山下さんのお話


山下さんのお話
2012年2月18日(土) 晴れ
更新:2023年9月30日(土)
 
本日は、天気の良い土曜日。自宅でゆっくりと過ごしている。
 
昨夜は、山下さんの講演を聴いて来た。会場が川崎市だったので、三島(静岡県)の自宅に戻ったのは23時近くになってしまった。
当時の富士通では、会社が社員向けに色々な講師を呼んで開いてくれるオープンセミナーという企画があり、私は、今回で4回目の参加であった。
このオープンセミナーは、家族同伴でも参加できるイベントであり、今回の講演会の参加は私だけであったが、カミサンを同伴して参加した講演会もある。
 
山下さんと言うのは、柔道の金メダリスト・山下泰裕さんのことである。
山下さんの、実体験をもとに話される内容、説得力のあるメリハリの効いた大きな声と、時には身振り手振りを交えた説明など、山下さんの講演はこれまでの中で一番面白く、記憶に焼き付いた講演であった。
メモなど取っていないので、記憶に残っている範囲ではあるが、その内容をちょっと紹介しようと思う。
 
「90分間の講演時間、自分のしゃべりたいことを勝手にしゃべります。」と口火を切ってしゃべり出した講演は、まずは、一枚の写真から始まった。
それは、幼稚園時代の園児達の写真である。
「どれが私か分かりますか?」と笑いながら山下さん。沢山の園児達の頭の上に、一人だけ肩から上がニョキっと出ている大男の子が写っている写真である。
この頃の彼は、手が付けられない大変な悪ガキだったそうで、いつも友だちをいじめていたらしい。そして小学校に上がった時に、大問題が発生したとか。それは、いわゆる登校拒否である。
その登校拒否をした生徒に先生が話を聞いたところ、「やっちゃんが恐くて学校に行けない」と言ったそうである。
それを伝え聞いた山下さんのご両親が、このままではいけないと思い、小3の時に始めさせたのが柔道だったらしい。
学校で友達をいじめては叱られていた山下さんにとっては、ルールさえ守れば、相手をやっつけても叱られるどころか褒められる柔道が楽しくて、柔道にのめり込んでいったんだとか。
 
次に映し出された写真は、1枚の表彰状。
ロス五輪で金メダルを獲って故郷の熊本に凱旋した時に、小学校の時の同級生から貰ったものだとか。
表彰状には、

当時の山下さんにいじめられて、本当に困った。
しかし、自分たちの仲間の中から、金メダリストが出たことがとても誇らしく、昔の悪行を帳消しにしても有り余るほどの喜びを与えてくれたことに感謝したい

と言う内容が書かれているのである。今でも、山下さんから何時でも見えるところに飾っている唯一の表彰状だとか。
 
山下さん曰く、

●自分にとって一番大事なのは「今」
●そして次に大事なのが「未来」
「過去」はクソっ食らえ

なのだそうである。
金メダルを獲ったのが27歳で、これをホップとするなら、その後の27年(現在、54歳だとか)がステップ、そして、これからの人生がジャンプなのだそうである。
過去にNHKの特集に出る機会があり、「過去のことは良いから その後のことを取り上げた内容にして下さい」とお願いしたそうだが、出来上がった内容は9割方が過去の栄光についてだったそうである。
そこでNHKにクレームを上げたところ、山下さんの言いたい事を言って貰う場面を最後に追加してくれることになったので、「過去はクソっ食らえ」と言って蹴飛ばす仕草をしたら、それがそのまま放映されたんだとか。
 
学生時代の、その後の山下さんは、熊本の中学から九州学院高校(熊本)へと進み、2年の時に神奈川県の東海大相模高校に移られたそうである。東海大学を一代で築き上げた松前氏が熊本の出身であった縁で、東海大相模に移って来られたそうである。
 
オリンピックに出るチャンスは3回あったらしいが、

●初回のチャンスの時には、大会で敗れて選考から漏れ、
●2回目は代表になったが、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して日本がモスクワ五輪をボイコットしたため、出場できず。
●最後のチャンスだったロス五輪には参加したものの、2開戦で右足ふくらはぎに肉離れを起こし、もうダメかと思いながらも頑張ったところ、最後に勝利の女神が微笑んだらしい。
決勝戦は、山下さんよりも一回り大きなエジプトのラシュワン選手。彼はやる気満々で、早速、足技を掛けに来たので、とっさに足を引いたところ、ワザが空振りになってバランスを崩したのか、ラシュワン選手が勝手に倒れ込んでしまったので、その上に乗って押さえ込んだら勝ってしまった

