2014盆帰省

2014盆帰省

2014年08月09日(土)〜08月18日(月)

 今年も旧盆に福岡に帰ってきた。今年の旧盆は三が日と週末の土日が連続するため、世の中は5連休のところが多くなる。車で移動する我々としては、帰省のピークを避けたいので、その分 帰省期間が長くなる。と言う事で今年の盆帰省は、8月9日(土)の夜から8月18日(月)の午前中に掛けての10泊11日となった。

■往路(8月9日夜〜8月10日朝) 嵐(台風)
 夕方の5時半、車で三島の自宅を出発した夫婦は、まずはJR三島駅へ。もっと早く三島に帰ってくると予想していた長女が出発間際になったため、三島駅で拾ってそのまま九州に向かうことにしたのである。
 伊豆縦貫道から東名高速道に乗り西へ。運転の快適さを考えるなら新東名の方が良いのだが、今回は浜松西ICで途中下車して次男のアパートに寄る必要があったので東名高速にした。なお、転職して新しい仕事を始めたばかりの長男は、休みなしで頑張っているため今回の帰省には参加せず。
 浜松で次男を拾ったあと、再び浜松西ICより東名高速に乗り九州を目指す。今年の帰省(往路)は、ピーク(金曜夜〜土曜日中)を避けるために出発を土曜の夜と決めたのだが、これが裏目に出て、大型の台風11号の日本縦断進路に向かって走ることとなってしまった。とにかく台風より先に縦断進路の西側に抜けてしまいたかったので、今回は途中での仮眠は諦めていた。静岡県内では穏やかな天気だったが、愛知県に入ると風雨が強くなり、懸念はしていたが予定コースである東名阪自動車道が早々と通行止めになってしまったため、やむなく昔のコースである名神高速道を走ることに。多賀SA(滋賀県)でトイレ休憩したあと、関西を走る頃には一旦風雨が収まったので縦断進路を抜けたかと思ったのだが、龍野西SA(兵庫県)で運転をカミサンに代わったあと岡山県の手前に差し掛かった辺りで再び雨と風が強くなった。それでも広島県に入ると風雨が収まったので、今度こそ縦断進路を抜けたと思い宮島SAで仮眠を取ることにした。眠る前に鳥居の記念写真を撮ったのだが、車に戻って来る頃には再び風が強くなって来たため、仮眠は中止し先を急ぐことにした。しばらく走り下松(くだまつ)SA(山口県)まで到達したところで今度こそ縦断進路の西に抜けた様である。小腹が空いたのでラーメンを食べてから出発。運転はカミサンである。下関で運転を交替することにしていたのだが、助手席で眠りから覚めると、車はもう関門橋を越えて福岡県を走っていた。
 九州自動車道太宰府ICを下りたところでカミサンから運転を代わる。目指すは父の墓である。盆帰省の際には、実家に行く前に先に墓に寄って草むしりするのがここ数年の習慣になっているのである。新しい車での帰省は初であり、カーナビの目的地に墓地を未だ登録してなかったので、携帯の地図ソフトを見ながら現地に無事到着。福岡市西部の山の中腹にある墓地である。小雨が降っていたが、傘を差して草むしりを始める。
 墓地をあとに、実家に到着したのは朝の8時頃であった。

