東海道ふたり旅(11) 柚木〜由比宿(15:蒲原宿、16:由比宿)
2008年9月6日(土) 晴れ
更新:2020年6月23日(火)
JR東海道線、身延(みのぶ)線と乗り継ぎ、10:20、本日の出発点・柚木(ゆのき)駅に到着。今日は夏に戻った様な暑さである。
西に向かって旧東海道の旅を再開。
2キロほど進むと、薄グリーンの富士川の鉄橋が見えてきた。橋の手前にある水神社の入口に渡船場跡の石碑が建っている。
この富士川からの富士山の眺めは、テレビなどでもお馴染みのビューポイントなのだが、残念ながら、今日は雲に隠れて富士の姿を拝むことは出来ない。
昔の渡しの船着き場は、鉄橋より数百メートル上流になるので、鉄橋を渡ったあと富士川に沿って道を遡る。
船着き場があった場所には、石造りの常夜灯が残っている。
そこから西に登っている、狭い路地の様な道が旧東海道である。
坂を登り切ると、道は左に折れて家並みの間を北に延びている。
そしてしばらく進むと、間宿(あいのしゅく)である旧岩淵宿の集落が広がっている。間宿と言うのは、正式な宿場としては認められていなかったが、宿場間が長い場合や、険しい峠越えなどの場合に、休憩地点として発生したものであるらしい。
箱根にある畑宿も間宿である。
岩淵宿に差し掛かったところで、見学自由と書かれた古い家があったので立ち寄ることにした。
庭には「旧小休(こやすみ)本陣常盤家住宅主屋」と書かれた立て札が立っており、家屋の中に足を踏み入れて見学していたところ、入口横の部屋に待機していた年配のおじさんが土間に出て来て説明をしてくれた。
間宿のことを教えてくれたのも、実はこの方である。
何でも、ここの当主である常盤家は、富士川の渡船名主であったとかで、その子孫の一人が清水銀行(静岡)の創始者、さらに子孫の中には現役の女優さんもいるとの事であり、時々ここにもジーパン姿で遊びに来ることがあるそうである。そう、あの常盤貴子さんである。
常盤家を出発してしばらく行くと、岩淵一里塚跡がある。ここの一里塚は、今でも道の両側にこんもりとした土盛りの塚が残っている。
一里塚の地点から道は右に折れ、右側に富士川町役場がある。さらに進むと東名高速のガードがあり、それを潜ると のどかな田舎道である。
やがて道は長い登り坂となり、この暑さには堪える。カミサンもかなり疲れた様なので、日陰でしばし休憩。
坂を登り切ると、東名高速にぶつかった。高速道路に架かる橋を渡ると、そこから先は静岡市であった。
住所表示は清水区蒲原(かんばら)となっている。旧東海道の旅も、遂に静岡市に入った。
坂を登って来た甲斐があり、眼下には駿河湾の眺めが広がっていた。
坂を降りて蒲原の街に入ると、一里塚があり、その先には旧蒲原宿の東木戸跡がある。
道の両側は、昔の宿場の面影を残すかの様に古い家並みが続いている。
時刻は正午を回ったので、旧東海道を一旦左に外れ、大通りに出て食事処を探すことに。
途中、偶然、歌川広重の「蒲原宿夜之雪」の碑の前を通り掛かることとなった。ラッキー。
新蒲原駅前のレストラン(バーミヤン)では、あまりの暑さにビールを飲まずにはいられなくなり、夫婦でジョッキーを傾けることになってしまった。午後のウォーキングが思いやられそう。
昼食の後、ウォーキングを再開。JR東海道線に沿って伸びる旧東海道。歩きながら気がついたのであるが、この辺りの民家は、古い家は勿論のこと、新しい家も含めて殆どの家の玄関は格子の引戸であった。
皆が心を合わせて、昔の景観を守ろうとしているのであろうか。
東名高速のガードを潜ると、旧東海道は大通りに別れを告げて左に逸れていく。そして由比宿である。
