経済とビジネスの区別が付かないとは、政府は全く情けない!


経済とビジネスの区別が付かないとは、政府は全く情けない!
2015年06月09日(火) 雨 のち くもり
 
東海地方も昨日梅雨入りした。梅雨と関係があるのかどうかは分からないが、ここ数日、我が家の午前中は寒い。以前にこのブログにも書いたことがあるが、我が家の居間は陽が当たらないので気温が余り上がらないのである。コタツは4月に仕舞ったので、もう、寒さ対策(笑)は、毛布を出して来て膝に掛けるしかない。これは冗談ではなく、ここ数日、本当にやっていることである。何しろ、着ているものが服もパジャマも夏バージョンなので、朝方と夜は冷えるのである。
 さて、昨日の三橋貴明さん(経済アナリスト)のブログにとんでもない内容が書かれていたので紹介する。要は、政府は経済(経世済民)とビジネス(民間の利益追求活動)の違いが分かってないと言うことである。しかも、あの自民党総裁選挙にも立候補した、自民党の中では見識が高いと思われていた石破大臣がである。どうしようもない。現在発生中の早稲田通り(東京)の水道管破裂による大水害も、間違いなく社会インフラのメンテナンスを疎かにしてきた公共(政府・官庁、自治体)の失態である。いい加減、デフレ対策とは真逆の緊縮財政を止めて財政出動⇒GDP拡大(=消費拡大)⇒インフレ化を進めて欲しいものである。インフラ整備、安全保障(食料、災害、エネルギー、国際紛争)など国費を使ってやるべきことは満載なのに、財務省に踊らされて訳も分からず緊縮財政に凝り固まっているとは情けない政府である。20年続くデフレ(需要不足)の中で、唯一、公共だけが供給不足(やらねばならない事が満載なのに手を付けない)。しかも、現状の経済状況がすべて絶好の財政出動時期(*1)なのに、財政健全化病に取り憑かれて、行動を起こすどころか、逆に行動を縮小しようとしているのだからどうしようもない。しかも、「財政健全化とは何か」と言う基本的な意味も分からずにである。財政健全化とは政府の支出を縮小することではない。政府の支出を最適化することである。つまり、不要な出費を抑えるのは当たり前だが、必要な出費はその時々の国の経済規模に応じて(本当に緊急的に必要なら時には経済規模を上回っても)適切に行うと言うことである。国の経済規模と言うのはハッキリ言えばGDP(国内総生産)のことである。故に、財政健全化とは、経済規模に関係無くとにかく出費を押さえると言うことではなく、経済規模に応じた出費レベルを逸脱しない様に出費をコントロールすることである。

(*1)    絶好の財政出動時期
デフレにより民間投資が冷え込み、銀行には借り手が無くて資金がダブついている
  ⇒預金者に利息を払うためには資金を金庫に遊ばしておく訳にも行かず、国債でも買って(国にでも貸して)資金運用(利ざや稼ぎ)するしかないが、政府が緊縮財政を継続して国債発行しない(借金しない)ので国債市場が品不足(借り手<貸し手)。超低金利(借金の利子が殆ど0)が続いている。
デフレ(需要不足、供給過多)により企業は投資を抑え、利益を自社株買いや借金返済に充てている。その分だけお金が金融経済(GDPとは関係ないお金の流れ)の方に流れてしまい、実体経済(GDPのベースとなるお金の流れ(生産→支出(消費)→所得と言う流れ)の規模が縮小する(GDPが低下する)。
消費増税の影響で個人の消費も冷え込み、金融経済(貯蓄)の方にお金が流れてしまい、益々、実体経済が落ち込む(GDPが低下する)。
日銀の金融緩和(国債買取)により、実質、政府の借金は毎年50兆円規模で減少している。(日銀は政府の子会社なので、日銀に対しては国債の返済は不要だから)
  ⇒政府の借金は減っている、国債市場は品不足で使われないお金がダブついている、政府はインフラ整備、安全保障など課題満載で資金不足。 ⇒財政出動(国債発行して特別予算計上)の絶好の時期。
日銀の金融緩和(国債買取)により、お金(日本銀行券)は毎年50兆円規模で増刷されているが、デフレにより結局、増えたお金は実体経済ではなく金融経済(株式市場)に流れてしまい、株価だけが上昇するだけで、消費増にはならないのでデフレ脱却には全く効果なし。GDPにも関係無し。