■天神買い物/大学同窓会(8月11日) 晴れ
 昼食のあと、三島へのお土産を買いに夫婦で天神に出掛ける。お土産はいつも決まっていて、天神地下街にある「ふくや」で辛子明太を、福岡三越で福紗屋のカステラを宅急便で送って貰う。到着日は、これも三島に帰還する日の翌日と決まっている。
 買い物のあとは自由時間。今回は寄ってみたい店があった。私はフェイスブック(FB)で福岡のグループにもメンバ登録しているのだが、そのグループ内で紹介されていた甘味処に是非行きたいと思っていたのである。それは福岡三越の6階にある「古蓮(これん)」と言う店。ここのミルク金時の写真をFBで見て、どうしても食べてみたいと思った次第である。店内は殆ど女性客で満席に近かったが、1席だけ空きがあった。私が注文したのは勿論ミルク金時、カミサンは抹茶白玉ぜんざいである。どちらも実に美味かった。
 天神でカミサンと別れ博多駅に向かう。今夜は35年振りに大学のクラスメイトと会って飲むことになっているのである。博多駅への経路は地下鉄で行くのが一番楽であるが、この日は集合時刻まで時間がたっぷりあったので、福岡の街の変わり様を肌で感じるべく歩いて行くことにした。距離的には大したことはない。天神から国体道路を東に進み、キャナルシティー博多の先で右折すれば突き当たりが博多駅である。歩いて行くうちに那珂川に差し掛かった。那珂川は福岡市の中心部を流れる川であるが、全国的には那珂川と言う川の名前よりも、川の中にで来た中洲の方が圧倒的に有名である。町の名前はそのものズバリ「中洲」である。福岡の歓楽街、川沿いに屋台が並ぶ街である。大きな中洲があるため、那珂川は中洲の東側と西側に分岐して、まるで別の川の如く流れている。それにしても今回驚いたのは、東側の川が全く濁ることなく透き通っていたことである。私が子供の頃の那珂川と言えば、黒く濁った川であったが、半世紀のうちにここまで浄化された様である。
 やがて数年前にリニューアルされたJR博多駅ビルに到着。まずは筑紫口のヨドバシカメラへ。昨年、兄よりプレゼントされた腕時計が、スリムになったせいか(いや気のせい)少し緩くなったのでベルトの長さ調節をして貰うためである。
 ヨドバシカメラで時間調整のために各階を散策したあと、同窓会の店に向かった。筑紫口側にある「海風土(しーふうど)」と言う海鮮料理の店である。今回の集まりは35年振りであるが、キッカケはFBである。参加者6名のうち半数の3名がFB友達としてFBを介して日頃から情報交換しており、そこで今回の集まりの話が持ち上がったのである。クラスメイトと言うのは九州大学理学部数学科の1977年卒業生である。当時のクラスは約40名だったので、15%が参加したことになる。場所の設営は、福岡在住と言う事で九大教授のH君が引き受けてくれた。ただし、飲みながら聞いた話によると、実際にはH君が多忙で準備が未着手だったため、大分県在住の高校校長であるI君が、協力者を求める様にH君にアドバイスし、同じく福岡在住の福岡大学教授S君に協力して貰ったらしい。参加者の残り3名は、滋賀県草津市在住のIBMに勤めるH君、横浜市在住の元IBMでリタイヤしたO君、三島市在住の私である。6人中、リタイヤしているのはO君と私の二人。校長のI君は来年3月が定年、両H君は65歳定年、S君は70歳定年だそうである。話はすぐに大学時代にタイムスリップし、楽しいひと時を過ごすことが出来た。これからは定期的に集まろうと言う話がまとまり、I君が取りまとめ役を買って出てくれた。

■お盆の準備(8月12日) 晴れ
 午前中に玄関の提灯と仏壇の両側に置く提灯を組み立てる。これは毎年、私の役目である。その他に床の間の掛け軸もお盆用に替えるのだが、今年は前日に済ませていた。仏壇の飾り付けはカミサンと母の仕事である。
 家の中の準備は朝のうちに済み、母はこの日は一日デイサービスに行く日なので、4人で母が迎えの車で出発するのを見送る。いつもは見送る人がいないが、この日は4人がズラリと並んで見送ったので、照れくさそうな母であった。
 10時過ぎに実家を出て、家族4人で天神へ。お盆の準備の買い物と子供の買い物が目的である。連日の天神詣でであるが、市営地下鉄七隈線が開通してからは、僅か15分で天神に出られるので気軽に出掛けられる様になった。
 次男の買い物は、来年から社会人と言うことで岩田屋で靴を1足購入。長女は気に入る服やバッグがなく買い物は見送り。ランチは結局いつもの様にソラリアステージで取り、子供達は先に実家に帰って行った。あとは夫婦でお盆のお供え物の買い物である。大丸の地下で果物を買ってから帰宅した。