と山下さん自ら話されていた。勝負とはそういうものなのかも知れない。
 
ロス五輪の後、山下さんは現役引退し、東海大学柔道部の監督として教育者の道を歩き始めたそうであるが、当時の山下さんは、それまで陽の当たるところしか歩いて来なかったので、日陰者の気持ちなど分からず、高校の県大会で連覇して東海大柔道部に進んで来たものの、レベルの違いにどうしようもなく結果を出せないでいた学生がいたのを、やる気がない学生だと決めつけて、口には出さないまでも「やる気が無いなら、やめてしまえ」と言いたい気持ちになり、その学生のことは嫌っていたそうである。
口には出さなくても雰囲気は伝わるものらしく、その学生も、余り山下さんとはうまく行かなかったらしい。
 
そんなある日のこと、当時、伊勢原市(神奈川県)に白血病の治療で定評のある病院があり、地方から白血病患者の息子を連れて伊勢原の病院を訪れた両親が、「手術のためには、何時でも献血に駆け付けてくれる人を確保する必要がある」と病院側に言われ、神奈川県の役所や学校を回って協力を求めたものの断られ困り果てた時に、ふと金メダリストの山下さんが東海大にいることを思い出し、藁をも縋る思いで山下さんのところに1本の電話を掛けてきたらしい。
相談を受けた山下さんは、早速、柔道部の部員に話したところ、「やりましょう」と言うことになり、血液型A型の部員でローテーションを組んで何時でも駆け付けられる体制を作って対応したとのこと。
 
そして手術の結果、息子さんは無事治癒されて田舎に戻ったそうであるが、母親からお礼の手紙が届き、その中に、例の学生のことが書かれてあったそうである。
その学生は、何度も献血に訪れては子供を励まし、来られない時は手紙を書いて励ましてくれたそうである。
それを知った山下さんは、人を一面だけでしか見ることの出来なかった己の傲慢さに気付き、以来、人の見方が変わったそうである。勿論、その学生との接し方も大きく変わり、彼の良い一面を引き出してやれる様な指導の仕方に変わっていったそうである。
山下さんは、「その学生から教えられた」と言っていた。「今日の私があるのは彼のお陰だ」と言っていた。
その学生とは以来、良好な関係が続き、今でも時々顔を見せに来てくれるそうである。
 
教育は英語でeducationと言うが、educateとは、本来、能力を引き出すと言う意味があるそうで、「その人の良いところを引き出してあげるのが教育であると思う様になった」と山下さんは話していた。
 
ちなみに、そんな事があってから10年後、講演会で同じ話をしているうちに、山下さんはある事に気付いて愕然としたそうである。
それは、山下さん自身がA型であったと言うことである。
あの時には、重席にあった自分が、献血ローテーションの一員になることなど考えもしなかったそうであるが、「その事に気付くのに10年も掛かってしまった」と山下さんは悔やんだそうである。
善を為すことに躊躇(ためら)うことなかれ。以来、山下さんはそう思って行動しているそうである。
 
山下さんの小さい頃の夢は、柔道で金メダルを獲ることであったそうであり、小学校の作文にもそう書いてあるそうだが、「自分が金メダルを獲れたのは努力したからではなく、その夢を持ち続けたからだ」と言っていた。「人間、夢を持っていれば、努力などしなくても自然と身体が夢に向かって頑張るものだ」と。
「日本人初の女性宇宙飛行士になった向井千秋さんも、同じことを言っていたし、京セラの元会長で現JAL会長の稲盛和夫さんも同じことを言っていた」と話されていた。
 
そして、「今の子供が夢を持たないのは、子供のせいではなく、そういう環境を作った私たち大人の責任だ」と言っていた。
「これからの人生、子供たちが夢を持てる環境を作って行きたい」と山下さんは言っていた。
山下さんは、「現在は、東海大学の理事・副学長であり、もう柔道着を着て現場に出ることは出来なくなったが、今はこの背広が柔道着であり、柔(やわら)の道を通して人間を育てるということに取り組んでいる」と言われていた。
 
以前に、当時の神奈川県知事であった松沢知事が、山下さんのところに来られ、自分が担当になっている何百かの役職のうち、神奈川県体育協会の会長を引き受けてくれないかと頼まれたそうである。
それを受けた山下さんは、最初の仕事として「いじめ」撲滅に取り組んだそうである。
体協自体の力は何ほどでもないが、体協に所属する団体は裾野が広く、これらの団体にも協力して貰えば出来ると考えた山下さんは、緊急集会を開催し、体協に属する全団体の代表を集めて、いじめ撲滅への協力を求めたとか。
 
