東海道ふたり旅(9) 三島宿〜片浜(12:沼津宿)
2008年8月23日(土) くもり、のち、雨
更新:2023年9月1日(金)
三島駅北口の駐車場に車を置き、本日の出発点、三島広小路まで歩く。
静岡県東部の天気予報では、午前中の降水確率は50%。まあ地元だし、雨が降り出すまで歩けば良いと気楽に考えて旅を再会。
三島市内の旧東海道だった道は、普段、車でよく通る道なのだが、歩く目線になると気が付かなかった点が目に入って来て、アレッと思うことが度々である。
やがて、千貫樋(せんがんどい)に差し掛かる。
千貫樋という文字は、これまでにもバス停の名前などでお目に掛かっていたのだが、その意味は、私は勿論のこと、こちらで生まれ育ったカミサンでさえ知らなかった。
道の説明パネルによると、今川、武田、北条の三氏の和睦が成立した時に、北条氏康が、今川への引出物として構築した水路であるとか。確かに眼下には小さな小川が流れていた。
更に道を西進すると、道の両側に一里塚跡跡が綺麗な形で残っている。日本橋から29番目の一里塚・伏見一里塚である。
ここの交差点を左折して、500メートルも行けばカミサンの実家がある。東洋一の湧き水で有名な柿田川の近くである。
国道1号線の横断歩道を渡り、しばらく進むと右手に八幡(やはた)神社という名前の神社がある。
その境内に、源頼朝と義経が兄弟の対面をしたという対面石が残っている。まあ、腰掛ける大きさの石が二つ並んでいるだけなのだが。
【2023/9/1追記】
昨年(2022年)のNHK大河ドラマで「鎌倉殿の13人」が放映されたが、その影響で、この「対面石」の観光向けに、観光バスも駐車出来るほどの駐車場が近くに整備されたらし。私は、その駐車場の場所は知らないが(笑)
それから、私が住んでいる所は三島市の徳倉(とくら)という町であるが、昔(多分、鎌倉時代?)、徳倉城と言う城(砦?)があったらしく、大河ドラマ放映の影響だと思うが、八乙女(やおとめ)神社という神社の前に、徳倉城の説明パネルが知らないうちに立っていた(笑)。我が家の愛犬の散歩コースである。
黄瀬川の橋を渡り しばらく行くと、道は旧国道1号と合流する。
沼津警察署の少し手前で旧東海道は国道から左に分岐、狩野川(かのがわ)の土手の下を延びている。
黒瀬橋の下を潜り 更に進むと、右側に一里塚跡がある。先程の伏見一里塚からもう4キロ歩いた訳であるが、今日は地元の慣れ親しんだ道を歩いているせいか、距離を全然感じない。
再び旧国道1号と合流。三枚橋交差点の歩道橋を渡り、100メートルほど進むと、旧東海道は旧国道1号から左に逸れ、沼津の中心街から遠ざかる方向に道は延びる。道の右手には、昔、沼津城本丸があったとか。
JR沼津駅から沼津港に向かって延びる道(通称、さんさん通り)に合流して南進し、御成橋交差点で右折、次の角を左折するのが旧東海道の道筋である。
この通りは、上本(かみほん)通りと呼ばれているが、ここが昔の沼津宿の中心街であったそうである。もっとも、今は沼津中心街から外れて、寂れ感が漂っている。
道の両側には、「間宮本陣跡」「清水本陣跡」の石柱が立っている。
永代橋の通りを右折すると、旧東海道はずっと吉原宿まで直進の道である。
道の数百メートル左は駿河湾、道の右には遠く愛鷹山(あしたかやま)が見える。その奥には、雲が掛かっていなければ富士山を望むことができる。
ちなみに、愛鷹山の中腹には、私が2000年1月まで通勤していた会社(富士通)の沼津工場がある。
私が、この地でカミサンと出会い、家庭を持ち、家を構えることになったのも、1983年に京浜地区からこの工場に転勤してきたのが事の発端である(笑)。
暫く歩き、次の宿場・原宿までは数キロであったのだが、時計が12時を回り片浜の町に差し掛かった辺りで、それまで傘が要らない程度の小雨だったのが本降りになってきたので、残念ながら本日の旅はここで終了することとした。
JR東海道線・片浜駅から電車に乗り、三島に帰還。
【データ】
■東海道歩行距離
今回 | 10.5km (三島宿〜片浜) |
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通算 | 127.5km |
■利用交通機関
片浜〜三島 | JR東海道本線(片浜〜三島) |