 では、三橋貴明さんのブログを以下に紹介する。
URLは→http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/day-20150608.html
〜〜〜以下、全文引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 日本には「切磋琢磨」という言葉がありますが、これは欧米由来の「競争」という言葉とは、ニュアンスが違うと思います。切磋琢磨とは、
「友人同士が互いに励まし合い競争し合って、共に向上すること」
 といった意味になり、つまりは競争相手が「仲間」であり、相手を潰しても自分が勝つ、あるいは「勝ち負けをはっきりつける」といった意味は含有していません。
 経済学に基づく「市場競争」「自由競争」は、果たして切磋琢磨なのでしょうか。それとも勝ち負けを明確にする「競争」なのでしょうか。間違いなく、後者でしょう。
 同じ土俵(市場)で、同じルールで「競争」し、勝ち負けをはっきりつける。負けた者は、自己責任。
「だって、同じルールで、同じ土俵で『競争』したんだよ。負けた者は、それは自己責任でしょ。本人の努力が足りなかったんだから
 といったレトリックには、なかなか抗いがたいものがあります。
 とはいえ、戦争や大規模自然災害などの非常事態の際には、人間は他の人間の助けを借りなければ、生き延びることができません。「勝ち組」となったにも関わらず、大震災の被災者となってしまった「人間」を助けるのは、負け組となった「人間」かも知れないのです。
 結局、非常事態に互いに助け合わなければ人間は生き延びられない以上、人間は「助け合いの共同体」を構築しなければならないのです。すなわち、国家です。人間は「国民」にならなければ、安定的に、豊かに生きていくことはできません。特に、世界屈指の自然災害大国である「日本国」では。
 無論、共同体が異なるのであれば、国家国民同士が「同じ市場」で競争するという発想は分からないでもありません。もちろん、ユーロのことになりますが、「共通通貨ユーロ」という統一市場で国同士、企業同士、国民同士が競争し、ユーロ圏が綺麗に勝ち組(ドイツなど)と負け組(ギリシャなど)に分かれていったのはご存知の通り。
 そもそも、生産性が大きく異なるドイツとギリシャが「同じルール」で競争し、ギリシャ側に勝ち目はないのです。誰が何と言おうと、この世に「フェアな競争」「公正な競争」「平等な競争」はありません。何しろ、各人、組織の属性や蓄積が異なる以上、勝ち組ははじめから有利な競争となるわけです。
 ついでに書いておきますが、同一条件の競争が成立したとしても、「勝ち組」を「勝ち組」にならしめる最大の要因は、本人の努力よりも「運」であると考えています。まあ、個人的な意見ですが。
 さて、国同士の「競争」ならともかく、世界には「同じ国」の中において、地方・地域同士に「競争」を強い、それが「地方創生」であるなどと寝言を言っている国があります。
 残念なことに、我が国です。
『石破地方創生相:格差「当たり前だ」、地方自治体は競争を
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NIKJY96JTSEB01.html
 石破茂地方創生相はブルームバーグ・ニュースのインタビューで、各自治体に競争原理を導入することが地方活性化に不可欠だとして、結果として格差が生じることも止むを得ないとの認識を示した。
 地方自治体について石破創生相は22日、「競争しろというのか、その通り。そうすると格差がつくではないか、当たり前だ」と述べた。努力した自治体としないところを一緒にすれば「国全体が潰れる」と語った。国の関与は教育や社会福祉などの最低限度の生活水準を維持するナショナルミニマムの保障にとどめるべきだとしている。 (後略)』
 地方自治体同士に競争を強いるなら、せめて「インフラストラクチャー」の面で公正な競争条件を整備するべきです。インフラが整っていない地域が、インフラが充実した地域に勝てるはずはありません。インフラの充実度とは、まさに「生産性」そのものです。
 それにしても、地方創生大臣が「同じ国」の地域について「格差がつくではないか、当たり前だ」と言ってのけるわけですから、凄いです。もはや、国家も何もあったものではありません。
 結局のところ、大東亜戦争敗北後の我が国では国民はもちろんのこと、政治家までもが「国家」の意味を失念していき、それが行き着くところまで行き着いたというのが現実なのだと思います。
 現在の日本国において必要な地方経済再生策は、具体的には、
「インフラの整備と、地方への移転を促進する税制」
 であり、理念的には、
切磋琢磨
 であると確信します。
 この当たり前の事実を理解しない限り、安倍政権の地方創生など巧くいくはずがなく、地域間格差を拡大し(そうする、と石破大臣自身が言っているわです)、人口の東京一極集中を加速し、我が国の存続を脅かす結果を招くでしょう。 
〜〜〜以上、全文引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