その活動の中で、ポスターを作る話が持ち上がり、「日常生活でもフェアプレー」というフレーズの入ったポスターを作ったのだが、最初に出来上がったポスターには、山下さんは不満だったとか。
体協会長の力など微力で、山下さんの意見は通らずに最初のポスターは出回ったそうであるが、ポスターの大部分を占めているのが、金メダルを獲った時の山下さんの顔だったのである。
「今時の子供達に、20年前の選手の顔を載せても意味がない。作るなら、子供達がポスターをはがして持ち帰り、自分の部屋に貼りたくなるくらいのものでないと。」と言うのが山下さんの気持ちであったらしい。
そして、次のポスターからは山下さんの意見が通り、2枚目に起用されたのは、サッカーの中村俊輔さん、3枚目は巨人の原監督である。
原監督は、東海大の1年後輩であり、いつもは「辰徳」と呼んでいるそうだが、ポスターの話をお願いする時には、さすがに呼び捨てには出来ず、原監督と呼んだそうである。
そうしたら、原監督が「喜んで何でも協力します」と言うので、この機会を逃したら後がないと思い、[実は、神奈川県体協は貧乏所帯で、ギャラを払えないんだけど」と切り出したら、「そんなことは気にしません。全面的に協力します」と言ってくれたとか。
ちなみに、原監督はその後、全日本チームの監督として世界チャンピョンになったが、「それを予期してお願いしたんです」と山下さんは冗談半分に言っていた。
 
その次にお願いしたのは、女子プロテニスの杉山愛さん。杉山さんとは、ハムのCMに一緒に出たことがあるので、その縁でお願いしたとか。
現在は、体操の内村航平さんらしいが、ポスターを作った途端に、昨年の世界大会で金メダルをとったとか。
 
一頃、柔道をする人達のモラルが低下し、「会場を貸しても、使った後が一番ひどいのが柔道だ」という評判が、世の中に広がり会場を貸してくれる所が減ったそうで、その事を憂いていた山下さんは、モラルアップに乗り出したそうである。
そして10年前に始めたのが「柔道ルネッサンス」。
原点に立ち返り、柔道の創始者・嘉納治五郎師範の思いである柔道を通した人間作りを推し進めようという活動である。
勝ち負けも大事であるが、「本当に大事なのは、柔の道を通して人間性を高めることである」と山下さんは言っている。
 
精力善用」「自他共栄」と言うのが、嘉納治五郎師範の教えだとか。
 
ちなみに、何年か前にロシアのプーチン大統領が来日した際に、柔道家でもあるプーチン氏が、山下さんを訪れたそうで、記念に「自他共栄」と書かれた嘉納師範直筆の書を贈ったところ、最初に出た質問が「これは本物か?」であったそうな。
「勿論本物だ」と答えると、「そんな大事なものを貰う訳には行かない」と言われたらしい。
その後、プーチンさんからロシアに招かれ、ロシアで一緒に食事をした際には、
 
「ロシアと日本の間には、一つの大きな難しい問題がある。しかし、その問題以外にはロシアと日本の間には何の問題もなく、うまくやって行ける筈である。この大きな問題を、これから一緒に粘り強く解決して行こう」
 
とプーチン氏から言われたそうである。
「日本では、プーチンさんのことは余り良く言われないが、プーチンさんは本当は良い人だ」と山下さんは話していた。
 
数年前から、山下さんはNPO法人を立ち上げて、世界に向けて柔道を普及させ、柔道を通して自他共栄を推し進めていくことを始めたそうである。
 
「柔の道は勝ち負けではない、そして柔道の相手は、敵ではなく、自分に何かを教えてくれる大事な人である。だから柔道では、相手に敬意を表して礼に始まるのである」と山下さんは言っていた。
 
しかしながら、頭を下げるという行為は、イスラムの世界ではアラーの神に対して行うものであり、
また、欧米では頭を下げるのは相手に対して謝る時なのだそうである。従って、イスラムや欧米の人には、この相手に敬意を表するという意味の柔道の礼については抵抗感があり、なかなか受け入れるのが難しいそうである。それでも徐々にこの礼が受け入れられて来てはいるそうである。
 
講演終了後の質問で、
 
 (1)日本政府のロシア五輪ボイコットについてどう思うか。
 (2)世界柔道連盟に日本の理事がいなくなって影響はどうか。
 
という質問が出たが、
(1)については、政治はさじ加減でどうにでも動くが、政府の介入でボイコットしたことがどうかよりも、まずはスポーツ界がやることをきちんとやれるようになって自分の考えを主張できる存在になることが大事だと思うという応えであった。
 
(2)については、質問者も知らなかったのであるが、実は、世界柔道連盟には、今でも日本の理事がいるそうである。
 
山下さん曰く、自分は今まで外人に負けた事は一度も無かったのだが、連盟の理事選で初めて、しかもダブルスコアで負けたそうである。その結果、世界柔道連盟から日本の理事が一人もいなくなったそうだが、その翌日には、指名理事と言うことで上村さんが理事になったとか。よって今でも日本の理事はちゃんといるし、日本の影響力は変わらないそうである。
 
ちなみに、五輪を含む世界戦でよく見かける、腰を引いて腕だけで相手を捕まえに行く体勢や、下半身にタックルして足を取りに行く技は、今後は反則になったそうであり、勝敗だけではなく心技体を重んじる日本の意見が世界柔道連盟に十分に影響力を及ぼしていると言うことなのだそうである。
 
講演の内容が面白かったので ついつい紹介が長くなってしまったが、皆さんも、山下さんの話を聞く機会があったら、是非、聞くとよいでしょう。