■迎え火(8月13日) 晴れ
 この日のお昼は、車で「牧のうどん」を食べに行くことにした。以前は毎年帰ってくると牧のうどんを食べていたのだが、ここ数年は時間がなくて食べに行けてなかったので久しぶりのことである。実家から一番近いのは福大の近くにある店舗。12時前に行ったにも関わらず、相変わらずの繁盛で満席であった。少し待ってから席に着き、私はごぼう天うどんを注文。博多のうどんは、讃岐うどんとは対照的に腰が無いのが特徴である。まあ、私に言わせれば、プツンと噛みきれる食感がうどんの醍醐味であり、餅の様に噛んでも噛みきれない(これを腰が強いと言うのだそうだが)讃岐うどんの何処が美味いのか全く理解できない。牧のうどんは時間が経つと麺が汁を吸って膨れる。だから食べても食べても減らない様な感覚になる。店の方も麺が汁を吸うことを想定して各テーブルに汁の入ったヤカンを置いている。ツユの追加は自由と言うことである。ツユを吸う麺が美味いんだと言う事を堂々と宣言している訳である。恐らく、讃岐うどん派の人達は「延びた麺」と言って受け入れないのだろうが、この美味さが分からない人はそれで良い。
 夕方には兄の家族が実家に来て、いつもの様にみんなで迎え火を焚いて仏様を迎えた。

■親族の宴(8月14日) 雨
 毎年、旧盆と正月には母を頂点とする親族が集まり宴を催す。曾孫まで含めて4代の親族が集結する。今回は18名が集まった。以前は実家に集まっていたのだが、大人数の料理の準備と後片付けが大変なので今年の正月からは居酒屋で行うことにした。福大近くの「番屋」という居酒屋である。
 この日は、午後2時半に菩提寺である東長寺からお坊さんが読経に来られることになっていたので、午前中から義姉と姉が実家に来てくれることになっていた。そこで、お昼はお弁当とパンでも買って来て摘まむことにし、7人で食べるのには十分な量の食べ物を午前中に近くの店で調達して来た。ところが、義姉、姉ともに同じ事を考えて大量の食べ物を買って持参して来たため、実家のテーブルは食べ物の山になってしまった。その上、午後には姪がクリスピードーナツを持って到着したため、食べ物はさらに増加。夜には宴でご馳走が出るし、せっかくウォーキングで締まってきた身体が、益々、膨らんでくること必至の状況となった。まあ、世の中、豊になったと言うことだろう。感謝々々。ちなみに、残ったパンやお握り、ケーキを完食するのに、このあと数日を要した。
 雨のためか予定時刻を少し遅れてお坊さんが到着。雨の中の檀家回りも、さぞかし大変なことだろう。お経の中に般若心経も一度だけ出て来たので、どのくらい覚えているかと思い、声は出さないがお坊さんの読経に合わせて口ずさんでみた。般若心経は中学2年の時に覚えた。その年に母方の祖父が亡くなったのだが、初七日から四十九日まで毎週集まってご詠歌と般若心経を7回ずつ唱えたので7日×7回=49回唱えた訳で、さすがに耳で覚えてしまったのである。今回、久しぶりに口ずさんでみたが、45年の歳月は長く やはり所々の記憶が曖昧になっていた。
 夕方の5時から、親族が「番屋」に集まり宴の開始。やはり福岡の魚は新鮮で美味い。それに福岡の焼き鳥も美味い。福岡の焼き鳥は塩であり関東の様な甘ったるいタレは使わない。また、焼き鳥と言いながら豚バラを使った串焼きが美味い。それに焼き鳥の盛り皿には必ず生キャベツが敷いてありドレッシングが掛かっている。関東では味わえない焼き鳥である。この店は料理が美味しい上に、儲けをちゃんと取っているのかと心配になるくらい安い。そして締めに出て来たのがシュー生地で包んだアイスクリームである。いやあ参った。食べきれない料理は折りに詰めて持ち帰った。本当に良心的な大満足の店である。