由比と言えば桜エビで有名であるが、今は季節ではないのか、店には桜エビは並んでいなかった。
一里塚跡を過ぎさらに進むと、公園となっている本陣跡がある。
その向かいには、暖簾に正雪紺屋と書かれた店がある。由比正雪の生家なのだそうである。
今日は、頑張って絶景で名高いさった峠まで行きたいと思っていたが、この暑さとお昼のビールで足が先に進みそうになく、由比宿で上がることにした。
JR由比駅から電車で三島に帰還。
【データ】
■東海道歩行距離
今回 | 12.6km(柚木〜由比宿) |
---|---|
通算 | 159.0km |
■利用交通機関
区間 | 交通機関 |
---|---|
三島〜富士 | JR東海・東海道本線(三島〜富士) |
富士〜柚木 | JR東海・身延線(富士〜柚木) |
由比〜三島 | JR東海・東海道本線(由比〜三島) |
■費用
JR東海道本線/身延線 三島〜柚木(2人分) | 960円 |
JR東海道線 由比〜三島(2人分) | 1,300円 |
駐車場代(三島駅前) | 900円 |
飲料(2人分) | 450円 |
昼食、ビール(蒲原・「バーミヤン」)(2人分) | 3,863円 |
合計 | 7,473円 |
累計 | 78,058円 |
■立ち寄りポイント
・富士川渡船場跡(富士市)
・旧小休本陣(岩渕宿)
・岩渕一里塚跡(岩渕宿)
・蒲原一里塚跡(蒲原宿)
・蒲原宿東木戸跡(蒲原宿)
・蒲原夜之雪記念碑(蒲原宿)
・本陣跡(蒲原宿)
・蒲原宿西木戸跡(蒲原宿)
・由比一里塚跡(由比宿)
・御七里役所之址(由比宿)
・由比本陣公園(由比宿)
・正雪紺屋(由井正雪生家)(由比宿)
■通過した宿場
(15)蒲原宿
(16)由比宿
【用語】
枡型(ますがた)
万一、敵が侵入してきた時の防止策として、町の出入り口の道を直角に曲げて造った。
旅籠(はたご)、木賃宿(きちんやど)
食事付きの宿が旅籠、食事無しの宿が木賃宿。「一泊二食付き」という言葉は旅籠の名残り。籠(かご)は、元々は旅の時に馬の餌を入れる籠のことであったが、それが食事を意味することとなり食事付きの宿を旅籠と呼ぶ様になった。一方、木賃宿は旅人が自分で食事を作る時に薪代を宿に払ったところから「木賃」宿と呼ぶ様になったとか。
飛脚(ひきゃく)
輸送業、または輸送業に携わる人の名前。手紙、お金、荷物などを運んだ。
紺屋(こんや、こうや)
染め物屋のこと。
【地図】
・富士川渡船場跡(富士市)
・旧小休本陣(岩渕宿)
・岩渕一里塚跡(岩渕宿)
・蒲原一里塚跡(蒲原宿)
・蒲原宿東木戸跡(蒲原宿)
・蒲原夜之雪記念碑(蒲原宿)
・本陣跡(蒲原宿)
・蒲原宿西木戸跡(蒲原宿)
・由比一里塚跡(由比宿)
・御七里役所之址(由比宿)
・由比本陣公園(由比宿)
・正雪紺屋(由井正雪生家)(由比宿)
■通過した宿場
(15)蒲原宿
(16)由比宿
【用語】
枡型(ますがた)
万一、敵が侵入してきた時の防止策として、町の出入り口の道を直角に曲げて造った。
旅籠(はたご)、木賃宿(きちんやど)
食事付きの宿が旅籠、食事無しの宿が木賃宿。「一泊二食付き」という言葉は旅籠の名残り。籠(かご)は、元々は旅の時に馬の餌を入れる籠のことであったが、それが食事を意味することとなり食事付きの宿を旅籠と呼ぶ様になった。一方、木賃宿は旅人が自分で食事を作る時に薪代を宿に払ったところから「木賃」宿と呼ぶ様になったとか。
飛脚(ひきゃく)
輸送業、または輸送業に携わる人の名前。手紙、お金、荷物などを運んだ。
紺屋(こんや、こうや)
染め物屋のこと。
【地図】