【世情】実家の「墓じまい」、最も多いトラブルは?

【世情】実家の「墓じまい」、最も多いトラブルは?

 記事はお墓の管理について書かれたものである。
 お墓と言うものはどうしたものか。実のところ、良く分からない。檀家、宗旨、これも分かった様で良く分からない。一応の話をすると、私の親族(摩須家)のお墓は福岡市の西部、山の中腹の霊園に在る。父が生前に買い求めたものである。だから、まだ新しい。先祖代々から受け継がれてきたお墓ではない。それとは別に、菩提寺にもお墓の区画を買っているらしい。こちらは、お寺のお堂(複数階の建物)の中に並んでいる。例えて言うならば霊園のお墓が一戸建て、菩提寺のお墓がマンションと言った様なものである。どちらがどうだという区別は私にはわからないが、菩提寺が管理している方は、入る時に永代供養の契約になっているらしく、ご住職が継続的にお経を上げてくれるのだそうである。霊園の方のお墓には車で盆帰省した際にお参りしているが、菩提寺の方は、法事の時に一度くらい寄ったかもしれないと言う程度である。では、私の家族がこのお墓に入るのかと言うと、それも良く分からない。今は三島(静岡県)に住んでいるし、子どもたちは東京と浜松だし。私は次男だし。仮に分家と言うことで、こちらにお墓を買ったとしても、この記事にもある様に、先々の事を考えると「お墓」と言う形が良いのかどうかも分からない。今のところはまだ何も考えていない。宗旨・檀家についても同じである。一応、我が親族は真言宗であり、親族の菩提寺は福岡の博多駅近くにある東長寺である。弘法大師が日本で最初に開山したと言う由緒あるお寺であり、真言宗の別格本山と呼ばれている。こちら(静岡県)でお墓を作るとしたら、多分、真言宗のお寺を探すのだろうとは思うが、お墓自体は宗旨に関係ない霊園が多いので、そういう所(富士山が見える丘の霊園とか。笑)を選ぶのかもしれないし、お墓自体を持たない可能性もある。散骨にして位牌だけを仏壇で管理するとか。まあ、良く分からない。今のところ、まだ先が見えているとは思っていないので、ゆっくり考えよう。(笑)
 ちなみに、肉体と魂は別物だと言う話も最近は聞く。肉体は一時期の姿であり、生まれて死ぬまでの三次元の世界に存在するものであるが、魂はずっと生き続け輪廻転生する多次元の存在なのだそうである。一つ思い当たる話として、今の自宅(中古住宅)を29年前に買った時に、カミサンの実家が懇意にしているお寺の住職さんにお願いして方位除け(鬼門除け)のお経を上げて貰ったのだが、お経を終えたあとにお住職より、お経を上げている最中に摩須家のご先祖様が辺りに沢山現れたと言われたのである。そして、摩須家の先祖は氏族だったと言うのである。このお住職は滝に打たれて修行を積んだ方だそうで、そういうものが見えるのだそうである。その時に思ったのだが、実は私の父は子供の頃に、子供のいなかった叔母さん(実母の妹)の嫁ぎ先(摩須家)の養子になったのである。だから、DNA的には摩須家の血筋は引いていないのである。それなのに、お住職さんが摩須家の先祖が沢山現れたと言われたので、もしかしたら、「肉体、血筋、DNA」の繋がりは生きている間だけの仮の繋がりであって、「魂、家、契り」の繋がりの方が永く続く繋がり(縁(えにし))なのではないかと思ったのである。ちなみに、「摩須家」については、その後、インターネットが普及し始めて我が家もPCを買ったが、ある日ネット検索したら、確かに氏族に繋がる情報にヒットした。その情報は古事記の一部であった。即ち、古事記の文面に「摩須」と言う文字があったのである。昔々、丹波と言う地方(現在の丹波地方ではなく昔の丹波。現在の地名は丹後半島にある京都府京丹後市あたり)に、丹波川上の摩須氏と言う豪族がいて川上摩須良王(ますらおう)と呼ばれていたそうである。その娘さんが「摩須郎女(ますのいらつめ)」と言う表現で古事記の中に出て来るのである。何故、古事記に出て来るかと言うと、摩須郎女が丹波の国王であった大和王朝の王族・丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)と結婚し、その間に生まれた娘・日葉酢媛(ひばすひめ)が、第11代天皇・垂仁(すいにん)天皇の皇后になったそうである。そして生まれた子供が第12代天皇・景行(けいこう)天皇となったそうである。まあ、そんな内容が古事記に書かれているのである。だからと言って、摩須家の先祖が氏族・川上摩須良王であったと言う証拠など何も無いのだが、私は、以来、勝手にそう思っている。このブログの名前が「masuraoo」となっているのも偶然ではない。(笑)

【2018/2/15追記
今年の正月、福岡の実家に帰省した際に母と話をしていたら、一つ、私が勘違いしている事が分かった。上の記事には、摩須家のお墓が福岡市西部の霊園と、東長寺博多駅近く)の中にもあると書いたが、東長寺の方の区画は、親戚は買っているけど摩須家は買っていないそうである。そこで、今後の事(子孫が代々墓守をして行くこと)を考えて、東長寺の中の区画も残っているうちに買っておいてはどうかと母に提案しておいた。墓が二つになるのを母が気にしていたので、今度のお彼岸にお坊さんが来られた時にでも相談してみると良いと伝えた。
それから、最近、落合莞爾さんのウバイド・ワンワールド秘史を勉強しているが、上に書いた四道将軍丹波道主命丹波河上の氏族・摩須良王の娘(摩須郎女)の間に生まれた娘(日葉酢媛(ひばすひめ))が皇后となった代11代垂仁天皇は、任那から戻った任那天孫族・10代崇神天皇の皇子だということが分かった。
参考⇒【ウバイド】天皇の系図(PDFファイル版)