送り火(8月15日) 雨
 この日は静かな一日であった。実家でゆっくりと過ごす。次男は翌朝に新幹線で浜松に帰ることになっていたが、長女も一緒に帰ると言い出したので、子供達にとっては福岡最後の日である。
 夕方にまた兄の家族が実家に揃い、送り火を焚いて仏様を送り出した。これでお盆の行事は全て終了である。
 正月は、ここのところ母、兄家族、ウチの家族で一緒に旅行するのが習慣になっていたが、今年の正月は我が家の車が事故による廃車で無かったこともあり、3家族合同の旅行はしなかった。そこで来年の正月のことを兄夫婦を交えて相談した結果、正月旅行を復活させることになった。当初は雲仙温泉と言う案が出ていたが、雪が降った場合に車で登りたくないという懸念があり却下。色々と話した結果、福岡の方から伊豆まで出て来ても良いということになり、私がホテルを手配することになった。正月の予約開始は多分9月以降になると思うので、それまでに旅行計画を練らなければならない。兄が富士山をまともに見たことが無いと言っていたらしいので、それも頭の片隅に置きながら考えたいと思う。

■高校同窓会(8月16日) 曇、ときどき、小雨
 この日は、夜に高校の同期生が何人か集まって盃を交わすことになっていた。私が夕食を一緒に食べないので、夕食はどうしようかと母とカミサンが相談した結果、久しぶりに兄の家に行ってご馳走になろうと言うことにした様である。最終的には、兄夫婦、姉夫婦と合同で外食することに落ち着いたそうだが。
 同窓会は、天神から少し南に位置する渡辺通りホテルニューオータニ博多で18:30から開かれる予定であったが、福岡の街を一人歩きをする良い機会なので、早めに実家を出て懐かしい場所を歩いて周ることにした。14時に実家を出発し、まずは母校の高校へ。実家からは徒歩5分の距離である。数年前に建て替えられた母校・福岡県立城南高等学校は、私の時代には運動場であったエリアに新校舎が建ち、昔の校舎エリアが運動場になっていた。それに伴い正門も南端に移動された。考慮されたのかどうかは知らないが、結果的に市営地下鉄・茶山駅からの通学が便利になった。
 続いて、母校の中学・福岡市立城南中学校へ。城南高校の少し北にある。この中学校には、ソフトバンク孫正義会長や女優の水野美紀さんも一時期通っていたそうである。ちなみに「城南」という名前は今や福岡市の7区のうちの一つになっているが、元々、福岡市に城南という地名は無かった。最初に城南と言う名前が使われたのは、この城南中学校が最初である。そして城南中学校は決して城の南では無かった。ここで城というのは勿論、黒田官兵衛でお馴染みの福岡城のことである。城南中学校の名前の由来であるが、実は福岡市の西部に城西中学校という中学校があり、文字通り福岡城の西に位置する学校であった。ところが、ここの生徒数が増えたために昭和36年に分校が出来ることになり、その分校の位置が城西中の南であったために城南中学校と名付けられたのである。その後、城南中の南に城南高校が新設され、さらに中学と高校の間に城南小学校が出来て三つの城南が誕生した訳である。1972年に福岡市は政令都市となり区制となったが、その後の区再編により当初の西区が3分割され、その一つが城南区になり、ここでようやく地名としての城南が誕生したのである。
 城南中学をあとに、国道202号線と国道263号線が交差する荒江四つ角を経由して昭代町まで歩を進める。ここには昔、国鉄筑肥線が走っていたのだが、1983年に博多〜姪浜(めいのはま)間が廃止となり線路が道路に変わった。実は私の生誕の地がここ昭代町である。母方の祖父の家がここにあり、小さい頃は筑肥線沿いの家に住んでいた。十年振りくらいで生誕の地にやって来たが、祖父の家があった場所は駐車場に変わっており、建物としては建て増ししていた2階部分と、後に祖父母の隠居所として建てた離れだけが残っていた。今は母方の従兄の所有地になっている。そこから緩やかに延びる上り坂の先に祖原公園がある。幼少の頃には毎日の様に遊んでいた公園である。さらに公園から続く登り階段を進むと麁原山(そはらやま)の頂上に出る。頂上には、昔はテラスの様な建造物があり、桜の時期にはそこで花見の宴が催されていたものだが、今回行ったところ更地の広場になっていた。また、昔は四方の眺望が開けていたのだが、木々が伸びたのか北側以外は景色が全く見えなくなっていたのが残念であった。
