ご先祖さまは氏族?


ご先祖さまは氏族?
2011年9月3日(土) 雨
更新:2023年9月18日(月)
 
自転車並みに遅い速度の台風12号が、ついに高知県に上陸したそうだが、500キロ離れた三島でも、今日は一日雨が降ったり止んだりというお天気であった。
 
予定では、9月に入ったので続東京23区の旅(ウォーキング)を再開することにしていたのだが、この天候では致し方ない。
そこで、今日は我が家のご先祖様の話をしてみたい。と言っても何か伝承や根拠がある訳ではなく、あくまでも私の勝手な思い込みのお話である。
 
三島の今の家に引っ越して来たのは、24年前(1987年)の夏のことである。ちょうど私が結婚した年の夏であり、当時、築8年だった中古住宅を買って、僅か3ヶ月余りしか住まなかった社宅から引っ越して来た訳である。
家を買うに当たっては、カミサンの実家が懇意にしているお寺に相談して、方位その他を見て貰った上で決めた。そのお寺と言うのは、三島市の隣町、駿東郡長泉町にある浄泉寺と言うお寺であるが、ご住職もそのお母さんも滝に打たれて修行を積んだ方だそうであり、このお寺には色々な相談事で訪れる人が多いそうである。カミサンの実家も、昔から大事がある時には必ず相談に行くそうであり、カミサンの結婚に際しても相談に行ったら、相性が良いから結婚させろと言われたそうである。
結婚した時に、カミサンの実家から、夫婦に白檀の数珠をお守りとして戴いたが、この数珠も浄泉寺のご住職が念を入れたものだそうであり、今でも毎日通勤鞄に入れて持ち歩いているし、旅や長距離ウォーキングをする時には携帯している。それから、我が家では、車を買った時などには、必ず浄泉寺に行って新車を清めて貰うことにしている。
 
前置きが長くなったが、家を買った時に、このご住職に自宅まで来て戴き、方位除けの祈祷(きとう)をして戴いた。と言うのは、我が家の玄関が(家屋の中心点から見て)ちょうど鬼門の方角に掛かっていたためである。
その時の話であるが、祈祷を終えたご住職の話によると、お経の最中に我が家のご先祖様が周りに沢山現れて来たと言うのである。
そしてご住職曰く、我が家(摩須家)の先祖は由緒ある氏族だったそうである。これが、私の勝手な思い込みの発端である。そして今でも私はそう信じている。
 
その時は、まあ、ご住職がそう言われたという、それだけの事であったのだが、それから10年近く経ったある日、パソコンのインターネットで遊んでいて、ウチの親族の名前がインターネット上にどのくらい掲載されているのかを検索して見ようと思い付き、私自身や親兄姉、カミサンや子供の名前をインプットして検索してみた。
父の名前は結構ヒットした。福岡で色々と業界の役職をしていたため、その関係で名簿等に名前が掲載されていた様である。勿論、本人はパソコンなど無縁だったのでインターネットに自分の名前が載っていることも全く知らなかった筈である。私の名前も幾つかヒットした。会社から情報処理学会に出した論文などである。
 
そんな中に、何と漢字だらけの文書が幾つもヒットしたのである。古事記である。
古事記の原文の中に、我が家の苗字の2文字「摩須」が入っているのである。
原文を読んでも意味はさっぱり分からないが、いろいろな解説記事を探して読んだところ、だいたい以下の様なことが書かれているらしい。
 
(1)丹波の国に川上摩須と言う豪族がいて、川上摩須良王(かわかみますらおう)と呼ばれていた。
 ※ここで言う丹波の国は、現在の丹波とは別の場所であり、現在の地名で言えば丹後地方のこと。7年前に幾つかの町が合併して京丹後市となっている。
 
(2)丹波の平定を命ぜられた四道将軍のひとり、皇族・丹波道主命(たにわのみちぬしのみこと)が丹波を統治し、土地の豪族であった川上摩須良王の娘・川上摩須郎女(かわかみのますのいらつめ)と結婚した。
 
(3)丹波道主命川上摩須郎女の間に生まれた娘・日葉酢媛命(ひばすめのみこと)が、第11代天皇である垂仁(すいにん)天皇の皇后となり、第12代天皇である景行天皇を産んだ。
 
「摩須」という姓は非常に珍しい姓なので、国内のあちこちに全く別系統の「摩須」姓が複数存在するとは考え辛いし、なおかつ、方位除けの祈願の時に出て来たという我が家のご先祖様が氏族だったと言われると、これはもう丹波川上の摩須氏が我が家のご先祖様だと考えるしかないと思ったのである。
 
このブログのIDになっているmasuraooと言うのも、実は摩須良王から付けたIDなのである。
 
京丹後市(久美浜町)には、熊野神社衆良(すら)神社と言った川上摩須良王にまつわる史蹟が残っているし、久美浜温泉もあるので、一度は訪れて見たいと思っている所である。