのだが、あいにくの、中国から渡ってきたPM2.5で視界不良だったのが残念であった。
一旦、実家まで送って貰ったあと、寿司割烹「志のぶ」で再び姉夫婦と合流し、福岡最後の夜を、美味しい海鮮料理とお酒で楽しんだ。
それにしても、福岡の魚は鮮度が違い、抜群に美味い。
それと、「大トロの鉄火巻き」と言うものを初めて食べたのだが、こんなに美味いものだとは知らなかった。
「鉄火巻き」は、どこの寿司屋でも出て来ると思うが、「大トロの鉄火巻き」を出す店は、本当に少ないと思う。
【2024/5/15追記】
上の49番のお酒は、この時には気づかなかったのだが、我が家で今でも福岡(八女市)から取り寄せて飲んでいる「繁桝(しげます)」だと言う事に、何年か後にこの店を訪れた時に気づいたのである。「志のぶ」の文字の左に見えるロゴマークが、繁桝のロゴマークと同じだったので、お店の人に聞いたら、八女の高橋商店(蔵元)から取り寄せている事が分かったのである。
我が家で飲んでいる「繁桝の写真」は以下。
■1月5日(火)
朝から、ダンボールに荷物を詰めて帰り支度。
09:15に家を出てデイサービスに行く母に合わせて、我々夫婦も、一緒に実家を出る予定である。
ところが、宅急便荷物の受付を当てにしていた斜め向かいの酒屋さん「茶山(サザン)」が、なかなか開かず、ネットで調べたところ、開店時刻が10:00だと分かった。
それだと、新幹線の時間に間に合わないため、ダメ元で電話して、早めに受け付けて貰えないか交渉した結果、9時前に受けてくれることになった。
ちなみに、この酒屋さんは、オーナーが私の高校(福岡県立城南高等学校)の先輩(1期生)であり、全国的に人気の高い人夢可酒(ひとむかし)という麦焼酎の発売元でもある。この店から、全国に発送しているんだとか。
10時に博多駅に着き、「お土産エリア」にある何時もの寿司弁当屋さんで、巻き寿司を何種類か調達したあと、ホームへ。
実は、1ヶ月前に三島駅で指定席特急券を購入した際に、座席については、特に言わなかったのだが、往路の指定席特急券を購入した際には、何も言わなくても、大人二人分の購入と言うことで、2人席(座席記号D,Eの席)を取ってくれたのに、復路の指定席購入時には3人席(座席記号A,B,CのうちのA,B)を割当てられてしまったのである。
座席指定券販売開始時刻である1ヶ月前の10:00に、待ち行列の先頭で購入したし、Uターンのピークを過ぎた平日の1月5日の指定席であるから、2人席(座席記号D,Eの席)が満席の筈が無いのだが、新人の駅員だったのか、気が効かず、3人席を買わされてしまった。
しかも、博多駅を出る時点から、私達の席の周りには空席が沢山あるのに、我々の隣のc席には乗客がおり、乗り換える名古屋駅までずっと3人で座った状態であった。
次からは、必ず、「2人席」と明言してから指定席を取って貰うことにせねばと肝に銘じた次第である。
本来なら、駅員が気を使わなくても、JR新幹線の座席指定券発行システムの方で、二人の場合は、自動的に2人席から優先的に割り当てる様にプログラミングすべきであると思う。
という訳で、今回の正月帰省は、新幹線での楽ちん移動、福岡での3度の宴と、美味しいものの飲み食いで充実した旅であった。
次回の帰省は、多分、半年後の6月になると思う。