 麁原山を下りて次の訪問地である高取幼稚園・高取小学校に向かう。麁原山からは5分程度の距離である。この幼稚園と小学校はどちらも福岡市立であり、私が通っていた頃は小学校の校長が幼稚園の園長を兼任していた。今回、四十数年振りに行ってみたところ、幼稚園の建物が数倍に巨大化していた。幼稚園がここまで大きくなる例は珍しいと思うが、もしかしたら、福岡市立と言う事で人口増加に伴い市の予算が付いて徐々に肥大化していったのかもしれない。高取幼稚園は2年間、高取小学校は入学から2年の2学期まで通った。
 次の訪問地は中央区六本松にある九州大学教養部跡地である。昭代町からは少し距離があるし小雨が落ちてきたのでバスで移動。九州大学のキャンパスは、私が通っていた頃は、六本松(教養部)、馬出(医学部、歯学部、薬学部)、箱崎(それ以外の学部)の3地点に分かれていたが、現在は福岡市西区の伊都キャンパスに大部分が移転している。当時の六本松キャンパスは教養部であり、入学後の最初の1年半は学部に関係なく全学生が六本松の教養部に通った(医学部は2年間だったかもしれない)。ここで所定の教養課程の単位を取得しないと学部には進級できず留年となっていた。移転後もこれまでは建物が残っていたと思ったが、FBに投稿された記事で更地になってしまったことを知り、現地を見に行くことにしたのである。現地は完全な更地になっており、新しいアスファルト道路が出来ていた。西側の一角だけは「六本松公園」としてオープンしていたが、それ以外はこれからの再開発となる。ちなみに、大通り側(北側)には複合商業施設ができ、奥側は弁護士会館など司法関係のエリアになることが決まっているそうである。
 教養部跡地をあとに、大濠公園に向かう。教養部時代にはバドミントン部に入っていたが、練習前のランニングで教養部→大濠公園→西公園→大濠公園周回→教養部というコースを良く走っていたものである。10キロ近くはあると思うが良く走っていたものである。六本松から大濠公園に抜ける道の途中に、福岡大学附属大濠高等学校がある。スポーツ競技が強い高校であった。今回前を通ってみたところ、巨大な基地かと思う様な建物群に変身していた。生徒数も大幅に増えたのだろう。やがて大濠公園に到着。公園の周りの歩行者用道路や施設は昔とは変わったものの、濠は昔のままである。ゆっくり歩いて濠を一周し中の島も歩いて来た。市民の憩いの場、癒される公園である。
 大濠公園をあとに天神に向かって歩く。この道は、昔は国道202号線であったが今ではバイパスだった方が202号線になり、こちらは明治通りという名前になっている。以前はこの道に西鉄路面電車の市内幹線が走っていたが、今は道の下に地下鉄が走っている。しばらく歩くと右手に福岡城のお堀が見え、その先には福岡城趾の潮見櫓(やぐら)が見えて来る。通り過ぎても良かったのだが、ちょうどNHK大河ドラマ黒田官兵衛をやっているので、立ち寄ることにした。考えて見たら、福岡に生まれながら潮見櫓のところに足を踏み入れるのは初めてである。福岡城趾としては、堀、石垣とこの潮見櫓、下之橋御門が残っている主なものである。福岡城には元々天守閣は造られなかったという話であったが、最近になって、徳川への忠誠心を表すために天守閣を壊したという記録が見つかったらしく、現時点では真実がどれかは分かっていないらしい。
 さらに明治通りを東に進むと大名町に入る。最近、天神西通り、さらに西通りから西に伸びる道が若者が集まるエリアになっていたが、まだ歩いたことが無かったので様子を見に歩いてみることにした。大名町側から東に向かって歩いたので最初は何の変哲も無い普通の道の様であったが、次第に道の両側に若者が好みそうなレストランやブティックが並び始め、道の向こう側(天神側)から若者が続々と流れ込んで来るのが目に入った。この道は天神西通りに突き当たり、岩田屋デパートの前に出る。
 そろそろ6時近くになったので、渡辺通りの同窓会会場を目指す。傘を差すほどではないが少し雨足が強くなってきた。会場はホテルの地下1階にある「和多半」というお店であった。参加者の中の一人が同じビルに同居する会社に勤めているらしく、店と交渉してコース料理を安くして貰ったらしい。集まったのは10人、日頃から時々会っている福岡在住の同級生。私は福岡在住ではないが、昨年暮れにこの中の3人と再会して飲んだご縁で今回誘って戴いた。何を話したのか良くは覚えていないが、飲み放題コ−スの2時間があっと言う間に過ぎてお開きとなり、そのあと6人でカラオケに行って来た。

■復路(8月17日〜8月18日) 晴れ
 いよいよ三島に戻る日。昼間は実家でゆっくりと過ごし、昼寝もして夜の運転に備える。夕食を済ませたあと、20:10に実家を出発。堤ICから福岡都市高速に乗ると沼津までは高速道路の上である。太宰府ICから九州自動車道に入り、古賀SAに寄ってお土産を買う。あとはひたすら走るのみである。関門大橋を渡り中国自動車道に入ると、いつもの事ながら高速道としては急なカーブが続く。夜間に時速120㎞でこのカーブを走る時はやはり手に汗を握る。山口JCTで中国自動車道から山陽自動車道に分岐すると、ようやくカーブが緩やかになるのでホッとする。宮島SA(広島県)までは私が運転し、龍野西SA(兵庫県)までカミサンが運転。小腹が空いたので蕎麦を食べ、給油してから運転再開。幸いなことにスピードダウンする様な渋滞は全くなかったので、いつもの渋滞ポイントである宝塚をすんなり抜け、吹田JCTで名神高速道に分岐。京都の大山崎JCTで京滋バイパスに分岐すると交通量がガクンと減り快適なドライブとなる。ただし、カーブは少しきつくなるが。瀬田東ICで再び名神高速道に合流し暫く進むと草津JCTである。ここから東名阪自動車道に分岐すると、道幅の広い快適なドライブとなる。この道が開通するまでは名神高速を名古屋まで走らなければならず、途中の彦根関ヶ原、大垣、一宮、名古屋と言った渋滞ポイントを抜けなければならなかったのだが、東名阪が開通してからは渋滞ポイントは亀山、四日市の2箇所だけになり随分と楽になった。土山SA(滋賀県)でトイレ休憩したあと、運転をカミサンに交替して貰い先を急ぐ。助手席で少し眠ったが、気がついたら伊勢湾岸道から東名高速へと進んでいた。そのあともカミサンが頑張って三ヶ日JCTから新東名に入り掛川PAまで運転したので、ここで運転を代わる。もう夜が明けて明るくなっている。既に静岡県内に入っているので地元みたいなものである。長泉沼津ICで高速を下り、カミサンの実家に寄ってお土産を渡したあと自宅に帰還したのは朝の8時過ぎであった。この日は時差ボケと同じ様な状態であり、時間の感覚が狂ってしまった。

 さて、次の帰省は本来なら正月であるが、来年の正月は福岡の方から静岡にやってくることになったので、来年の6月(身内の会社の株主総会)、8月(盆帰省)である。6月は夫婦二人なので何時ものように交通機関で帰省するし、8月の盆帰省の時には子供3人が全員社会人になっているので、帰省するとしても各々が別行動になると思われ、夫婦二人なら費用的には車と交通機関ではトントンなので楽な交通機関を選択することになる。どうやら今後は車での帰省は減って行きそうである。

 今回の帰省ではデジタル一眼レフカメラを持って行かなかったので、写真はすべてiphoneのカメラで撮影したが、結構キレイに写っている。


1 往路 山陽自動車道・宮島SA 


2  


3  


4  


5 宮島SAのお土産 


6 


7 山陽自動車道・下松SAの下松牛骨ラーメン 


8 父の墓 草むしり 


9 福岡三越6階にある甘味処「古蓮」 


10  


11 ミルク金時 


12 抹茶白玉ぜんざい 


13  


14 那珂川(中洲の西側)とキャナルシティー博多 


15 那珂川(中洲の東側)がこんなに澄んでいるとは驚き! 


16  


17 JR博多駅 


18 数学科同窓会の店「海風土(しーふうど)」 博多駅筑紫口


19  


20  


21 左から、H君(九大教授)、I君(大分県高校校長)、H君(IBM)、S君(福大教授)、O君(元IBM)、私(元富士通) 


22 お盆のお供えが完了した仏壇 


23  


24  


25 牧のうどん 


26 いつ来ても満席 


27 入れ放題のネギ 


28 ごぼう天うどん 


29 ヤカンの中は追加自由のツユ 


30 吉野堂の季節限定菓子「ひよこのやきもち(能古島夏みかん)」 


31 買いすぎたランチ 


32 クリスピードーナツの差し入れ 
 

33 七隈の「番屋」にて親族の宴 


34  


35  


36  


37  


38  


39  


40  


41  


42 もつ鍋 


43 デザートのアイスクリーム 


44 珍しい金魚 野芥の兄邸にて 


45 折り紙作品 野芥の兄邸にて 


46 折り紙作品 野芥の兄邸にて 


47 グァムのお土産 


48 飯倉の「ふく」にて 刺身 


49 飯倉の「ふく」にて 鯨さえずり(舌部分) 


50 福岡県立城南高等学校 正門 


51 城南高校の旧正門 


52 城南高校の正門 1979年当時


53 福岡市立城南中学校 


54 城南中 正門 


55 城南中学の正門 1979年当時


56 荒江四角 


57 荒江四角 12月の朝日国際マラソンのコースにもなっている国道202号線 


58 昔の荒江踏切 今は道路になっているが、昔は国鉄筑肥線の線路が横断していた。


59 私の生誕の地・昭代町 祖父の家があった場所は駐車場に様変わり 


60 祖父母が隠居していた離れ 


61 祖原公園への坂道 


62 祖原公園 


63 祖原公園 1979年当時


64 祖原公園から麁原山への登り道 


65 麁原山山頂 


66 元寇跡石碑 


67 元寇跡石碑 1979年当時


68 麁原山から見える福岡タワー 


69 福岡市立高取幼稚園 


70 福岡市立高取小学校 


71 高取小 1979年当時


72 九州大学教養部跡地(六本松) 


73  


74  


75 跡地の一部は六本松公園に 


76  


77  


78 学生時代に通った食堂 


79 ミシュランガイド福岡・佐賀 2014特別版にも載っている人気のうどん屋「うどん日和」 


80 福岡大学附属大濠高等学校 


81 大濠公園 南岸より北方面を望む 


82 大濠公園 南岸より北方面を望む 1979年当時


83 大濠公園 中の島と南岸を繋ぐ橋 


84  


85 大濠公園から見える福岡タワー 


86 大濠公園 中の島  1979年当時


87  


88  


89 大濠公園 観月橋 


90 大濠公園 北岸より南方面を望む 大濠高校(中央)、NHK福岡(左) 


91 大濠公園 観月橋 


92  


93 福岡簡易保険局 


94 大濠公園 福岡簡易保険局 1979年当時


95 大濠公園 浮見堂 


96 大濠公園 浮見堂 


97 大濠公園 浮見堂 1979年当時


98  


99  


100  


101 大濠公園  1979年当時


102 福岡城のお堀 


103 福岡城趾 潮見櫓 


104 福岡城趾 潮見櫓 


105 福岡城趾 下之橋御門 


106 朝日国際マラソンがある平和台陸上競技場 


107 大手門の坂 


108 西通りと大正通りの間にある二つの通りには若者向けの店が並ぶ(明治通り寄り) 


109 西通りと大正通りの間にある二つの通りには若者向けの店が並ぶ(国体道路寄り) 


110 高校の同窓会会場・ホテルニューオータニ博多の地下1階「和多半」 


111 城南高校7期有志の同窓会 


112 復路 東名阪自動車道・土山SA 


113 復路 東名阪自動車道・土山SA 


114 新東名高速道・掛川PA